28話「犬」
ガーネが酷く疲れた顔をして警察署を出た時には、すっかり日が暮れていた。
「…飯……いや、ぼったくられる…」
肩と首に手を当て、空を見上げて深く息を漏らすと関節を軽く鳴らして小さく呟く。
「……ま、『女王様のお小遣い』はこの為にあるか」
観光地価格はこの際さて置いたとして、ガーネは警察署を振り返り自分の勘の良さに舌打ちをした。
この勘が今回は当たらなければ良いと内心願いながら、近くの店で適当な食事や雑貨その他を買い込んで宿に向かう。
部屋に入り、上衣をベッドに投げ捨てて拝借した捜査資料や調書の束を机に広げた。
例によって、嫌な予感がする。
女王やスメイラに『犬』と揶揄されることが増えた自覚はあるが、正しく犬のようだと野生の勘のような胸騒ぎをかき消すように先程散々読み漁った資料に目を通し直す。
それから事件の捜査責任者から聴取した内容も照らし合わせ、紙に整理するようにまとめていく。がりがりとペンの走る音だけが静かな室内に響き、ガーネは書くことで頭の中を整理する。
「…くそ、スメイラのヤツ無理矢理連れてくれば良かったかな」
調べて、整理すればするほどに一番考えたくない可能性に結びついてしまい、それを客観的に否定したくてふてぶてしい女の顔を思い浮かべる。ただ、連れてきたところで「自分で考えれば?お巡りさん」とあしらわれそうな気もし天井を仰ぎ見た。
「……仕方ない張るか…あー、ここに来てこんなことしなきゃいけないのかよ…俺もう疲れたよ…」
ペンを机に放り投げ、ガーネはそのままベッドに飛び込んで目を瞑った。
「……もう少し真面目に魔法とか練習しとけば良かったな」
かつて幼少の頃に、親に倣って魔法の練習のようなことをしてみたことがあったのを思い出した。
基本的な風の魔法を発動させようとしては家の屋根が飛び、母に叱られた。
基本的な火の魔法を使おうとしては、少し遠くの丘が時間差で爆発した。
お前は壊滅的にセンスがない、と窘められ、代わりに運動をしてみてはどうかと言われそちらの方面にガーネの才能は全振りしたのであった。
「魔法使えたらなーもう少し捜査も楽出来んのになーフィジカル特化の俺じゃ結局自分が動くしかねぇもんなー。………あークソ練習したって無駄じゃねーかムカつくな」
一人の空間で苛立ちを露呈させ、翌朝から身体を張ることを考慮して無理矢理意識を睡眠に向けた。
翌朝、起床したガーネはシャワーを浴びて頭を覚醒させて意識を切り替える。
「さて、やるか」
浴室から半裸で部屋に戻ると、昨夜買い込んだ衣服に着替え帽子を被った。恐らくは昨日の官服姿がインパクトが相当に強いだろうと、このような簡易的な変装紛いでも通用するだろうと鏡を見てから宿を後にした。
事前に調べていた住所に向かい、同じように事前に入手していた勤務管理表を元に出勤時間前と思わしき時間にとある屋敷の前で張り込みをした。
「……ビンゴ」
予定通りの時間に、屋敷から一人の男が出てくる。ガーネはその後ろを尾行し、様子をつぶさに確認する。男は予定通りの時間に職場である『警察署』に出勤し、自身の執務室である『署長室』へと向かっていく。
「同じ警察官の、ましてそこのボスを疑わなきゃいけないなんてなぁ」
やるせない気持ちを抱えながらガーネは警察署の裏手に回る。そして一本の木に登り、枝振りのいい場所に木の葉に隠れるようにして身体を落ち着けた。想定通り、署長室の中までよく見渡せる位置取り。このあたりは昨日のうちに下調べ済みであった。あとは対象が窓の外を凝視してガーネの姿に気付いたり、カーテンを閉めて中が見通せなくなったりしないことを願うばかりである。
「あーあ、腹減ったなー」
それから数時間、表面上は決裁書類に目を通したりと仕事をしていた対象であったが、昼過ぎに動き出した。
廊下の窓から、しきりに周囲を気にかけながら裏の通用口へと向かう姿を確認できる。
通用口から裏門を出て、角を右に曲がって行ったのを見届けてからガーネは木から飛び降りた。地面に着地した後は小走りで裏門へと向かい、対象の向かった先へと視線を投げる。ある程度距離の離れたところで、ぎりぎり視認できる距離を保って後ろを尾行した。
対象が再び周囲を見回す。
左右に人がいないのを確認し、倉庫のような建物へと入っていった。
「フン、下手くそめ。後ろから尾行されてんだよバーカ」
ガーネは素早く男の入った建物の入口に張り付くと、耳を寄せて中の気配を伺う。
見た目以上に扉は分厚いようだが、魔力の気配は特になく特別結界などが張られている様子は見受けられない。
人の気配は感じるが、中に何人いるのかまでは測れず、なるべく足音を立てないように周囲を調べる。
特に中を覗けそうで音が漏れ聞こえそうな箇所も見当たらず、諦めて対象が出てくるのを待つことにした。幸いにも出入り口は先程男が入っていった一箇所しか無かったため、その近くに身を潜め様子を伺った。
そこから更に数時間経過し、ようやく入口のドアが開く。
「ふう…じゃあ、また『いい子』にしているんだよ。逃げたり騒いだらわかっているね」
男は中の誰かに向かって声をかけていた。その声に混じって、微かに女の啜り泣くような声が、確かに聞こえたのであった。




