292話「チェック」
「……なんだ侍女長。生ぬるい目向けやがって」
「ふふふ、いえ。なんでもないですわ、特務総監様」
翌朝の近侍朝伺にて、女王の執務室で侍女長から向けられる視線が妙にぬるい。
ガーネは怪訝そうに侍女長を見るも、昨日の『お茶会』を思い出した侍女長は小さく笑いながら肩を竦めた。
「では陛下、特に変更が無いようでしたら、夜改めてお迎えに上がります」
「うむ。…ガーネ」
「はい」
「お前に渡すものがある」
「……なんでしょうか」
ガーネはディアマントと視線は合わせずに、執務机の引き出しから取り出した書状に目を向けた。
「…妾宛じゃ。が、中はお前に宛てたもの。『妾の騎士であり、王城中枢の人間故に王たる妾の裁可を仰ぐ』という建前よ」
「……拝見します」
差し出された書状は、紛れもなくハルマニーエ家からの『正式な』縁談の上申であった。
位相管理・律衡家本家グリーチェウトの筆頭分家、ハルマニーエ家。そこの一人娘であり、ガーネにとっては血縁上はとこにあたる娘。
年齢は21、見た目は相当な美人で、筆頭分家の娘らしく教養もあり霊力も並外れている。
そうは言っても、正式な『測定』をしてみないことには定かではないが、開庭招宴で見た感じはせいぜいラズリと同じか少し強いか程度ではあるだろう。
ガーネは釣書を見て「フーン」と小さく声を漏らし、書状をディアマントに差し出した。
ディアマントは『断ってくれ』と言われるのかと思い、どこか期待を孕んだ目をガーネに向ける。
しかしやはりその視線は絡むことはなく、次いで紡がれたガーネの言葉に言葉をなくすことになった。
「私のところにも来ていましたよ、『縁談の打診』。まさか陛下のところにこの速度で寄越すとは思っていませんでしたが……そんなに俺が欲しいんですかね。いいでしょう。『一度場を設ける』とお返事いただけますか」
「………へ…」
「顔を合わせた方が早い。女官長、そのように手配しろ」
「…かしこまりました」
「では陛下。夜改めてお迎えに上がります」
一礼して退室したガーネを無言で見送り、ディアマントは少し泣きそうな顔で侍女長と女官長を振り返った。
「…あの男、受けるつもりなのか」
「……『場を設ける』と仰った以上、話を進める意思があると受け取られても致し方ございませんわね。あの方は、不要な手間は嫌う方ですもの。無意味な場は作られないかと」
女官長が静かに返答すると、ディアマントは一層表情を曇らせた。
その顔を見て、侍女長がそっと歩み寄り娘に触れるように目線を合わせて頬に触れながらも、ディアマントと同じように少し悲しそうな顔をした。
「特務総監様は、『理』で動く方です。利益があると判断なされば、そういう選択もするかもしれませんわ。個人の感情よりも、いつも役目を優先されておいでのようですから」
「…とは言え、陛下のお気持ちを考えれば…この縁談を平静に見過ごせるものではございませんわね」
女官長の言葉に、侍女長も静かに頷く。しかし、女官長や侍女長がどうこう出来るような話では到底ない。そしてガーネ本人が『話をする』と言った以上、女王もそれを覆すことは到底出来ない。
「わ、妾の気持ちとはなんじゃ!アレが縁談を受けるなら好きにさせればよい!」
思わずといったように叫んだディアマントの両手を包むように握った侍女長が、しゃがんだままディアマントの僅かに揺れる金色の瞳をじっと見上げた。
「…陛下。一度正式に他家に入ったら、もう戻せませんよ。そのお言葉、後で撤回は叶いません。厳しいことを申し上げますが、以前陛下が特務総監に言いつけた『更迭』の類とは性質が異なります」
「こ、更迭など、妾は言っておらぬ」
「その『誤解』は我々もわかっております。婚姻に関しては別問題です。一度正式にお決めになれば、陛下であっても覆せる性質のものではございません」
「……陛下。意地を張っても、いいことは何一つございません。陛下が特務総監様をお慕いしてらっしゃることは、我々とて拝見すればわかります」
ディアマントは泣きそうに蜂蜜のような瞳を潤ませながら、唇を結んでごくごく小さく頷いた。
*****
「────…突然の訪問にも関わらず、ありがとうございました」
「なに、倅から聞いてはいたし『今日なら』ということで日付を指定したのもこちらだ。気にかけるな。…で、おおよその話はわかった。敢えて今の時点では多くは聞くまい。その上で提案だが、『証人』は1人ではなく、もう1人いた方がよいと思わんか」
「…お心あたりがあれば、是非ご紹介を」
「そうだな。社交界にも顔が利き…話しの通りの早い家故、私が呼んでもすぐに力になってくれよう。場に呼んでも不自然ではない子爵が紹介出来る」
ジェスチェルト伯爵邸にて、ガーネと近衛総監ジェレイドの父であり当主のジェスチェルト伯爵と応接室で対話をしていた。
含みのあるジェスチェルト伯爵の提案に、ガーネは思わず口角を上げて頷いた。
さすが近衛総監ジェレイドの父なだけある、と感心したガーネは、笑みを堪えられなくなった。
「…『アンベスェルト子爵』…夫妻、ですかね」
「そうだ。君は聡いな。あそこの夫妻ならば、『場にぴったり』だと思わんか、特務総監殿」
「はい、是非お願いしたく存じます。伯爵閣下」
女王より、分家からの縁談の打診を持ち出されたその日。ガーネは『詰め』に向けて一日奔走していた。
次の一手は、『辺境伯』へと向けられる。
ガーネは時計を確認し、そろそろ敵地へ向かう支度をする時間かと王城へと戻って行った。




