29話「打算の尻尾」
男が立ち去って暫く経った。
潜んでいたガーネはまるで手本のように周囲を警戒し、完全に人の気配が無いことを確認してからゆっくりと例の出入り口に近寄った。
当たり前のように施錠が施されているが、それは『外からの侵入を阻む』というよりは『内からの逃走を断絶』するようにさえ見える。
「どうする、蹴破るか。…いや足持ってかれるなこれ」
どう侵入しようかと窓の無い建物を一瞥し、着ていた上着を脱ぐと腰に隠していた拳銃の銃口に巻き付けた。
これで静かになるとは当然思っていない。明らかな『銃声』として周囲に届かなければ、一発だけ誤魔化せればそれでいい。
ガーネは躊躇いなく引き金を引くと、普段よりも鈍い発砲音が周囲に響いた。焦げた匂いを発する犠牲になった衣服を捨て、砕けた鍵を確認すると一気に建物内に侵入した。
外観からの想定通り中は倉庫らしく、雑然とした中で独特の匂いが立ち込めガーネは思わず眉を寄せる。窓もない中で明かりも入らず、周囲を見回して魔法石が雑然と数個落ちているのを見つけて拾い上げた。握っていた銃で叩いて衝撃を与えるとぼんやりと光が灯り、徐々に光が広がっていくのを見てようやく奥の方へと視線を向けた。
「……やっぱり、な。こういう事かなとは思ってたぜ」
*****
「ぐす、…ひっく…」
女の怯えた小さな啜り泣きが倉庫内で響く。
声を押し殺し、姿がはっきりしない『侵入者』への警戒と恐怖に必死に堪えているようだった。そのうち、入口付近で外光とはまた別のぼんやりとした明かりが広がると、恐怖で数人が身を隠すように物陰に身を寄せた。
逃げ場は無い。
逆光で姿ははっきりしないが、体格や背丈から『先程までの男』ではないことは見て取れる。
「大丈夫だ。動けるか────時間がない、全員今すぐ立て。ここ出るぞ」
背が高く、魔法石に照らされた顔は整っており、黒みがかった深紅の瞳が妙に据わっていて彼女たちは息を飲む。手元には銃が握られているのもあって、恐怖は拭えない。
しかし、何故か全員が『目の前の男の言う事を聞くべき』と意識する。それが恐怖故なのか別の何かはわからないでいた。
「歩けないやつは?」
「だ、…だい、じょうぶ」
「よし、あと少しだけ辛抱しろ」
ガーネは中にいた少女たちの顔を確認し、調査資料で確認した似顔絵の顔と全員一致することを確認し、足早に倉庫を出る。
数日振りの外の明るさに目を細めた少女だったが、とにかく目の前の男を信じるしかなく震える足に鞭を打って必死について行った。
時折、人に出会わないように身を隠したりと路地裏を通りながらとある建物の裏手に到着した。
「すぐ戻る。全員、俺が戻るまで絶対に動くなよ。いいか、警察は信用すんな。ここでは俺だけ信じてろ」
こくこくと数人が必死に頷くのを確認してから、ガーネは小走りで建物の正面の方に走っていく。
「…あの…ひと…」
「………ま、また犯されるのかな…」
「わかんない、けど…大丈夫な気がする…」
「こわい、お母さん…おかあさぁん…」
小さな声でひそひそと声を掛け合いながら、先程までの恐怖を思い出して再び全身に刻まれた屈辱と恐怖が想起される。
それでも、『突然現れた男』に縋るしか無く、彼女たちは大人しく彼が戻るのを待っていた。
ほんの数分後、彼女たちが身を潜めていた建物の従業員通用口が開き、ビクリと身体が震え硬直した。
「待たせたな、入れ。ついて来い」
この建物の従業員と思わしき男女と、先程あの地獄のような場所から連れ出した男の顔がドアから覗かれ、彼女たちは無意識に安堵の息を漏らした。
「お前ら、後はこの宿の主人達に任せてるから、風呂でも入ってゆっくり休んでろ。飯食えるなら好きなの食って良い。とにかく俺が戻るまでこの夫婦の言う事以外信用すんな」
「じゃ、お部屋行きましょうね。こちらにいらっしゃい」
宿の女将が彼女たちを部屋に案内するのを見届け、ガーネは店主に向き直る。
「金はさっきも言った通り、言い値で王城に請求して構わない。俺が戻るまであと頼む」
「はい、仰せの通りに…ガーネ様。お言いつけ通り、警察にも…一旦は彼女たちの家族にも、内密にしておきます」
昨夜ガーネが宿泊した宿屋の夫婦に彼女たちを託した。
ガーネは小さく舌打ちを漏らすと、この街の警察署長の邸宅に向かった。
「それにしても…腐ってやがるぜ、俺の憧れた警察官ってなんなんだクソが」
今朝と同じように、屋敷を見張ると程なくして署長の男が外出するため自宅から出てくる。正直徹夜を覚悟していたガーネであったが、出かけてくれるのならばと先ほどのように男を尾行した。既にもぬけの殻である倉庫に向かうのかと思いきや、行き先は全く別であった。
遮蔽物でうまく身を隠しながら、署長の入っていった建物を睨むように見据える。なるべく気配を殺して建物に近付くと、古びた廃礼拝堂を見上げた。
「………チッ…」
もはや恒例行事のようになりつつある独特の嫌な気配に思わず左手の指輪を握り締める。
廃墟らしく朽ちた箇所がいくつもあり、まともな入口らしい入口も無くなっていた。
署長の姿を視認できる範囲に移動すると、見覚えのある身なりの人間が三人程確認出来る。
「何用だ、我々『執行者』は貴様のような『帰依者』と異なり多忙の身」
「正しい均衡の執行の為お前に割く時間は数分ですら惜しい」
「はい、はい。仰る通りで…実は『献上』したい供物がございまして、はい」
妙にへりくだった署長がごまを擦るように『欠けた円の刺繍の施されたローブ』姿の人間にペコペコと頭を下げていた。
「ほう?供物、とな」
「ええ、はい。街のとびきりの美女をですね、はい。皆様方のいい慰み者にも出来ますし、いかようにも、はい」
少し離れた場所で耳を欹てるガーネですら感じる程に、空気が張り詰めるのを感じる。
ほんの一瞬の僅かな間を置いて、『執行者』と名乗った異端均衡者の一人が声を上げて笑い出した。
「ははは、それはそれは。結構なことで…」
その言葉も笑いも、署長の申し出を喜んでいるわけではないというのは、ガーネですら察するに余りある。しかしそれを署長は理解出来ていない様子で、食い気味に身を乗り出して更に言葉を続けた。
「ええ!ですから、私も『准洗礼』を受けて帰依者に昇格した身。この供物の献上をもって、私も是非『正洗礼』を…!」
署長が『執行者』と名乗った人間達に捧げるように手にしていたのは、邪教である彼らのシンボルマークである欠けた円の紋様の印された一枚の呪符。
執行者は妙に恭しい態度でその呪符を受け取ると、署長の表情が晴れやかな笑顔に満ちる。
「お待ち下さいね!たっ、ただいま供物を連れてまいりますので…!」
おそらく「そうではない」ことはガーネでも理解できた。
少し高い箇所から偵察していたガーネはバタバタと走り去る方向を確認し、どちらに行こうかと少し考える。
「…こないだのクソみてぇな事件のローブ男よりは、やりそうな連中だな」
力量は測れないながらも、先日対峙した男よりは確実に手練れでありそうな空気感、相手は三人。
かたや一方はおそらく邪教のトカゲの尻尾切りに遭いそうな、ただの下衆な男一人。
分の悪さや明確に断罪する大義名分を与えられた相手は言わずもがな後者である。
ガーネはちらりと執行者たちローブの三人組を一瞥し、方向と直前の言動から先程の倉庫に向かったであろう男を追って走り出した。




