257話「機密」
女王の執務室から戻ったガーネは目に見えて機嫌が悪かった。
ただ機嫌が悪い種類が、なんとなくではあるが『いつもと違う』感じだけは、特務の一同は見て取れていた。
付き合いからガーネは機嫌が悪くても、その不機嫌さでメンバーに理不尽に当たり散らすようなことはなく、サイフィルの雑な絡みに対して必要以上にブチ切れる以外は特に実害が無いため、いちいち『どうしたの』と問いかけることもない。
むしろ、特務にも関わりのある方面の苛立ちのときは口に出すため、言わないということは私的なことなのだろうと判断していた。
そういうときは決まってカルセは『かなり甘めにしたココア』を用意した。
「ガーネ様。おやつ、先ほどお使いに出た時に見かけて買ったんですけれど、マカロンとマドレーヌどちらがよろしいですか?」
「…マドレーヌ」
「かしこまりました、ご用意しますわね」
カルセがお茶の用意をするためにお湯を沸かし始めたところで、ガーネは先ほど中途半端にしていた書類を手にし直した。
そこでラズリが特務室に戻って来た。
「ガーネ、喋れそうだけどどうする」
「すぐ行く。カルセ、悪い。茶はいらん」
「わかりました、ではお戻りになった際にご用意いたしますわ」
「おう。…ラズリ、先行って準備と人払いしとけ」
「りょーかい。アメジ、アンタさっき頼んだ物品受け渡し行ってきて。どっちにしてもアタシじゃか弱いから、重くて運べない」
「わかったわ。あたしもか弱いんだけどね?」
王都中央区散策時に捕縛し、ガーネが口元顎元を強かに殴りつけた教徒がようやく多少喋れるようになり、満を持してガーネは尋問に向かうべく官服を脱いでネクタイを外した。
ガーネが出て行ったあと、アメジもラズリのお使いのために席を外す。
「カルセさん、ごめん。私もちょっと離席するね、今度の開庭招宴の招待リストを文官のところでもらって来ないと。ついでにお昼食べてくる」
「かしこまりました、なにかあればお呼びしますわ」
「あれ、スメイラさん僕にはなにか頼まないの?」
「うーん、君はカルセさんの言う事聞いててくれればいいかな」
特務室はサイフィルとカルセだけになり、カルセはタイミング良く沸いたお湯でサイフィルと自分の分のお茶を淹れて差し出した。
「おやつはあとで、みんなでいただきましょうね」
「つまんないなー。書類も簡単なのしかさせて貰えないしさ」
「そうは仰っしゃっても、わたくしたちだと差し戻されてしまいますもの」
カルセはデスクの上の書類を見つめて小さく肩を竦めた。
「せめて、このくらいは完璧に出来るようになりましょうね、サイフィルさん」
「ねーねー、ガーネの肩書・役職って正式名称なに?」
「……ええと…お待ちくださいまし」
カルセがメモを確認しようと机の引き出しを開け、過去の書類の写しを見本用に取っておいたものを取り出そうとしたところで、特務室の扉がノックされた。
「はい、…まあ、ファルさん。ごきげんよう」
「ごきげんよう、カルセさん。特務総監様いらっしゃいますか?昨日お戻りとお伺いしております」
最近妙に出入りする新人文官補ファルが特務室に入るなり、にっこりと人懐っこい笑みを浮かべた。
「ええと、出張からお戻りではあるんですが今別件で出ておりまして…」
「まぁ、またですか?待たせていただこうかしら」
「いつお戻りになるかわかりませんので…」
そう言って制止しようとするカルセを無視して、ファルは特務室内を歩き始めた。
「ファルちゃん、ガーネならまじでしばらく戻らないよ。今出てったばっかだし」
「あら、そうなんですの?困りましたわ。どちらに行かれましたの?私直接お伺いしようかしら」
「尋問しに地下牢に」
「サイフィルさん!」
「あ」
「地下牢…」
カルセの制止も虚しく行き先も目的も知られてしまったが、そのうち書類で見れば尋問していたことは知れてしまう。カルセは小さく息を漏らし、ファルに声をかけた。
「行っても無駄ですわ、人払いなさっておりますので」
「…そうですか。あ、これ特務で止めていらっしゃる書類ですね。ついでなので私の方で回収しておきます」
ファルはガーネのデスクに歩み寄り、勝手に選り分けていた書類の束を手にして自分が差し戻したものを含めて数枚適当に引き抜いた。決してガーネも雑に置いていたわけではなく、わざわざ伏せた状態でまとめていたものに手を出したため、さすがのカルセも少し焦った様子で止めに入った。
「こ、困りますわ勝手に」
「困るのはこちらなんです。特務で毎回差し戻しになって、その書類も今回は3日も止まっていて。ね?サイフィルさんなら、私が困ってるのわかりますでしょ?」
見た目は相当に整った美少女であるファルが、わかりやすくサイフィルに歩み寄り上目遣いで縋り付いた。
女性耐性の皆無なサイフィルは途端になにも言えなくなり、小さく頷いた。
「お、女の子困らせたら駄目だよねガーネも」
「嬉しい!わかってくださるの、特務だとサイフィルさん『だけ』ですわ!」
「ですが、特務総監であるガーネ様の確認もなしに書類を持ち出されてはこちらも困ります、ガーネ様がお戻りになりましたら至急お持ちいたしますので…!」
「……ひどい」
ファルの丸く大きな瞳に涙の粒が浮かび、カルセは少したじろいだ。
「そんな、私だって新人なりに一生懸命やっておりますのに。カルセさん、そんなきつい物言いなさらなくても…」
「………かしこまりました。では、お持ちください。『差し戻された書類のみ』で、お間違いございませんか?」
「ひどいですわ!信用なさらないんですの!?」
「わ、わかったファルちゃん、僕からガーネに言っておくから泣かないで!ね?」
ほんの数分だけ啜り泣いたファルは、ぺこりと会釈してハンカチで目元を押さえながらちゃっかり書類を持って特務室を後にした。
「…サイフィルさん」
「え?なに?」
「なに?じゃございませんわ!機密の何たるかをわかっていらっしゃらないんですの!?」
珍しくカルセが叱責する様子に、サイフィルもさすがにしゅんとした様子で小さく「ごめん」と呟いた。
「…とにかく、書類の件はわたくしがガーネ様に謝罪いたします。サイフィルさんはなにもおっしゃらないでくださいまし。もう、お使いにでも行ってくださいな。エイミーさんのお手伝いなさってください!」
「はーい…」
「あ、いっけない。適当に抜いてきたから、差し戻しじゃない書類も混じってた。ま、いっか。あとでガーネのところに行く口実出来たし」
文書統制係へ戻る道すがら、ファルは嘘泣きでけろっとした顔のまま書類を眺め小さくいたずらに舌を出して呟いた。




