247話「暇」
「────あ。やべ、財布忘れてた」
翌朝、特務室内でガーネが思い出したように呟いた。
「お金使うの?貸そうか?」
ラズリが財布を出してガーネに声をかけるも、現金使用の予定ではなく中身の問題であった。
「金は別にいいんだけど、身分証入ってる。大体顔パスで行けるけど、最近新人の門番いたりするから身分証無いと出た時困るな」
「あー、確かに。こないだの会議の時ご側近様言ってたもんね」
「…駄目だ、現金はどうでもいいけど証書も全部入ってたからやっぱ取ってくる。ついでに仕事の話して来る」
普段の予定よりも少し早いが、ついでに『女王の予定確認』の仕事もこなしてしまうかと女王の執務室へ向かうガーネだったが、違和感に気付く。
「……?」
女官や侍女たちから向けられる視線が、妙に生ぬるい。
なんとも言い難い視線や含みのある表情に小さく首を傾げながら、執務室のドアをノックする。
入室を促され、室内に入ったあとにたまたま居合わせた女官長にまで形容しがたい視線を向けられ、軽く会釈をする。
その後にディアマントに視線を向けたところで、ようやく女官長たちの視線の意味を理解した。
「あ、やべ」
「……まあ、わたくしからは何も申し上げませんわ。大人ですもの。無理矢理狼藉を働いたとあっては話は変わりますが」
「ハイすんません。…陛下、俺の財布……財布で思い出したが女官長。陛下の教育をしっかりしろ、ろくに買い物も出来なかったぞ」
「ええ、侍女長から聞いておりますわ。基本陛下がお買い物なんてなさる必要もないですから…まぁ、特務総監の仰る通り、多少世間知らずなところもございましたようなので…その辺はよくお伝えいたしますわ」
「…なぜ妾も怒られるのじゃ」
「いいから俺の財布。身分証入ってんだっての、締め出し食らうだろ。あと今日の予定、無いですね。はいじゃあ失礼しようかな」
ディアマントに付けた首元から鎖骨、胸元のかなり際どい箇所まで散らしたキスマークが思いの外くっきりと残っており、自分なりには加減したつもりがそこそこ強く吸い付いていたことを物語っていて女官長の視線から逃げるようにさっさと退散しようと試みる。
しかし意外にも『叱責』の類ではない様子で、「ほどほどになさいまし」と含めるように言い退散していったのを見て、ガーネは気まずそうに視線を漂わせた。
その様子を見ていたヘルソニアが小さく吹き出して笑ったのを見てガーネ自身色々と諦めたように小さく息を漏らした。
「…女連中の生ぬるい視線の理由はこれか。…まあいいや、ところで本題があるんですが」
「お前、先程さっさと退散しようとしておったではないか」
「後で出直そうかと思ったんだよ。…真面目な話なんですが、数日暇をいただけませんか。3日で戻ります」
「なんじゃ、サボりか」
「違いますって。実家に行こうと思います」
ガーネの申し出に、空気がひりついた。
一瞬しんと室内が静まり、ヘルソニアだけでなくディアマントも表情が冷えて『公的な顔』に変わった。
「実家…ほう。『どっちの』実家じゃ」
「グリーチェウト、本家の方へ」
「…3日でよいのか」
「はい、大体アタリはついております」
「…よい。許可する。3日以内に戻ると約束せよ」
「承知いたしました」
ガーネが一礼すると、それまで黙っていたヘルソニアが声をかけた。
「特務はどうする。今回も連れて行くのか」
「いえ、置いていきます。3日くらいなら大丈夫かと思いますが…どちらかと言えば、『俺が出た先』の方に来そうですし。ただ、調整は滞りなく行ってから出かけます」
「そうか、わかった」
「では、目処が立ちましたらまたご報告に参ります」
ガーネは頭を下げてからディアマントに向かって手を差し出した。
「なんじゃ」
「俺の財布」
*****
約半月ほど前の騎士叙任含めた人事と今後の外遊の増加を考慮した人員拡充に伴い、王城防衛局警務調整課にも新人の文官が配属された。
配属先は、文書統制係。
「『特務』ですか?」
「そう、今回結構不備多くてねー。いつもそんな事ないんだけど、まぁ体制変わって忙しくなっちゃったのかな。特務の人来たら差し戻しておいて」
「……あ、でしたら!私、新人で配属されたばかりなので、ご挨拶も兼ねて持って行きます!」
「そこまでしなくても大丈夫だよ、急ぎじゃないし」
「でも、これからお顔合わせる機会たくさんありますもんね?近衛と衛兵と特務は。だったらご挨拶しないと、失礼になりますわ」
「…そう?じゃあ、お願いしようかな。場所はわかる?俺案内してもいいけど、今ちょっと手が離せなくてね」
「大丈夫です、私の方は今立て込んでいないので地図見ながら行ってきます」
「知らない人にナンパされても着いてっちゃだめだよ可愛いんだから。あ、こんなこと言ったらセクハラか」
「うふふ、いやですわ主任ったら。大丈夫です。行ってきます」
「いやぁ、若くて可愛い子が入ると花があっていいね」
「ほんとですよ」
文書統制係は主には近衛・衛兵・特務、そして外部警察との書類のやり取りの窓口になる部署である。20代前半の若い女性が配属されたのは久しぶりであり、部署内では配属された女性の見た目の愛らしさや若さ、それだけではなく頭の良さや要領の良さですっかり全員が骨を抜かれていた。
十数分後、特務室の扉がノックされてカルセが応対した。
「はい、いかがなさいましたか?」
「あ、特務総監様いらっしゃいますか?」
名乗りもせずにいきなり不躾に尋ねた彼女に、カルセは僅かにたじろいだ。
「ええと…総監は只今離席しておりますわ。どのようなご要件でいらっしゃいますかしら」
彼女は僅かに値踏みするような視線をカルセと、そして特務室内全体に一瞬投げてからにっこりと愛らしい笑みを浮かべた。
「私、文書統制係に配属された新人文官補でして。特務から提出された書類に不備がたくさんあったので、そちらの差し戻しとあとはご挨拶です」
「まあ、さようでございますか。でしたら補佐官で対応いたしますわ。スメイラさん、よろしいでしょうか」
「はーい。…はじめまして、総監補佐のグリウです。不備ってどんな不備でした?」
「………特務総監の、承認サイン漏れですわ」
「え、……ちょっと、サイフィルくん。ガーネくんにサインもらわなかったの?貰ってから出してって言ったよね?」
「あ!ごめん忘れてた!」
「まったく…すみません、失礼いたしました。総監戻り次第サイン貰って再提出しますので、お預かりします」
しかし、文官補の彼女はにっこりと笑みを浮かべて近くの応接ソファに視線を向けた。
「いいえ、結構ですわ。他にも不備箇所いくつかございますし、直接お話しさせていただきます。あとは先程もお伝えした通り、ご挨拶申し上げたいので」
「他の職務もあるので、いつ戻るかわかりませんから。なので補佐官である私が責任をもって伝えさせていただきます、挨拶なさってたことも含めて」
「ご心配には及びません、他の仕事をしながら待たせていただきますわね」
そう言ってソファに腰を下ろすと正面のテーブルに書類を並べてこれみよがしに整理をし始めた。
「………わかりました」
勝手に座られてしまってはどうしようも出来ず、スメイラとカルセは諦めて自席に戻った。
ラズリがソファを一瞥してごく小さな声でスメイラへと声をかけた。
「なにあの子」
「…文書統制係の新人さんらしいです、書類不備で『わざわざ』来たみたいで」




