144話「バカとする約束」
処置を終えたガーネは、そのまま医務区画の療養室へと移された。
昼前の時点でも熱はまだ高く、加えて数日まともに飲み食いできていない。
「ラズリ様。体温38.9、脈116、血圧98の62です」
「そう。……この子、平熱も血圧も高い方じゃないわ。まだ油断しないで見てて。何かあったらすぐ起こして。アタシは隣で少しだけ仮眠取る」
「かしこまりました」
透明な補液が細い管を伝って、一定の間隔でガーネの体内へ落ちていく。
ラズリはその顔を見つめ、頬にそっと触れて『生きている』ことを確かめると、小さく息を漏らして一旦部屋を出た。
翌日になっても、ガーネはまだ眠っている時間の方が長かった。熱は下がり始めてはいたが、37度台後半を行き来しており、楽観できる状態ではない。
包帯の滲みや熱の具合を確かめるたび、まだ予断は許されないとわかっていた。
それでも呼びかけにわずかに反応を返す様子が見られるようになり、ラズリはようやく少しだけ張り詰めていた息を吐き出した。
3日目の朝。ラズリは再度ガーネの眠る部屋を訪れ、看護師と共に体温や血圧の確認をする。
「脈92,血圧108・68か。体温は?」
「37.4です」
「ようやくそこまで下がったか。…新しい補液、用意して来て」
「はい」
ガーネの布団を捲り、療養着の前を開いて包帯に血の滲みがないことを確かめた。
看護師が戻ったら一度傷口を確認しようと、包帯の上からそっと患部に触れた。
ぴくりと指先が動くのが視界に入る。
「……ラズリ…?」
掠れた小さな声に、ラズリは顔を上げた。
重たげに開いた瞼の向こうで、ガーネの視線がようやくこちらを捉える。
「お目覚めの気分はいかがかしら、統裁官閣下」
「…さいあく…腹痛い…」
「……もっと早く、そうやって『痛い』って言って欲しかったわ。ほんとバカ」
「………うるせ…」
ようやくガーネの意識が戻り、ラズリは深い息を漏らした。
「アンタ、元気になったらお説教だからね。覚悟しなさいよ」
「…勘弁しろよ」
水を少し飲ませ、意識が安定していることを確認してから、ラズリはようやく衛兵に特務への伝言を許した。
特務室の扉がけたたましくノックされる。
ガーネもラズリも不在の中、『特務案件』かとスメイラは緊張と不安の入り混じった顔で身構える。
扉が開いて衛兵が顔を覗かせた。
「……統裁官殿、目が覚めました…!」
それを聞いて、一同はほっとして息を吐いた。
「…報告、ありがとうございます」
「ただ、ラズリ殿からは『落ち着くまでまだ部屋には来るな』と言付かっております」
「わかりました。…陛下に、報告を」
「別の者が伺っております」
衛兵が立ち去り、スメイラは腰が抜けたように椅子に腰を下ろして小さく呟いた。
「…良かった」
同じ頃合い、女王の方も一報を受け安堵したように息を漏らした。
「…ヘルソニア」
「はい、陛下」
「意識が戻ったのであれば、妾が行く」
「目が覚めたと報が入った直後です。さすがに自重なさってください」
すでに椅子から立ち上がり、向かう気満々のディアマントにヘルソニアがやんわりと制止した。
「…顔を、見たいだけじゃ」
「ディアマント様。貴女が行けば、あの男は無理をしてでも身体を起こします。無理矢理寝台から降りて膝までつきかねません。今はまだ、そういう段階ではありません」
ヘルソニアのぴしゃりとした物言いにディアマントは大人しく椅子にすとんと腰を下ろし、ふうと溜息を漏らした。
目を覚ましたその日は、まだ短い会話と水分補給が精一杯だった。
さらに翌日になって、ようやくガーネにいつもの調子が戻り始め特務の一同は揃って療養室を訪れた。
数日振りに見たガーネはベッドの上で身体を起こし、簡易机の上には数日分の新聞の束が積み上げられていて手にもその一部が広げられていた。
「ガーネ様!」
カルセはその『いつも通り』の光景に安堵して涙ぐみ、震える声で名前を呼んだ。
「まーた泣いてんのかカルセ。お前最近泣き過ぎ」
「だ、だって…!」
聞き慣れた雑な返答に、一層安堵が募り涙がポロッとカルセの頬を伝い落ちた。
「ハイハイ病室で騒がないの。アンタら、あんまり長時間は駄目だからね」
白衣を着たラズリが交換用の点滴のパックを持って病室を訪れた。
「…スメイラ、痩せたな」
「痩せたっていうか、やつれたっていうか。そういうガーネくんこそ」
「あー、な。まあ俺もやつれたっつーか」
「コイツの場合はまともに飲み食いしてなかったツケと好き嫌いよ。最低でも半分は食べれないと点滴は外せないわ」
ラズリは点滴の交換をしてから机の上の食事の残量を確認した。
「…ま、4分の1でも食べたなら上出来ね」
「味が薄くてまずい。人の食いもんを出せ」
「アンタいい加減にしなさいよ」
そうは言っても、ラズリ自身も『いつもの返し』に安心したらしく、普段よりも返答は幾分か柔らかかった。
「ね、ガーネお見舞い何かいる?エロ本?」
「いらねーようるせーよ」
「ガーネ様、あたしが特製の雑炊作ってあ・げ・る」
「お前のは何か盛られてそうだから食わんって言ったろ。あーもう、ほんとお前ら揃うとうるせーな。スメイラ次来る時書類持って来い、暇だ」
読み終わった新聞を雑に畳んで机に放り投げると、腕を組んで偉そうに指示をした。
「…君、休む気ある?」
「休んだ。もう飽きた。……」
飽きた、と発した後、ガーネは急に口を結んだ。
「…ガーネ?どうした?」
サイフィルが少し眉を下げて声を掛けると、ガーネは改めて顔を向けた。
「…悪かった」
一瞬、しんと室内が静まった。
ガーネの謝罪が、どこに向いたものかわからなかったからである。
「…な、なに、が?」
スメイラが絞り出すように声を掛けて、小さく息を飲んだ。
「いや、単純に、心配掛けたなと」
ガーネはそれ以上のことは言わなかったが、顔を見れば裏が無いことは一目瞭然である。
スメイラが目を伏せて肩を竦めると、小さく頷いた。
「…悪かったなって思うなら、一人で無茶しないでくれますか、統裁官」
「別に一人で無茶してたつもりは無いんだけどな、俺結構お前らのこと顎で使ってたぞ。……でもまあ、そうだよな…わかったよ」
「……さ、ほら。傷口の処置するから、今日はもう面会おしまい。帰った帰った、邪魔よ」
室内にラズリとガーネだけが取り残され、再びしんと静かに静まり返った。
「…傷口の処置なら、さっきしただろうが」
「バカねアンタ、建前に決まってるでしょわかってる癖に。説教よ説教」
「まじかよ急に具合悪くなってきた」
椅子に腰掛けたラズリが足を組んでガーネに視線を向けた。
「アンタの脇腹の傷、一回縫ってあったけど全然保ってなかったのよ。無茶して動き回ったせいで開いて、再出血してた。熱も39度台まで上がって、脈は速いし血圧は落ちるし、水分も食事も足りてない。見事にボロボロ。だから一回傷を開き直して、中を洗って、出血してるとこ止めて、縫い直したの。応急処置のまま誤魔化せる段階じゃなかった。今は閉じてる。でもまだ治ったんじゃない。なんとか繋ぎ直しただけ。ここでまた無茶したら、次はアタシでも知らない。…だからアイツらのためにも自分のためにも、次は黙ってぶっ倒れる前に言いなさい」
「……悪かったって。元々はそんな予定じゃなかったんだよ、一応宮廷医診せるつもりはあったし…時間が足りなくなっただけだ」
それを聞いてラズリも呆れたように溜息を漏らした。
「わかってるわよ、アンタのそのクソバカなところは。…アタシも、医者としてアンタの顔色の悪さも発熱兆候があったのも気付いてはいた。でもアンタが、カルセが気にするって心配してるのもわかってたし…なにより宮廷医に診せてるって、思い込みがあった。だから、痛いとかしんどいとか怠いとか、ちゃんと言って。わかった?約束だからね」
「おう」
存外素直に返事を返したガーネにラズリが視線を向けると、目に見えてやつれたガーネと目が合った。
「…お前だから言うけどさ」
「なによ」
「……アイツら、俺ごときが抜けてあんなに崩れると思わなかった。…特にスメイラなんか、あんな目に見えて『何したらいいかわからない』ってなると思ってなかったわ。俺がいなくても回るように、仕込んでたつもりなんだけどな」
「そりゃガーネ、アンタの見立が甘いわ。死ぬ程癪だから言いたくないけど、自分がどれだけ化け物レベルの頭の回り方してるかわかってる?ま、それだけじゃないっていうのは…アンタもさすがに、わかったでしょ」
「お前らにバカバカ言われるけどぶっちゃけ『馬鹿』だとは思ってないからな、それなりには頭は回るとは思ってるよ自分で。……俺の場合は…そうだな。最初から全部疑ってる、根本何も信じてない。アイツらは俺より『優しかった』、そういうことだろ。そこが俺の誤算だな、あんなに切り捨てられないとは思ってなかっただけだ。……今後俺を始末しなきゃいけないってなった時に、どうするんだかな」
「アンタ殺すなら即効性の致死量以上の毒でも盛らないと無理そうね」
「…ラズリ、ありがとな」
文脈の噛み合いがおかしく、ラズリは眉を寄せた。
ここまでこれだけ喋って、まだ意識がおかしいのかと僅かな懸念を持って続きの言葉を待った。
「お前、俺のためにめちゃくちゃ怒ってくれてただろ。うっすらだけど聞こえてた。あと泣いてただろ」
「な、泣いてないわよ!!夢でも見たんじゃないの!!?あーもう、それよりもアレよ、えーと…服!そう服、アンタの処置のせいでお気に入りのドレス血塗れなんだからね、お礼ならそこのブランドの新作2,3着買いなさいよ、それでチャラにしてあげるわ!」
「はは、はいはい。ラズリ先生」
ようやく肩を揺らして笑ったガーネの顔がしっかりと年相応で、ラズリはそこで初めて、本当に安心出来た。




