371話「口紅」
夕方になりようやく昼餐会とその後の歓談も終え、ディアマントはようやく下がった自分の執務室のソファの上で足を伸ばし一息ついた。
「ミモゼ、ガーネを呼べ」
「特務総監様ですか?…陛下も今お部屋に下がったばかりではないですか。休憩なさっているのでは」
「構わぬ!呼ぶのじゃ!」
「か、かしこまりました」
侍女長は執務室に繋がる前室へと向かうと、まさに椅子に腰を下ろそうとしたガーネを見つけ申し訳なさそうに声を掛けた。
「特務総監様、申し訳ございません。陛下がお呼びです」
「わかった」
ガーネは下ろしかけた腰を上げて立ち上がると用意していた水を一口だけ飲んでから執務室へと向かった。
「お呼びですか、陛下。すぐ次あるんですよ」
「だから呼んだのじゃ。着替えをする、妾のドレスを選べ」
「俺の好みでいいのか」
そのままガーネの視線は並べられたドレスに向かった。
少し悩むようにドレスの色味や素材、ラインなどを吟味するガーネにディアマントは肘掛けに凭れて頬杖をつきながら声を掛けた。
「この後の夕食会、特務の連中はどうするのじゃ」
「王城責任者だけでしょ、呼びませんよ。カルセだけです。他は高位職者でもなんでもないですし」
「せっかくじゃ、呼んでやれ」
「…なら、声をかけます。お心遣い感謝いたします」
「して、お前の好みはどのドレスじゃ」
「そりゃ、可愛い系に全振りするかエロいのに全振りするかが好みですけど。こういうエンパイアとか、あと露出過多なのだとこっちのホルターネックに裾のスリット深いやつとか。背中も脚も綺麗だから最高に唆りますよね」
「ならそれにする」
「駄目に決まってんだろ。……これだ、これにしろ」
シルバーのスレンダーラインのドレスと淡い紅藤色のレースのショールを選び、小さく笑いながら見守っていた侍女長に手渡した。
「ではまた、お召し替えの終わった頃にお迎えにあがります」
ガーネがそのドレスを選んだのは先読みした明確な意図があったが、恐らくこの時点ではディアマントも侍女長もその意図には気付いていないであろうと1人で満足そうにしながら一礼して部屋を出た。前室には寄らずに自分の部屋に向かうと、外したマントだけ雑にソファに放り投げてから特務室へと向かった。
日中の警備で疲れた顔で休憩していた一同はガーネが部屋に来ると少し驚いたように目を向けた。
「どうしたのよ」
「陛下が、お前らも夕食会呼んでやれって。後で礼言えよ」
「ガーネくん、顔が疲れてるね。少し休んでから戻ったら?」
「いや、すぐ戻る。……そりゃ疲れんだろ、あからさまに見合いの話が激増したな。城の外ならもう少し雑にあしらえるんだが建前通すと伝わらねぇでああやって勘違いして食い下がるバカが多過ぎる。俺だって『家格弁えろ』とか驕ってるみたいで言いたくねーよ」
「まぁ、でも子爵程度でよくあんなに厚かましくも頑張ってたなーとは多分殆どの家が思ってたんじゃない?アタシが警備してた区画の貴族たち、顔引き攣ってたもん」
「ま、この後は面倒な連中はいないからな。……身内だけとはいえ、行儀良くしろよ」
伝えるだけ伝えたガーネはさっさと特務室を出て女王の執務室へと戻って行き、扉の前に立つと小さく息を漏らした。
朝からほぼ立ちっぱなしの飲まず食わずで、病み上がりでさすがに疲労が顔に滲み出始めた様子で数秒だけ目を伏せてから、ゆっくりと扉をノックした。
「陛下、お召し替えは終わりましたか」
「うむ、入ってよい」
室内へと入ると、ガーネが選んだシルバーのドレスに紅藤色のショールを纏い、髪はサイドに編み下ろしたヘアスタイルに変更していた。
ガーネの予想通り、ルビーからサファイアにアクセサリーを変えており、思わずといった様子で満足気に笑みが漏れた。
「なんじゃ。どこか変か」
「いや、可愛い。俺のセンスと予想が冴えてるなと」
「……予想?」
「お前絶対アクセサリー、サファイアのチョーカーとムーンストーンのピアスにすると思ったから。それ見越してドレス選んだからな」
「まぁ」
ガーネの返答に侍女長も少し驚いたような顔をしてディアマントの出で立ちを見つめ、ふんわりと優しく笑みを漏らした。
「よくお似合いですわ、陛下」
ディアマントの足元に膝をつくと、昼間までと異なり手袋を外したガーネが左手を差し出した。騎士服の袖口からごく僅かに覗く揃いのブレスレットが揺れ、一層満足そうにするディアマントに声を掛けた。
「会場までエスコートさせていただけますか、陛下」
「よかろう。妾が許可する」
そう言ってサファイアのブレスレットが華奢な手首に揺れる左手を重ね、ガーネはゆっくりと立ち上がった。
「陛下は俺が連れて行く。侍女長も参加するんだろう、早く支度して来い」
「お心遣いありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきましてわたくしも支度に。……あ、特務総監様。こちらお渡ししておきますわ」
侍女長がガーネの手元に小さな筒状のものを握らせてから一礼し、部屋を出た。
「?侍女長、お前に何を渡した。妾にも見せよ」
「口紅」
「なぜお前にそれを渡す」
「キスしていいけど直せよってことじゃねーの」
「ふ、フーン。そうか」
「保護者のお許しも出たし、キスしてもいい?」
「……いつも妾の許可など取らぬくせに」
「取る時もあるだろ」
ガーネの左手がディアマントの頬に添えられ、身を屈めて唇を重ねた。何度か啄むように柔らかな唇に吸い付くと、ディアマントは両腕をガーネの首元に回して少し背伸びをして薄く唇を開いた。そのあまりにもよく仕込まれた様子にガーネはより満足そうにディアマントの腰を抱き寄せ、小さな唇を割り開くように舌先で口内を堪能した。
「ン、な、なぜ笑っておる、さっきから」
ディアマントが耐えられずに重なった唇の隙間から問いかけると、ガーネは紅の移った唇を離して至近距離でディアマントを見つめながら笑った。
「いや、随分よく教え込まれて仕込まれてるなーと」
「?」
「わかんなくていいんだよ、小娘が。さて、そろそろ行くか」
ディアマントの口元の紅の乱れを親指の腹で拭ってから自分の口元も同じように拭い、それをハンカチで拭って侍女長に渡された口紅を繰り出し、ディアマントの唇へと宛てがった。
色味を丁寧に乗せて唇を整えてから、改めて左肘を差し出して手を取らせ、夕食会の会場である広間へとエスコートした。




