355話「嘘つき」
「世話になったな。さっきの件頼むぞ」
「…行ってらっしゃいませ、御当主様」
馬車に荷物を乗せディアマントに手を差し出して馬車に乗り込ませると、ガーネは馬車に乗らずにウェイゼとシャルヴィアを振り返り声を掛けた。
屋敷をちらりと見上げると、2階の渡り廊下の窓からガーネを見下ろすリエーブの顔が視界の端に捉えられたが、ガーネは顔も視線も向けることなく踏み板に足を掛けて客室には入らずに御者に声を掛けた。
「出せ」
「は」
相当無理はしているが、敢えて苦手な馬車を選択したのは駅までの10分の道のりを『歩ける自信が無かったから』である。そして馬車に乗り込まなかったのは、警備上の建前の下に、身体に無駄に力の入る乗り降りや立ち座りを避けたからだった。
馬車が道を走る振動が全身に響く。胸元に激痛となって変換されるものの、まだ『我慢』は出来る。息を上手い具合に止めれば誤魔化しがきく。
ただ、止めすぎると反射で息を吸おうとして自分の中の許容出来る塩梅を超えて酸素を取り込もうと身体が動いてしまい、そうなると肺が痛み咳が漏れその弾みで腹部や胸元に力が入り結果また血がせり上がってくるという悪循環になる。
ここまでの『仕組み』を考え、ガーネは常に息は最低限に整えた。
「…ッ…ごほ、…は…」
口元を押さえて一番負担がかからないように、反射的に出る咳でさえも無理矢理押さえた。手元に血が付着するのを見て、小さく舌打ちを漏らしながら口の中に溜まった血痰を地面に吐き捨てた。そのまま口元を手で拭ってからポケットに手を突っ込み、中の内布で誤魔化すように手に付いた血を拭った。
駅に到着し、特務の一同で荷物を汽車に運び込んだ。それを見守りながらガーネは白手を嵌め、客室のドアを開けてディアマントに声を掛けた。
「陛下、お待たせいたしました。お手をどうぞ」
「…うむ」
ディアマントがガーネの手を取り、ワンピースの裾を押さえながらゆっくりと馬車から降りた。
未だ、『抱き締めて』もらっていない腕に縋り付くようにガーネの肘に手を添えて、ホームまでの道のりをゆっくりと歩いた。
衣服や手袋越しで、ガーネの体温がわからない。
ディアマントは不安そうな顔をして隣のガーネの顔を見上げると、額には汗が浮かび首筋に垂れていた。
「……ガーネ…汗が」
「馬車酔いです」
エスコートするように歩調を合わせたガーネがディアマントを汽車に乗せ、貴賓車両へと誘導した。
一度ソファに座らせ、外套を預かりカルセに託す。
汽車が予定通り動き出したのを確認し、ガーネは改めてディアマントへと視線を向けた。
「お疲れだと思いますが、すぐお休みになられますか」
「…まだ、平気じゃ」
「かしこまりました。…スメイラ、ラズリ。寝台の用意だけ整えろ。カルセは陛下にお茶をお出ししろ」
「はい」
「ガーネ、どこへ行く」
女子たちに指示をしたガーネが車両を出ていこうとするのを見て、ディアマントが慌てて声を掛けた。ガーネは一瞬だけ黙り込み、ゆっくりと息を吐き直してから振り返った。
「…便所」
「そ、そうか」
宣言通り隣の車両のトイレの個室に入ったガーネは、そこで我慢しきれずに盛大に咳き込んで洗面台で血を吐いた。あっという間に真っ赤に染まった洗面台を荒い呼吸のまま見下ろし、胸の痛みを悪化させないようにゆっくりと細く息を整え直した。蛇口を捻って水を流し、吐血した痕跡を隠滅してから顔を洗い、先程ディアマントに指摘された汗もついでに水で流した。
ハンカチで顔を拭い、正面の鏡で自分の顔を確認する。どこからどう見ても体調が悪そうなそれでしかなく誤魔化しようもなかったが、これ以上はどうしようもない。
特務の、特にディアマントの前で咳き込んで血を吐くことさえしなければ、まだ誤魔化しがきく。
とにかく、城に帰る。
ディアマントを無事に城に帰して、ヘルソニアに託す。
そこまでが『俺の役目』だ。
その後は、さすがに大人しく医務室にでも行って、仕方がないから治療を受けて、今回の遠征の報告書をまとめる必要がある。
それからきちんと、ディアマントに『好きだ』と伝えなければ。
また、後悔したくない。
車両に戻り、妙にしんとした車内に肩を竦めソファに座るディアマントの隣に腰を落とした。
「お前、ずっとそのクマ抱いてんな。そんなに気に入ったのか」
「…妾…ものすごく昔、幼少の頃に妾の母にぬいぐるみを禁止されておった」
「へぇ。なんで?」
「『王女として相応しくない』からじゃ」
「フーン。今はいいのか」
「今は、妾は王女ではない。女王じゃ。両親もとっくに鬼籍じゃ。妾が一番偉い。…妾の欲しいものは、全て妾のものじゃ」
存外『普通』の様子で話すガーネに少し安心したのか、ここまでの疲労に少しうとうとと微睡むように瞼を落とし始めた。
「寝台の用意が出来てる。寝るならベッドで寝てくれ」
「…傍に、いてくれるか」
「いるだろいつも。…ちょっと寝かしつけてくる」
ディアマントを隣の車両に案内し、ガーネはベッドに横になったディアマントの身体に上掛けを掛けた。
そのまま宣言通り寝かしつけるように胸元をとんとんと軽く叩き、ディアマントは少しむくれたような顔でガーネを見つめた。
「妾は子供ではない」
「はいはい。早く寝ろ、美容に悪いぞ」
暗くした部屋の中でガーネの顔色が一層悪く見えたが、ディアマントはガーネの声と手の感触に少しずつ抗えずに瞼を落とし始めた。
「……ガーネ…」
「ん?」
「…妾、…ガーネに、いつもみたいに抱き締めてもらわないと眠れぬ…」
「全然寝そうだけど?…帰ってからな。抱き締めたら抱きたくなっちゃうだろ、俺が」
「……やくそくじゃ」
「おう、帰ったらいくらでも抱き締めて寝てやる。『約束』な」
封印解除に向かう前は、次回のデートも死ぬなの命令にも約束をしてくれなかったガーネが、今回はきちんと『約束』をした。
ディアマントはたったそれだけのことに酷く安堵し、ゆっくりと瞼を伏せて小さく寝息を立て始めた。
翌日昼前、王都に程近い駅を通過し降車の準備をし始めた。
ディアマントは帰城に相応しい装いに整えるべく、金糸刺繍のあしらわれた生成り色の正絹のドレスを纏い、髪をシニヨンに結わえ化粧も整えた。
「ガーネ、アクセサリーはこれがよい」
デートで買ってもらったばかりのサファイアのブレスレットを手にするも、ガーネは侍女長が持たせていたアクセサリーを確認して真珠を指差した。
「駄目だ、そんな安物。その生成りのドレスなら真珠や金のが映える。侍女長もそのつもりでこれ用意してんだろ、こっちにしろ」
「いやじゃ、これがよい」
「それは『2人の時』にしてくれ」
「……わかった…」
ものすごく渋々といった様子で頷いたディアマントの首元に細い金の首飾りを付け、小さな耳たぶに触れながら真珠の耳飾りをあしらった。
「クマも抱くな、他の臣下の目に止まる。『女王』として凱旋しろ」
「いやじゃ!」
「駄目だ」
あっという間に唇をへの字に結んだディアマントを見て、カルセが小さなバスケットを差し出した。
「陛下、こちらはいかがですか?クマさんも入りますわ」
白い布を敷いた上にディアマントが拗ねた顔のままシロクマのぬいぐるみをバスケットに納めると、カルセがまるでままごとに付き合うかのようにレースのハンカチをクマに掛けた。その周辺を飾るように、デートでガーネが買い与えたリボンの髪飾りや先ほど付けたいと駄々をこねたブレスレットや簪などを並べてディアマントに差し出した。
「はい陛下。ガーネ様からの『贈り物』ですわ」
「かわいい!」
ようやく満足そうに機嫌を直したディアマントに、ガーネは小さく息を漏らしてカルセに「悪い」と短く伝えた。
汽車は無事に王都の駅に到着し、特務の面々は先に下車し周辺の警戒と荷物の運搬を始めた。




