25話「余燼」
『お前は俺が守ってやる、だからお前は俺の言う事聞いて俺の後ろにいればいい。俺がお前の全部を引き受けてやる、それが出来るのは俺しかいない。なあ、そうだろ?俺の言う通りにしていれば、お前は間違えない』
『────…ミナト』
いつもよりも、少し視界が明瞭になった夢。初めて『自分が守るべき』女の子の輪郭がぼんやりとではあるが見えた気がした。
「……あの子、泣いてたな」
夢とは言え、あの女の子を泣かせたやつが許せない。どうしてそんな気持ちになるのかははっきりしないが、夢から覚めたガーネはいつもこの『前世』の夢を見て目覚めたときと同じように酷い倦怠感を覚えた。
この倦怠感は、果たして夢のせいだけなのだろうか。
ガーネがごろっと寝返りを打って深い溜息を部屋に響かせる。
寝起きで霞んだ目で天井を見ると豪奢なシャンデリアが視界に広がり、視界の端には贅を極めたような調度品が映り、ここが城の中の自分に与えられた一室であることを思い出した。
気怠い身体を起こして窓の外を見ると、すっかり空は橙に染まり結構な時間眠っていたことを悟る。
寝乱れた赤毛をくしゃりと掻き上げ、今日一日で何度漏らしたかわからない深い深い溜息を吐き出し、ベッドサイドのテーブルにいつの間にか置かれていた水を一気飲みした。
少しベッドに腰掛けてぼんやりと佇んでいたところで、こんこんと部屋のドアが静かにノックされた。
「ガーネ様、お目覚めでしょうか」
「…エナ」
ガーネ付きの侍女のエナが部屋に入ると、着替えのシャツや入浴用のタオルなどを差し出した。
「湯浴みのあとのお食事ですが…」
食事の話題を出され、朝に菓子パンを押し込んだ以来であることを思い出す。
昨夜に引き続き、空腹感はあるが食べたいような気持ちにはならない。
ガーネは少しだけ考えるような素振りを見せると、タオルを持って立ち上がり小さく首を振った。
「いや、せっかくだけど…風呂入ったら食わないでさっさと出るかな」
「ほう?妾と食事が出来ぬと申すか」
思わず声が引きつるガーネと、流麗なカーテシーで頭を下げるエナ。
「ガーネ、湯浴みの後で構わぬ。部屋に来い」
「…か、かしこまりました」
ドレスの裾を翻し、警護の近衛兵を引き連れて部屋を出るディアマントの後ろ姿を最敬礼で見送る。
「…ガーネ様?湯浴み、お手伝いいたしましょうか?」
ガーネの様子にエナがきょとんと屈託のない笑顔を向けた。
その純粋な表情にガーネは本日一番深い溜息を盛大に吐き出して目を向け直した。
「……俺、ちょっと調子に乗りすぎたかもしれないから、帰って来なかったら故郷の伯父に生前の礼を伝えてくれ」
夕日もすっかり沈み、空に三日月と星が瞬き始めた。
ガーネは湯浴みを済ませ身支度を整えてから、死を覚悟して女王の執務室を訪れ扉の前で跪いていた。
「あの、生意気言ってすんませんした。あ、それとも大図書館の外壁に一発銃弾撃ち込んだことですかね、もしくは禁書庫成り行きとは言え入っちゃって怒ってます?それともアレですかね禁書庫の物持ち出してぶっ壊したことですか」
「処刑じゃ」
「ひぇ…」
ディアマントは椅子から立ち上がると扇で傍のソファを指し示した。
「座れ」
端的な命令にガーネはおずおずとソファに移動して、まるで借りてきた猫のように大人しく腰を下ろした。
ディアマントが正面にどっかりと座り、足を組むのを見届けてから視線を対面ソファの中央に鎮座するローテーブルに落とした。
テーブルの上には盃が一杯、透明な液体が満たされている。
その酒器から液体が酒であろうことは容易に想像がつくと、ディアマントは肘掛けにもたれるように姿勢を崩し頬杖をついてガーネを見つめた。
「飲め」
先程から物言いが酷く端的で、怒っているのか何なのかはガーネには計り知れなかった。
「いや、俺酒は…ちょっと…」
「妾の酒が飲めんと申すか、殺すぞ」
「いただきます」
盃に手を伸ばし、口元に近付ける。鼻から抜ける酒の独特の匂いに眉を寄せ、恐る恐るちびりとほんの一口唇を濡らすように口に含んだ。
「…無理をしてでも全て飲め、…呪物を素手で掴む馬鹿がどこにおる。酒が一番浄化に手っ取り早い。さっさと浄化してさっさと働け妾の犬よ」
ディアマントがガーネに酒を飲ませようとした意図を理解する。ガーネは覚悟を決めて息を止め、一気に盃の酒を煽ってごくりと喉に流し込んだ。
食道が焼けるような感覚と、酒の苦みとえぐ味が喉の奥から口内いっぱいに広がる。
「おぇ…!」
「吐くな、一晩我慢せよ。それとも…酒での浄化ではなく、昨夜のように妾が直接口吸いでもした方が良かったか?クソガキ」
「そ、それはある意味ご褒美ですよね」
苦手な酒を飲んだ嘔吐感と色々な動揺を誤魔化そうとして冗談を返してしまうも、流石に不敬かと思った瞬間ディアマントから扇で頭頂部を強かに引っ叩かれた。
「……ともあれ、お前が納得はしておらんのは妾もわかっておる。それでも、被害がこれだけで済んだのは純粋にお前の働きじゃ。良くやったガーネ」
これだけで済んだのは、今回の働きを遠回しに褒められたから…と、結局酒を飲んだ気持ち悪さで一睡も出来ずに城の自室で一晩を明かすことになってしまった。
翌朝、ガーネは身支度を整えると城を出立した。
足はまっすぐ、大図書館の研究棟に向かっていた。
図書館区域とは雰囲気が異なり、独特の静寂さとは対極に多くの職員や学生らしき人間がせわしなく行き来していた。
往来する人をかき分け、時折ガーネの身なりで周囲がざわつくのを感じつつも多少はその視線にも慣れた様子で研究棟の正面入口をくぐった先の受付にやって来た。
「じょ、女王直下の方がこのような所にどのような…」
「…あー。そういや俺あの女の名前知らねーや。えーと、緑髪のふてぶてしいバツイチ女呼んでください」
「……喧嘩でも売りに来た?」
呆れ顔の女に促され、研究棟内の会議室に通された。
初めて会った時と同じように、皺の寄った白衣にとりあえずまとめただけといったトップシニヨン。
机を挟んで座ると、まるでガーネが来ることを見越していたのか缶のココアを投げて寄越した。
「で?なんの用?お巡りさん」
「お前は呪いとか大丈夫かなって」
「…呪いとかに対しては多少の耐性はあるよ。あとは…自覚はなかったけど、君の推察通り、このネックレスが魔除けの役割を果たしていたようだね。…あの後一応、ヘルソニア様にもみてもらったけど特に呪いの残滓はないって。…よく、これが『女王の加護』があるってわかったね」
女はとんとんと胸元で輝くダイヤを指差しながらガーネを見つめて首を傾げた。
それを受けてガーネも同じように左手の親指に嵌まる指輪を見せながら肩を竦める。
「女王から貰ったモンだろ、気配でわかる」
「そ、文字通り『首輪』だよ」
女が缶コーヒーのプルタブを起こすと、ガーネも同じようにプルタブを起こした。
ぷし、と空気の抜ける軽い音が二つ室内に響き、ガーネはココアを口に含んだ。何故ココアを用意したのか、という雑談を振る気にもならず、口の中に広がる甘さに僅かに安堵した。
しばしの無言の後、ガーネはようやく口を開いて静かに言葉を紡いだ。
「結局、誰も救えなかった」
「…私が君を慰める義理はないからこれは本音で言うけど、どうしようも無いし正直最短最善だったと思うよ。…君は牛の乳にヤギの乳を混合させて、それをまた分離させろって言われて『はいわかりました』って出来る?呪いっていうのはそういうものだよ。もちろん種類は色々あるけどね」
「…そういうもんか」
「専門家が言うんだから信頼していいよ。まあ、専門家とは言っても本当の専門は遺物の方なんだけどね、そこから派生してそっちの方面もそれなりに詳しいだけ」
「……ともかく、今回は助かった。色々無理言って悪かった、お前のおかげだよ」
「前から気になってたんだけどさ。アンタ呼びからお前呼びになったよね。口のきき方知らないの?坊や」
「坊や坊やって俺は19歳でとっくに成人してんだよ!」
「こちとら28歳の『お姉さん』なんだから、もう少し敬意を持って話しなさいよ」
「…クソババァ」
「は?」
ガーネは何か文句を言われる前にとココアを飲み干して逃げるように席を立つ。
会議室のドアに手を掛けるも、そのまま部屋を出るわけではなくぴたりと足が止まった。
「…お前、遺物の専門家…って言ったな」
「言ったよ」
「……また来る。大図書館に来た本来の目的思い出した」
「…それ、私に拒否権は?」
「あるわけねーだろ」
我ながらどこぞの女王陛下のように傍若無人だな、と思いながらもドアノブを捻る。ドアを開く直前、背後から女の声が耳に届いた。
「……スメイラ」
「あ?」
「私の名前。スメイラ・フレイブ・グリウ。また受付で『ふてぶてしいバツイチ女』なんて呼び出しのされ方されたらたまったもんじゃないからね、忠犬お巡り」
空になった空き缶を部屋の隅にあったゴミ箱に放り投げ、缶のぶつかる音が小さく鳴る。
「来るときは要件は事前にまとめて端的に手短に頼むよ、何度も言うけど私は忙しいんだ。ガーネくん」




