後編
翌日、式典当日の朝。
ようやく落ち着いて眠ることが出来て疲労は幾分か解消出来た様子のガーネが、いつもの官服に袖を通しそのまま出かけようとしたところ、侍女のエナに引き止められた。
「いけませんガーネ様!本日はガーネ様のご公務デビューですよ!きちんとしなくては!」
「きちんとって……それ普段の俺がきちんとしてないみたいじゃん」
半ば無理矢理鏡の前に座らされ、普段は寝癖を直す程度の髪は綺麗に整えセットされた。官服も丁寧に念入りに埃を取り、礼装用に肩章と飾緒をあしらわれ、いつもの警棒では無く儀礼用の帯剣と、身なりを差し替えられた。
「うーん、いい出来です!完璧!イケメン!」
「え、そう?」
「そうやって調子に乗らなければ言うこと無しですね!」
「…………ハイ」
式典の会場では、普段は滅多に表舞台には積極的に出ない女王陛下がわざわざ来ることもあって飾り付けや警備の最終確認で慌ただしい。
来賓の貴族や官僚なども続々と到着し始め、庁舎前の広場は馬車で賑わいを見せていた。
「おい、今日の式典女王陛下ではなく代理の方がお見えになるらしいぞ」
「代理というと……ヘルソニア様か?」
「いや、それが」
「おい!王城の馬車が到着したぞ!全員整列!敬礼!」
よく訓練された動きで、警備の近衛兵や憲兵、警察の面々が『王城の馬車』から降りてくる人物を出迎えるように敬礼した。
周囲にいた貴族や官僚も、国のトップの下車とあって一様に立ち止まり頭を下げて待機している。
馬車の御者が車室のドアを開けた。中から踏み台に足を掛け、ガーネはゆっくりとした動作で馬車から降り立つ。
護衛も伴わずにたった一人で現れた男に、貴族や国の重鎮は動揺を隠せない。小さなどよめきを無視し、ガーネは『既に始まっている』ことを充分に理解しつつ、一度衣服を軽く正してから答礼する。
その後は形式上護衛の兵士を伴い入口へと向かうが、入口近辺で立ち止まると護衛を制止した。
「ここからは一人で良い。ご苦労、下がれ」
「し、しかしガーネ様」
普段よりも低く響く声。戸惑う護衛兵を無視してガーネは革靴の底が触れる音を響かせて会場内へと消えていく。
その所作はとても一朝一夕で身についたものではなく、非常に流麗で見惚れるものであった。
「……あの殿方どなた!?ご存知でいらっしゃる!?」
「存じ上げないわ!」
「まあ!女王陛下の直属の方でいらっしゃるの?あの方がお噂の…?」
会場前広場にいた貴族令嬢を中心に、女性からの妙に黄色い声が溢れ返る。
その実、ガーネはどちらかと言えば背も高くよく鍛えられている為身体も引き締まっている。『黙っていれば整っている』のである。
無駄な所作も発言も無い彼は注目の的であった。
しかし、会場に物々しく向かう『無駄に喋らない』彼は吐き気を耐えていた。緊張からくる吐き気ではない。
そう、ガーネは非常に乗り物に弱かった。
*****
会場への入場が一通り済み、一番最後に女王代理として来たガーネの入場番になった。
厳かに扉が開かれ、会場の視線が一挙にガーネに注がれる。
入口前で軽く一礼をし、案内される会場の一番上座の席へとゆっくりと歩を進める。
歩く度にコツ、コツと小さく靴底の触れる音がしんとした会場内に反響した。
時折見惚れた令嬢の漏らす、うっとりとした吐息が微かに漏れ聞こえる。
「本日は新庁舎落成、誠に慶賀に存じます。女王陛下ディアマントの名代として、本儀に参列いたしました。以後、お見知りおき願えれば幸いです」
周辺の来賓に一礼をし、静かに椅子の前で佇む。
自然と左手は剣の柄頭に添えられ、無駄のない流麗な所作に会場内の視線が当たり前のように集まる。
──── …眠てぇ。
ガーネは欠伸が漏れそうになるのを奥歯で噛み締める。その度、表情筋が強ばり妙にキリッと引き締まった目付きになった。
会場内で一番目立つ場所に立っているが故に、それを受けて再度感嘆の息が漏れる。
司会が進行の音頭を取って長々と話し始めたのを皮切りに、ガーネは退屈そうに遠くを見つめ、視線だけ投げるように周囲を見回した。
「────おい、女王が来るんじゃなかったのか!」
「事前情報ではそのはずだったんだが……今朝急に代理が来るって通達があって…」
「……クソ、まあいい。警備の手薄な場所は把握している。人質も大勢いる。女王代理のあの野郎で構わねぇ、殺るぞ」
会場内の一角で密かに言葉を交わす男が二人。
あからさまに何かを企てていそうな雰囲気を、ガーネは視界の端の方で捉えていた。
────なるほど、『日が悪い』…ね。
ディアマントが何故わざわざ自分に白羽の矢を立てたのか、なんとなく察する。
警戒されないように視線だけで周囲の見れる範囲を見回すと、会場には国の官僚に各部署の重鎮、貴族から平民までそれなりの人数がいるにも関わらず、その割に警備は手薄に見えた。
この人数の収容に、手荷物検査も杜撰そうだなと正面に視線を戻す。いずれにせよ自分や国の重鎮はさておいたとして『面倒なことにならない程度のオイタにしといてくれよ』、などとぼんやり考えているところで、長々とした挨拶口上が終わりようやく形式上拍手を送り着席を促された。
「きゃあーっ!」
タイミングを図ったように会場の隅から悲鳴が上がる。先程怪しい動きをしていた男が、近くにいた貴族令嬢の首元に持っていた刃物を突きつけているのが見える。
警備の兵は慌てて動こうとしているが、なかなか行動に移せていない様子である。
────よりによってお貴族様に手ェ出しやがったな、面倒なことしやがって。
ガーネは深くため息を漏らしながらも、人質を取ったということは何か要求があるのだろうとざわつく会場内で真っ直ぐに男に冷えた視線を向ける。『せめて一般人にしてくれれば後始末面倒じゃねぇのに』と他人事のように考え、そっと左腰に下がる剣の柄頭に左手を添える。
警備の兵士が迂闊に動けないのも、捉えられた令嬢がよりによって伯爵家の一人娘だからであろう。怪我でもされたら政治的に色々と面倒を被りそうである。
「いいか!俺達は歴史に名を残す!この女はその栄誉ある人質だ!」
「本来であれば女王の首を獲る予定だったが、女王代理なら貴様でもいい!そうだそこのお前だ!なんかキラキラしやがってムカつくな!さっさとこっち来い!」
刃物を向けられたガーネとはかなり距離があったが、やれやれと肩を竦め『要求通り』傍に近寄ってやることにした。
「ガーネ様!いけません!」
いけません、と制止しておきながらもまともに動く様子のない警備兵に小さく舌打ちが漏れる。
それもそのはず、この杜撰な警備の穴をつくように伯爵家の娘を人質にされ、挙句その『身代わり』に『女王の代理人』という実質この場においての国のトップを危険に晒そうとしているのだ。しかし、下手に動かれて拗れるよりそこで黙って見ていてもらった方が、ガーネとしては都合がいい。
「女王の犬、お前も死にたくなければ女王を呼べ!交渉しろ!」
「…何を交渉するつもりか知らんが、たとえこの場にいたのが俺でなくとも陛下は貴様らごときに簡単に首を差し出すほど脆弱ではない。弁えよ」
「う、うるせー!いいから女王の首を差し出せ!それが出来ねぇならお前の首でも構わねぇ!こっちには人質もいるんだ、この女の首と身体を分割して城の前に飾ってやろうか!」
「……ハァー…」
ガーネは深くため息を漏らすと一歩男達に近付く。周囲が固唾を飲んで見守る中、その踏み出した一歩によってうまく間合いに入り込むことで音も立てずに腰の剣を抜刀し、人質を取る男のがら空きの脇腹に剣を突き刺した。
「い、ッぎゃああ!」
脇腹をごく掠める程度に刺されただけであれだけ威勢の良かった男は惨めったらしく悲鳴を上げ、あっさりと人質を解放する。拘束していた腕の力が緩んだのを確認すると令嬢の腕を取り自身の背後に引き隠した。訳がわからないうちに仲間が攻撃され動揺したもう一人の男が剣を振り翳すも、いなすように簡単にその剣を受け止めると刀身で弾いて利き手を軽く切りつけた。
「…確保!さっさと動け!」
身のこなしや動き方、考え方や詰めの甘さからさほど強くないただの勘違いした雑魚であることは初めから見て取れていたガーネがあっさりと男を制圧すると、何のためにいるのかわからない警備兵に怒鳴りつけ、ようやく兵士が数人男二人を取り押さえた。
刃を軽く振る。刀身に纏わりついた血が弧を描いて宙を舞い、白い石床に赤い軌跡を残した。
その一瞬だけ、冷えた瞳が細められる。
近くにいた官僚が床に散った血液を見てだらしなく声を引きつらせるのを横目に小さく舌打ちを漏らしながら、静かに剣を鞘に納めた。
「…ご令嬢、お怪我はございませんか」
最早別の意味で惚ける令嬢に軽く頭を下げ声を掛ける。
令嬢はすっかり顔を赤くしながらも怪我は無いことを告げるように何度も頷いて見せた。
「あ、あの、助けていただいて…わたくしなんとお礼を申し上げたら、あの、お父様にお願いして今夜貴方様の為に」
「お気遣い痛み入ります。ご令嬢が無事であったのが何よりです」
令嬢の『お誘い』に被せるように形式的な言葉で返すと、自らの手元の白手が返り血で染まっているのが目に入った。
ガーネは一瞬無感情に冷ややかな目で手先を睨みつけると、ゆっくりと右手を持ち上げて白手の指先を無造作に口元へ運ぶ。
歯で布を噛み、引く。
するり、と皮を剥ぐように白が裏返り、赤く滲んだ指先が露わになる。
しんとした会場内に布の擦れる微かな音だけが静かに落ち、水分を含んだ音と共に床に雑に投げられた。
右手の汚れを左に嵌った純白で拭い、そちらも用済みとばかりに剥がすように脱いでひらりと床に捨てられる。
周囲から派手に黄色い悲鳴が上がったことで、ガーネは式典会場に目を向け直す。
式典はこれで中止だろう、と勝手に判断し踵を返した。
「お、お待ち下さいガーネ様!どちらへ!」
「どちらって…いや、もう式典終わりだろ。この雰囲気でまだやるなら俺は女王の『日が悪い』理由も解消したんで役目は終わったかなーって。つー事で帰るから後始末しとけよ。あと警備体制見直せ、杜撰過ぎ。俺だったから良かったけど参加してたのがディアマント様やヘルソニア様だったら連中、魂のカスも残せずに死んでたぞ。良かったな怪我だけで済んで」
入口に向かうガーネに媚を売る目的だったり単純に繋がりを作ろうとして何人かの官僚や貴族が駆け寄った。
「うるせー、『女王の代理』は終わりだ。飽きた、眠い、疲れた、話しが長ぇ。校長先生かよ。あ、俺も日が悪くなった。以上!」
お待ち下さい、という声や、せめて我が家の馬車を!と訴え縋る声を一蹴した。
「あ?馬車?いらねーよ酔うじゃん!」
騒がしさの元凶が立ち去ったあとの入口に視線が注がれる。会場内は別の意味でしんと静まり返り、どこかの令嬢の「なんて粗野な方…」という呟きを皮切りに、「いくらお顔が素敵でいらしてもあれでは…」「かっこいい殿方かと思いましたのに」とガーネの素の部分に幻滅したような声が囁かれた。
そう、ガーネが『黙っていれば整っている』が名実ともに露呈した歴史的瞬間かもしれない。
しかし、助けられた令嬢だけは未だうっとりとした表情でガーネの立ち去った入口を見つめていたのであった。
「……ガーネ様とおっしゃるの…素敵な方…」
「あー、疲れた疲れた。もう二度と行かねー」
乗り物酔いを理由に警備も付けずに徒歩で城に帰るガーネの姿は王都で非常に目立っている。
「…なんかご褒美でも貰わないと割に合わねーな」
*****
「ヘルソニア様」
丁度ガーネと入れ違いで地方公務に向かうべくディアマントと話すヘルソニアを見つけ、歩み寄って声をかけた。
「何かなガーネ。式典では大層『上手く』働けたようだな、何よりだ。後で陛下に『ご褒美』をオネダリするといい、犬のように」
若干の嫌味と例によって『全てお見通し』であることを含ませた返答を受け、ガーネは少し子供じみた態度で唇をほんの少しだけ尖らせた。
「……見てたんならわかってると思いますけど、次からは是非式神に行かせてください」
「?何故、其方という立派な若い労働力があるのに私が式神に力を割く必要が?」
わざとらしくきょとんとした顔で返され、ガーネはぐうの音も出なかった。
「まあ、なかなかに良い見世物であった。妾も楽しめて満足じゃ。ガーネ、褒美を取らせる」
「え、まじっすかご褒美?ほんと?なにくれんのかな」
特に何かが欲しかったわけではないものの、何か相当にいい褒美が貰えると勝手に浮かれてガーネは思わず敬語も忘れて喜んだ。
「また機会を作る故、妾の代わりに公務に赴くが良い。その義務を授けよう。喜べガーネ、嬉しいじゃろ?」
「…女王サマ、勘弁してもらっていいですか」




