387話「なまえ」
翌日、夜。律衡評定も3日目となり、この日は終日結論の出ない評定で1日が終わり、ガーネは疲労がいい加減蓄積した顔で特務に顔を出した。
「お疲れ様、ガーネくん。評定どう?」
「典型的な『お偉方が集まってのあーでもないこーでもないの会議』の場だな。言うてお前も察しての通り、基本的にほぼ俺しか喋ってねぇ。喋り疲れた。なんか甘いのくれ」
「アンタ部屋で休めばいいでしょ。特務は知っての通り超暇よ」
「お前らは暇でも俺は俺で特務の仕事があんだよ」
自席の近くのソファに飾緒で重たい正装官服を放り投げ、少し身軽になったところでネクタイを緩めて椅子にどっかりと腰を下ろした。
この席に座るのも妙に久しぶりな感覚になり、1日座っていたもののようやく一息ついたように深く溜息を漏らした。
腕を組み、評定でのことや今後のことを考え少しだけぼんやりとしているとカルセが甘めの紅茶とアップルパイを机に置いた。
「アップルパイだ」
「あら、お嫌いでした?他のにいたしますか?」
「いや、結構好き」
「良かったですわ。美味しいですか?」
「…うん、うまい」
「良かったですわ、エイミーさんのお手製なんですのよ」
「ぶえっ」
アメジお手製と聞いて思わず噎せたガーネは、警戒するようにパイ生地をつついてアメジを一瞥した。
「なによ、失礼ね!だって最近超暇なんですもの。昨日張り切って作っちゃったわ」
「お前、変なもん入れてねぇだろうな」
「入れないわよ!!みんな美味しいって食べてくれたし、ガーネ様だって今『うまい』って言ったじゃない!!」
「なんか催淫剤とか入れそうなんだもんお前。怖い」
「怖くねーよ!」
「催淫剤で思い出したけどさ」
「催淫剤で思い出すって何ガーネくん、話題のチョイス怖いんだけど」
アメジをあしらいスメイラの問いかけに紅茶を一口飲んで空、ガーネはフォークを置いて特務の面々を見た。
「一応、プライベートなこと突っ込んで聞くけど。お前ら好きなやつとか付き合ってるやつとかいるのか」
ガーネの問いかけに、一同怪訝そうな顔をして眉を寄せて視線をガーネに返した。惚気かなにかを聞かされるのかとやや面倒そうに身構え、特にスメイラとラズリは小さく唾を飲んだ。まともに正面切ってガーネが惚気たことは無いにせよ、ガーネの性格を考えるととにかくカロリーが高く胸焼けが酷そうな、胃の奥底に三日三晩残りそうな重厚な惚気になりそうだと警戒を露わにした。
「アンタの惚気なんか聞かないわよ!そういうのは近衛総監とか衛兵総監とか、このバカとゴリラにしな!!」
「?なんで俺がお前らに惚気けるんだよ」
「え?違うの?だって私たちの好きな人とか交際状況なんて聞くからてっきり自分が喋りたい前置きなのかと」
「聞きたいなら聞かせてやってもいいけど、そうじゃねぇ。今後、突発的に地方に遠征とかそういうことが起こり得る可能性があるからだ。もちろん、均衡絡み」
そういうことか、と納得したように肩を竦め、女性陣は全員小さく首を振った。
「スメイラはケントとヨリ戻すとかしねぇのか。たまに飯行ってんじゃん」
「なんで君がそんなこと知ってるのよ。私たちは単純に『結婚向きじゃなかった』から離婚して友達に戻っただけで、険悪に別れたわけじゃないからご飯くらい行くわよ」
「まぁすることはしてるみたいだしな。たまにキスマークついてるし」
「子供じゃないんだから別にいいでしょ!!君に言われたくないんだけど!口元とか顎に口紅付けて戻ってきたり首元に歯型ついてたり!!」
「あの小娘噛み癖あるんだよ、可愛いよな。まぁそれはさておきバカとゴリラは?」
「あたしはガーネ様にラブだから」
「あっそ失せろ」
「僕はね、女の子みんな可愛いなって思うから彼女作りたい!」
「そういうこと聞いてんじゃねーよ童貞が」
なんだかんだと言いつつアップルパイを食べ終え、疲れた脳みそに糖分が回ると小さく息を吐いて背もたれに寄りかかった。
「…なんでもいいけど、『死に際の後悔』の芽は摘んでおけ」
どこかしみじみと呟いたガーネの言葉に全員なんとも言えない気持ちになり、しんと静まり返った。ガーネはそのまま書類や資料の間に挟まった厚手の表紙の手帳型のノートを開き、中をパラパラと確認した。
「なにそのノート、ガーネくんの持ち物にしては随分可愛い装丁」
「……これか。ビビるなよ、………交換日記」
「え」
「……交換日記」
「…え?」
「小娘が、侍女から陳腐な恋愛小説を借りて読み漁った結果…小娘が一層小娘になってこないだ交換日記がしたいと駄々をこねられた…今日日交換日記なんてしてるカップルいねーよって言ったけど、なんか拒否しきれなかった…」
「……ガーネ、明日チョコ差し入れしてあげるわ」
特務の一同は『交換日記』というパワーワードに茶化す以前にガーネの気苦労を悟り、珍しくラズリがほんの少し優しい言葉を掛ける中ガーネは交換日記の文面を眺めた。
新年拝賀式の翌日から始まり、嬉々としてノートを託されて1週間放置。純粋に評定準備と重なり忙しかったのもあったが、誕生日翌日ようやく返事を書いて渡し、その翌日である昨日すぐにノートが返ってきたのである。
────交換日記というものを初めてする。そも、日記自体初めて書く。
日記とはなにを書けば良いのかわからないが、ミモゼから『今日あったことや思ったことを書くといい』と言われたので、そういうことを書く。
昨日はガーネが妾の騎士として一日隣にいて、とても嬉しかった。
騎士服もガーネは未だ『着られている感じ』と言っていたが、とてもよく似合うと思う。
ガーネが部屋に来ない日は、ガーネに買ってもらったシロクマと共に眠ることが増えた。ミモゼや侍女たちが、手慰みに刺繍や裁縫をしてみてはと言っていたので、シロクマの服を作ってみようと思う。このシロクマは女か男か、どっちだと思う?
────女。男だとお前と一緒に寝てると思ったら腹立つ
────なぜぬいぐるみにやきもちを妬く?ミモゼに、シロクマの名前を問われた。名前を付けるとは思い至らなかったので、とても考えたが良いものが浮かばなかった。ガーネは、このシロクマにはどんな名前がいいと思う?ガーネはあまりセンスがなさそうだが、参考までに案を出せ。
妾はペットを飼育したことがないので愛玩にどのような名前をつければいいかわからない。そう思ったが犬がいたのを思い出した。が、犬にはガーネという名前がついていたので、妾の名付けではない。
『ぬいぐるみの名前を付けろ』と言われ、ガーネは頭を抱えた。律衡評定の議題の数々よりもよっぽど難題であった。今見なければ良かったと後悔したが、後の祭りだった。
しばらく額を押さえてから一度書類に手を伸ばし、無理矢理頭を仕事モードに切り替えては見たものの、交換日記の内容が悪い意味でちらついてしまって集中が出来ない。
「ガーネくん、夜勤のエイミーちゃんとカルセさん残して、みんな上がるよ?」
「……え、もうそんな時間か。お疲れ」
気が付けばしょうもないことにたっぷり2時間は唸っていたようで、スメイラの声で顔を上げまるで進んでいない書類の束を見て溜息を漏らした。
「…俺ももう部屋戻ろ…一応、何事も無ければ評定も明日が最終日の予定…」
「何事かあれば?」
「予備日に食い込む。疲れた、休むわ」
書類の束とノート、ソファに投げた官服を拾い上げてガーネも特務室を後にし、自室へと戻った。




