254話「蜂蜜とロイヤルブルーサファイア」
私室に寄ってから真っ直ぐに女王の執務室に向かい、扉をノックした瞬間、ノックに被せるように「入れ」と声を掛けられ、ガーネは思わず眉を寄せた。
何故そんなに食い気味なのか。
逆にガーネの方が一拍置いてしまい、静かに「失礼いたします」と声を掛けてからドアを開けて室内に入った。
応接スペースのソファに腰を下ろし、足と腕を組んだディアマントが不機嫌そうな顔でガーネを見た。
「…ノルデンより帰還しております」
「知っておる」
「怪我はしていません」
「知っておる」
「………」
「………」
ディアマントの不機嫌の理由が帰還後すぐに顔を出さなかった無礼を働いたせいかと予想がついたガーネは、何かを言われる前に素直に頭を下げた。
「ご報告が遅くなり、誠に申し訳ございません」
「………」
それに関してディアマントは何も言わずに無言でガーネを睨んでいた。
これ以上の謝罪のしようがないガーネも少し困った様子で頭を下げたまま視線を泳がせ、今日は素直に退散すべきかと再度口を開いた。
「…一番にご報告に上がるべきところ、このような時間になり申開きのしようもございません。大変申し訳ございませんでした。以後気を付けます。ご不快でしょうから本日はこのまま失礼いたします」
「待て」
「……はい」
「そこに座れ」
ディアマントが指を差したのは、まさかの床であった。
ガーネは指し示された箇所に足を進め、言われた通りその場に正座した。
「何故妾のところに一番に来なかった」
「……この空気で言いたくありません」
「ほう」
この期に及んで『理由を聞かれて答えない』ガーネの肝の据わり具合にある意味関心したようにディアマントが声を漏らし、頬杖をついてガーネの顔を見下ろした。
「命令じゃ、申せ。嘘偽り無く、妾を蔑ろにした理由を述べよ」
「……蔑ろになんかしたつもりないですけど。一番時間を長く確保したかったから、仕事含めて全部終わらせてから来たつもりだったんですが。次回以降は短時間であっても貴女のところにまず顔を出すようにいたします。申し訳ございませんでした」
「…え」
伊達に長く王として玉座に座っているわけではないディアマントは、ガーネのその言葉が嘘ではないことはよくわかる。しかし、意図と意味までは思考が追いつかずに黙りこくってしまった。彼女の想像の範疇にない解答だったからである。
「…ガーネ」
「はい」
「お前は、妾と長くいたかったのか」
「そりゃそうでしょ。…ご迷惑なら控えます、『以前のように』最低限にいたします」
「それはだめじゃ」
「でも俺、こんな床に正座までさせられるほどに陛下の怒りを買ってしまったようですし」
「こ、今回だけ許す。こちらに来い」
意外と呆気なく納得したディアマントがあんなに怒った顔をしていたのに誤魔化しきれないほどに小娘のような顔をしながら自分の座っているソファの隣を叩いた。
「…お前、簡単な女だな。そんなでよく『女王』なんて……ああ、『外面女王』なのか」
自分への揶揄である『外面統裁官』に掛けて返しながら、立ち上がって隣に腰を下ろした。
「ま、でも『今回は』すみませんでした普通に。ちょっと色々あってすぐ顔出し出来なかったのは事実です。ほんとは一回顔出してから夜ゆっくり来ようとは思ってたんですけど」
「ふ、ふん!」
「ディアマント様、土産あるけどデカいのと小さいのどっちが欲しいですか」
「大きいの」
「ぶ、まじか。じゃあはい『デカい方』。どーぞお納めください」
ガーネは吹き出して笑いながら紙袋から贈答用にラッピングされた瓶を取り出して目の前のローテーブルに置いた。
「なんじゃこれは」
「北の方じゃ名物らしいですね、乾燥無花果の蜂蜜漬け」
「ほう、また洒落たモノを」
ディアマントの細い指がラッピング用のリボンを解き、オーガンジーの包装を開いた。中から現れた透明な瓶の中につまった蜂蜜と無花果がきらきらと室内の明かりを反射させ、ディアマントは瓶を持ち上げて目を輝かせた。
ガーネは瓶の中身と同じディアマントの蜂蜜色の瞳を横から眺め、小さく笑みを零した。
「食べたい、食べてみたい」
「俺は良いけど女官や侍女に怒られないか」
「平気じゃ、いっこだけ」
そう言って瓶の蓋に手を掛け捻るも、ディアマントの細腕ではなかなか開かずガーネはその光景を見て何となく欲情しそうになるのを誤魔化すように手を差し出した。
「貸せ、開けてやる」
大人しくガーネに瓶を差し出し、簡単に蓋を開けてやると、ディアマントはますます目を輝かせて中身を覗き込んだ。
「これはどうやって食べるのじゃ」
「指突っ込んで摘んで食えば」
「はしたなくないか」
「はいはい、…ほら」
自分の指を瓶に突っ込み無花果を一つ摘み上げ、垂れる蜂蜜を瓶の縁で簡単に落としてからディアマントの口元に差し出した。
小さな口を開けて一口齧り取ったディアマントは、すぐに顔を綻ばせた。
「…美味しい!」
「でしょ。俺もガキの頃これは好きで結構食ってたし」
当たり前のようにディアマントの齧りかけを口に頬張り、指先についた蜂蜜を舐め取ってから瓶の蓋を閉めた。
「もう少し食べたい」
「だーめ、太るぞ。また明日な」
勝手に開けられないように堅く蓋を閉め直してからローテーブルに置くと、わかりやすく拗ねたような顔でガーネを睨んだ。
「…ガーネ」
「なんだよ、今日はもう食わせないぞ」
「そうではない。小さい土産も寄越せ」
「はぁ?欲張りだな」
「妾が大きい方ではなく最初に小さい方を選んだら、小さい土産は妾のものだったのか」
「そりゃそうでしょ」
「なら、この無花果はどうなった」
「俺の気が向いたらお前にくれてやってたかもな。ま、とは言えお前に買ってきたやつだし」
「では小さい方も妾のものじゃ。早く寄越せ」
「はいはい。どーぞ、女王陛下」
ガーネがさも『ついで』のように出した箱は、明らかに本命の顔をした箱であった。
王室でも何度か取り扱ったことのある宝飾品店のブランドのロゴに、ディアマントは『確か北にこの店の本店があったな』と記憶を辿る。
どこからどう見ても贈答品として包まれた包装とリボンのあしらわれた箱を手に、ディアマントはガーネの顔を見つめた。
「開けても良いのか」
「そりゃ、あげたもんだからな。似合うとは思うけど、言っとくけど『安物』だぞ」
以前ガーネがディアマントに贈った髪飾りも、外遊の際に見ていただけなのに買ってきたピアスも正直本人は『安物』と言うが、決して安くはない。ディアマントが手にしたブランドのアクセサリーも含め、どれも『王族が身につけて品位を損なわない』価格帯のものに違いない。ディアマント自身も相当目利きはする方であるし、庶民の感覚で言っても『安物』と簡単に扱う価格帯のものではない。
改めてガーネのプライドの高さと頭の良さにディアマントは笑みを浮かべながら包装を解いて箱の蓋を開けた。
「…ロイヤルブルーサファイア」
「お、さすがの目利き」
地金がプラチナの台座のロイヤルブルーサファイアのチョーカーで、ディアマントの見立てでも120〜140万前後か、というところであったが、さすがに値段まで言う程ディアマントも野暮ではない。
「お前は本当に頭が良い男じゃ」
「はは、そりゃどうも。安物でしょ?もっとカラット上げたりカット変えたりとか、そもそもフルオーダーにすりゃ天井は上げれるけど、『1人の臣下からの贈り物』ならギリギリのラインかなと。それ以上のヤツだと政治的にいやらしいだろうし」
要は『強請られればいつでもこれ以上は与えられる』と含ませているようで、ディアマントはガーネの独占欲の強さに肩を竦めた。
「しかし、チョーカーな。妾は十分『いやらしい』と思うが」
「こないだの外遊の時の青いドレス、よく似合ってたんで」
「付けてみたい」
「はいはい、後ろ向いて髪持ってもらえますか」
ガーネが箱からチョーカーを取り上げると、ディアマントは素直に背中を向けて下ろしていた髪を軽く持ち上げた。
露わになったうなじを眺めながら、何度かお預けになっていることを思い返しつつ手を回して首の後ろでチョーカーの留め具を掛けて留めた。
ディアマントが正面に向き直り立ち上がると、執務机に向かい引き出しから手鏡を取り出し、ガーネの隣に戻ってから鏡で首元を眺めた。
「似合うか」
「似合うと思って買ってんだけど。俺の見立てだぞ、可愛いに決まってんだろ」
満足そうに笑ったディアマントを見て、ガーネは密かに次は何を貢いでやろうかと考えていた。
「…そういえば」
「あ?なんだ」
「侍女が言っておった。お前、妾に『行ってきますのキス』をして行かなかったな。妾はそういえばそれに関しても怒っておったわ」
「忘れてたくせに何を言ってんだか。それにお前、侍女に言われた『適当なこと』鵜呑みにしてんなよ」
「適当?」
「そういうのはな、『行ってきますのキス』じゃなくて、『行ってらっしゃいのキス』をするもんなんだよ。お前がな」
最後の最後、勝ち誇った顔をしたガーネが静かにディアマントに言い含ませたのであった。




