147話「顔」
ガーネは女王の執務室のドアの前で佇んでいた。
今までであれば、来て早々にノックをして返事を待つ前に入ることも多々あったが、ガーネの中の線引が明確に変わった。
自分の中で何かが変わったことはわかっていた。
けれど、それが今までとどう違うのか、自分でも上手く言葉にできずにいた。
女王の方も、ドアの前にガーネが立っていることは気付いているはずであった。
時間にしてほんの1、2分程度ではあるが、ガーネは小さく息を漏らしてようやく扉を叩いた。
「失礼いたします。統裁官ガーネ・ディーム・ロットにございます」
ほんの数拍置いてから、「入れ」と聞き慣れた声が聞こえ、静かに扉を開けた。
入室し、扉を閉めたガーネは、いつものようにソファまで歩み寄ることはなかった。
机を挟んだ応接用の席へ至る手前、数歩の距離を残した位置で足を止める。
そのまま一礼し、硬い声で口を開いた。
「本日、医務区画を離れ職務へ復帰いたしました。この度は多大なるご心配とご迷惑をお掛けしましたこと、深くお詫び申し上げます。お見舞いの品までお贈りいただき、恐縮に存じます。ご配慮、痛み入ります」
ディアマントは言葉を選ぶように、ほんの僅かに視線を漂わせた。
思っていた以上に距離のあるガーネの言葉に、ディアマントは純粋に戸惑った。
加えて、自身の機嫌で不用意な言葉を投げ、ここまで拗らせた自覚もある。
「…そう…か、…体調の方は、大事ないか。少し痩せたのではないか」
「は。通達は拝見しております。現場への直接出動は未だ困難ではございますが、執務そのものにつきましては本日より復帰いたします。今後も陛下のご意向に背かぬよう、駒として、また犬として、与えられた職責を違えることなく果たして参ります」
ディアマントは言葉を上手く紡げずにいた。
何か言わねばと思うほどに、目の前の男のよそよそしさばかりが際立って、口を開く術を失う。
そんな沈黙を、ガーネの低い声が淡々と破った。
「……他にご用がございませんようでしたら、これにて失礼いたします」
「ま、待て!…まだ、妾は用事がある」
敬礼をして踵を返しかけたガーネが姿勢を正すと、ディアマントは席を立ってガーネの傍に歩み寄った。
「…ガーネ」
「はい」
「その、……悪かった」
突然の女王の謝罪の言葉に、それまで表情を固くしていたガーネが僅かに困惑したような顔になった。
何について謝罪されているか、理解が出来ていなかった。
少しだけ考えるも思い当たることは浮かばず、恐る恐るといった様子で口を開いた。
「……何についてのことでございましょうか」
ディアマントは俯き加減だった顔をはっと上げて、自分よりも背の高い男の顔を見上げた。
自分の謝罪の言葉がまるで届いていない様子に少し眉を下げ、再びほんの少しだけ目線を下げる。軽く目を伏せてから、ゆっくりとガーネに視線を向け直し、蜂蜜色の瞳でしっかりとガーネの相貌を捉えた。
「…お前に、妾が不要と判断したのだと思わせたことじゃ。…休ませたかったのは本心じゃ。だが、感情に任せて言葉を誤った。あの時の妾の言葉では、お前がそう受け取って当然じゃ。……悪かった」
ガーネはその言葉を受けて、ほんの少しだけ眉を動かした。
どういう感情なのか、自分でも理解と処理が追いつかなかった。
殊勝に頭を少しだけ下げた女王の姿に、なんとも言えない気持ちだけが胸の奥に燻った。
「…頭をお上げください。一国の王たる御方が、家臣……いえ、駒ごときにそのように容易く頭を垂れるべきではございません。私は何も気にしておりませんし、そもそもそれを気に留める立場にもございません」
顔を上げたディアマントの表情が、ほんの少しだけ泣きそうに揺れていた。
その顔を見たガーネは、僅かに目を細めた。
その瞬間、ディアマントと視線が絡んだ。
ガーネはそれを断ち切るように敬礼し、深く頭を下げた。
「……お言葉は確かに承りました。では、職務がございますのでこれにて失礼いたします」
ぱたん、と静かに閉まる扉を見つめ、ディアマントは近くのソファに腰を落とした。
ふう、と深い溜息を漏らし、目を伏せ、暫く無言で佇んでいた。
こつこつと歩く足音が静かに響く廊下。
ガーネは大広間の大階段の踊り場で立ち止まり、柵に身体を凭れさせて腕を組んだ。
静かに目線を今歩いてきた方向に向けると、獲物を見つけたかのような顔で小さく口元に笑みを浮かべた。
「ふーん」
────ああいう顔するんだ、あの女。
そう思うと何となく溜飲が下がるような気持ちと、逆に何かが湧き上がるような気持ちが混在した。
ガーネ本人にはまだその感情が何かは名前も付かなかったし、自覚もなかった。
「まぁ、『まだ』だな」
完全に本能レベルの感覚ではあったが、無意識にそう呟いた。
幾分か機嫌が良さそうに階段を降り、特務室へと戻って行った。
ヴェルトラウリの結界を閉じさせた影響か、こちらの動きを確認するように細かな案件が立て続いた。
向こうも様子見のつもりなのか、いずれも取るに足らないものではあるし、処理も適切には出来てはいる。
しかし自身の目で直接現場を見ていないもどかしさは残り、せっかく『良くなった機嫌』は数日のうちにまた不機嫌に傾いていってしまった。




