202話「『厳戒』」
式典会場にはすでに多数の民衆が押しかけていた。
それもそのはず、今回の外交の目的である『共同宣言』において、長らく公に姿を見せなかった女王陛下が臨席するのである。
馬車寄せに馬車が停車した瞬間、ガーネは嫌な気配を捉え、僅かに息を詰めた。
近くに、いる。
それはわかるのに、明確に尻尾を見せていない。
間違いなく、今まで相手にして来た均衡教徒とは格が違う。
ガーネは小さく息を飲み、手で後方馬車に『警戒点検』の合図を送る。
────おそらく、仕掛けてくるのは『ここ』ではない。
そう思って、ガーネは踏み板から降りて近衛長だけ先に降りるよう合図を出した。
「どうした統裁官」
「陛下から絶対に目を離すな、『いる』」
あくまでも事前の点検・警戒に入った衛兵と特務からの『異常無し』の報告を待つポーズではあったが、ガーネの目付きが明らかに今までと変わっていた。それに気付かないほど、近衛長も力量不足ではない。
「…今か」
「わからん、だがおそらく今じゃないとは思う」
「参考までに聞く。なぜ『今じゃない』と?」
「今が警備の最高潮だ、そんな中で襲うのと…式典が無事に終わって移動する瞬間。お前ならどこで仕掛ける」
「……後者、だな」
「そういうことだ。任せたぞ」
会場内から『異常無し』の合図を受け取り、ガーネが手で合図を返す。近衛長もそれを確認して馬車に寄り客席ドアを開け、女王に手を差し出し82年振りに女王が公の場に姿を見せた。
会場外の歓声が一段と大きくなり、女王は静かに笑みを携えて左右の観客に向けて手を振ったあと、警戒の目が厳しいガーネに先導されて会場内へと足を進めた。
壇上に上がる直前、ヘルソニアがガーネの傍に立ち、会場内のざわめきに紛れさせるようにごく小さな声で話しかけた。珍しく、その声色はやや緊張気味だった。
「ガーネ」
「はい、来ます」
「……頼んだぞ」
「お任せください。陛下には傷一つ付けさせるつもりはありません」
「ただいまより、ゲルブ辺境伯領における国境交易路安定化に関する共同宣言式典を執り行います」
司会進行の声が拡声用の魔道具を通じて会場内に響く。
その声に雑談混じりのざわめきが止み、会場がしんと静まった。
「本日は、女王陛下ディアマント・クレイス・ウェルト様、ならびにゲルブ辺境伯トーパス・グロウヴ・ゲルブ閣下をお迎えし、近隣諸領ならびに対外使節の皆様にもご列席いただいております。それではまず、辺境伯閣下よりご挨拶を賜ります」
拍手と共に、肩章や胸元に数点勲章と徽章、金の飾緒のあしらわれたダークグリーンの軍服に儀礼剣を腰に佩いた辺境伯が壇上に上がる。
いかにも貴族らしく整った顔立ちをした近衛長や、わかりやすくモテに全振りしたガーネの顔立ちと異なり風格も威厳もある方面に整った顔の領主であるトーパスは、領内でも若い女性には人気がある様子で拍手の中に黄色い声がいくつか混じっていた。
「ようこそお越しくださいました、女王陛下。この辺境の地にお運びいただきましたこと、領主としてこれ以上の名誉はございません。本領は王都より遠く離れてはおりますが、国境に接する地として、交易と防衛の要を担って参りました。本日の共同宣言が、我が領のみならず、王国全体の安定と繁栄に寄与することを心より願っております。…今後とも、変わらぬご高配を賜われますよう────…」
警備配置につき、ガーネと互いに視認出来目線が把握出来る程度の距離にいる特務の面々、特にサイフィルは納得がいかないような顔で隣のアメジに声を掛けた。
「……なんか、壇上の顔面偏差値おかしくない?」
「んー、でもあたしはやっぱりガーネ様の顔が一番スキ。ご覧なさいよあの今にも人殺しそうな目!」
「『通常点検』じゃなくて、『警戒点検』の指示だったからね。多分『いる』んだと思う。サイフィルくん、常に周辺に目を配って」
「わかってるよスメイラさん、今のところ不審人物含め異常なし。天井まで見てるから安心して」
それを受けたスメイラがガーネに指先で『異常無し』の合図を送る。ガーネがごく小さく頷き、視線だけが再び周囲に投げられた。
「…以上を持ちまして、私からの挨拶とさせていただきます」
「ありがとうございました、辺境伯閣下。続きまして、女王陛下よりお言葉を賜ります」
拍手を受けながら壇上で軽く一礼した辺境伯は、数歩下がって待機用の立ち位置へとずれた。
再び盛大な拍手が起こり、ディアマントは少し長いトレーンを優雅に引きながら壇上に上がる。側近であるヘルソニアが女王の少し後ろに立ち、近衛長が半歩後ろに立つ。ガーネも壇上に上がりはしたものの、壇の端で目を会場に向けていた。会場からは小さな声で「あれが噂の統裁官か」と声が上がり、『見せる抑止力』として機能していた。
「本日、この地においてこのような場が設けられたこと、喜ばしく思う。国境に近きこの地が、交易の要として果たしてきた役割は大きい。それを支えてきた者たちの尽力に、王として感謝を述べる」
ディアマントの涼やかで澄んだ声が会場内に厳かに響いた。
ガーネの左手は常に腰元の剣に添えられており、顔は正面を向いていても視線は細かく、それこそ会場内の列席者のほんの僅かな指先の動きも捉えるように動いていた。
わかりやすくきょろきょろと視線は動いていないものの、その明らかに強く警戒した色を孕んだ視線の意味を理解しているのは、特務だけではない。
会場で別箇所での警備をしていた衛兵長も、ガーネの表情から『来る』ということは理解していた。時折対面にいる特務とも視線を交わらせ、ガーネにも視線を向ける。
「本日ここに示すは、単なる制定ではない。王権の下における秩序と、各領の連携の意思、その確かな証である。この宣言が、揺らぐことのない安定へと繋がることを望む。…以上だ」
「ありがとうございます、女王陛下。それでは、共同宣言の成立をここに公表いたします」
司会の言葉に、改めて女王と辺境伯が壇上で並ぶ。
文書への署名を行い、ディアマントがペンを置いた。
「国境交易路安定化に関する共同宣言────…ただいまをもちまして、正式に成立いたしました。本宣言は、王権の承認のもと、各領および関係者各位の協力により履行されるものといたします。ご列席の皆様におかれましては、今後とも変わらぬご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます」
会場内に盛大な拍手が湧き上がる。
壇上のガーネは左手を剣の柄に添えたまま、会場内の警備人員に視線を投げた。
静かにガーネの右手が、僅かに上がった。
────『厳戒』
その合図を受けた瞬間、警備人員の空気が一気に張り詰めた。
サイフィルが目を凝らし、カルセも耳を凝らす。
アメジは魔導師長と目配せをし、術式使用の動きがないかを互いに確認し、ラズリと巫術官長も呪物の気配や呪具の使用における邪気を辿る。
民衆の歓声を受けながら、女王及び辺境伯が連れ立って会場を後にする。
馬車寄せの少し手前で見送るように立ち止まり、女王へ一礼をした。
馬車寄せから馬車まで、約20メートル。
中心に真紅の絨毯が敷かれており、ディアマントは少し外の民衆に向かって手を振って歩いた。
未だガーネが出した『厳戒』態勢は解かれていない。
全員が緊張した面持ちで、周辺を警戒して視線を凝らした。
ガーネは野次馬的に集まった民衆の、不自然に一角だけ流れが止まっている箇所を見つけた瞬間、身体が先に動き女王の前に飛び出した。
「伏せろ!!襲撃だ!!」
ガーネのその声とほぼ同時、呪具が投げ込まれ炸裂した。




