143話「それぞれの矜持」
「陛下、参りましょう」
ヘルソニアが女王の腕に触れ、退散を促した。しかし全く動く様子のない女王に、ヘルソニアは少しだけ眉を寄せた。
「…行かぬ、嫌じゃ、妾も処置室の前で待つ」
「子供のようなことを言わないで下さい陛下」
「せめて、前室に」
ヘルソニアは深く盛大な溜息を漏らした。
普段は毅然として傲慢で時に尊大な態度の女王であるが、時折子供のような態度を取る。
この様子を見るのは、何千年振りだろうか。
しかしこうなったら頑として聞き入れない、頑固さも変わっていない。てこでも動かないだろうと肩を竦めた。
王として、人として、素直に自分の非を認め謝罪したことは純粋に評価する。
しかし、王がこの状態では示しがつかない。士気に関わる。
そう思い、ヘルソニアは彼女の要求を受け入れることにした。
「………はぁ、わかりました陛下。その代わり、しゃんとなさってください。出来ないのであれば抱えて部屋に連れて行きます」
「…出来る、行くぞ」
さすがに人前で涙を零すようなことはなかったが、打ちのめされたような顔のまま背筋を伸ばし処置室に向かって歩き出した。
その背中を見つめてからヘルソニアはスメイラへと向き直った。
「スメイラ、現場との連携は其方に託す。出来るな?」
「はい」
統裁官代行を押し付けられた直後に比べれば、今のスメイラの顔は幾分ましだった。
不安に押し潰されそうなのは変わらない。それでも、あの時よりは立っていられる顔をしていた。
女王と共に処置室の方へ向かっていったヘルソニアの背中を見つめ、スメイラも「ふぅ」と息を漏らした。
「…はい、とは言ったけど」
「…スメイラさん、今は待ちましょう」
「……エイミーちゃんも、今のうちに足、処置して来て」
「わかったわ、何かあったら呼んでちょうだい」
*****
血と湯と消毒薬の匂いが混ざった、緊迫した処置室内。
バタバタと足音が忙しない中、髪をまとめて術衣を纏ったラズリが手指の消毒をして手袋を嵌めガーネの横たわる寝台に近寄った。
寝台に移されたガーネの顔色は、もはや青白いを通り越して土気色に近い。
唇は乾き、呼吸は浅く速い。額や首筋に浮いた汗は熱のせいか、痛みの名残か、それともその両方か判別がつかなかった。
その様子を見てラズリは小さく舌打ちを漏らして、室内の宮廷医と看護師に視線を向けた。
「いい?全員……ウチの統裁官、死なせたら殺す。わかった?返事!」
「は、はい!」
「まず服、全部裂いて脱がせて。包帯も全部切りな」
先程の応急処置で半端に切り裂いた包帯は、既に何度も血が滲み直したことを物語るように何重にも赤と黒が染みていた。
応急に応急を重ねた痕跡に、ここへくるまでどうやって動いていたのか、理解に苦しむ有り様だった。
一度閉じられていたはずの傷は、強引に保たされていただけだと一目でわかる。
腫れと熱を帯びた皮膚の下で縫合は既に悲鳴を上げており、敵に強打されたことで決定的となった裂傷から新しい血が滲んでいる。
看護師が脈と血圧を読み上げ、別の者が針と薬液を準備する。
意識は戻っていない。それでも無造作に開いてよいはずもなく、ラズリは短く指示を飛ばしながら鎮静と麻酔の準備を急がせた。
「この子の平熱36.3、熱が高すぎる。感染起こしかけてる…水分も食事もまともに取れてない中鎮痛剤服用の可能性あり。鎮静浅めにする。局所追加、呼吸落としすぎないで。反応見ながらいく、血圧落ちたらすぐ言って」
「はい!」
「まず開創、洗浄、出血点確認、閉鎖はそのあと」
古い縫合糸が一本ずつ外されるたび、無理に閉じ込められていた傷口がわずかに開いていく。
ラズリは表面だけを繕う気など最初からなかった。
中に熱と血を抱えたまま再び閉じれば、今度こそ取り返しがつかない。だから一度きちんと開き、洗い、確かめ、悪いものを残さず処置し直す必要があった。
洗浄のための湯と薬液が用意され、傷の奥に残っていた血を流していく。
滲み続けていた出血箇所を確かめ、必要なところを押さえ、縫い直すための状態へ整える。
ガーネの呼吸が浅く揺れるたび、周囲の手が一瞬だけ止まりかける。だがラズリは止まらなかった。
止まっていい段階など、とっくに過ぎていた。
「ただいまぁ」
「おかえりサイフィルくん。どうだった?」
数時間後、現場安定の判断をした衛兵長からの指示でサイフィルが特務に戻ってきた。
ちらりと空席の、官服が背凭れに雑に掛けられたガーネの席に視線を投げて息を漏らした。
「…とりあえず、向こうは様子見。一旦特務から衛兵に引き継ぐって、衛兵長さんが」
「そう、ありがとう」
「…処置室、行こうか」
少し前に足の処置を終えて戻ってきたアメジと、スメイラ、サイフィル、カルセの四人は処置室へと向かって行った。
時刻はとっくに朝になっていた。登った日が差し込み、廊下や室内を明るく照らす。
対象的に、廊下を歩く四人は足元の影のように気分は重く暗かった。
処置はまだ終わっていないらしく、せわしなく宮廷医や看護師が行き来していた。
その処置室近くの前室に、女王の姿があった。
一同はぎょっとして慌てて敬礼をする。
「…今はよい、楽にしておれ」
「……陛下、お休みになっておられないのですか」
「妾は良い。…ガーネの顔を見るまでは、部屋に戻らぬ…」
傍で控えるヘルソニアは、やや呆れたような顔をしているが特に何も言わない。
特務の面々も、女王が自らの言葉を悔いてここに残っているのだとわかっていた。
だからこそ、責める言葉は誰の口からも出なかった。
しかし、きっかけはどうであれ自分たちもガーネの自己認識の低さに気付けずにフォローが行き届かず、甘えや『彼は強い』という思い込みがあったことは否定できなかった。
途中、侍女が飲み物や軽食を運んできたが、誰も口にすることもなく、時折サイフィルが落ち着かない様子で廊下に出て処置室の前に行っては戻りを何度か繰り返した。
気まずい無言の沈黙が続く中、処置室の中では洗浄と確認を終え、ようやく傷を閉じる段に入った頃には、室内の空気そのものが張り詰めきっていた。
新たにかけられていく縫合は、村医者の応急処置とも、無理に動いて裂けたそれまでの傷とも違う。今度こそ、息を吹き返した身体をきちんと繋ぎ留めるためのものだった。
最後の糸が結ばれ、厚めのガーゼが重ねられ、包帯が巻き直される。
それでも誰一人、すぐには息をつかなかった。
熱はまだ高く、脈も速い。助かったと断じるには、まだ早すぎたからだ。
「…部屋に移す。適宜、細かく様子は確認しな。……何度も言う、不手際があったら呪い殺す」
疲労で眉間に深く皺を寄せたラズリが吐き捨てるように宮廷医を脅し、ようやく処置室のドアを開けた。
ドアの開いた音に、全員弾かれたように顔を上げた。処置室から出てきたラズリと、寝台に乗せられたまま運ばれる目を閉ざしたままのガーネの姿に、特務のメンバーが慌てて駆け寄った。
「触るなバカ!……やっと安定したんだから」
「ラズリさん、ガーネ様は」
「アタシが執刀してんのよ。死なせるわけないでしょーが、バカにしないで。…特別賞与、期待してますよ。陛下」
あー疲れた、と言いながら部屋へ運ばれるガーネと共に歩くラズリの背中を見つめ全員ほっと息を漏らした。
「ガーネさま…ううぅ、ガーネさま…!」
ぽろぽろと涙を流すカルセにつられたのか、サイフィルも涙ぐんで鼻を啜った。
女王は、安心からその場にへたり込んだ。
「……よかった」
「…陛下、お召し物が汚れます」
床に力無く座り込んだ女王の姿に気付き、スメイラが歩み寄った。
「…ガーネくんの目が覚めたら、ご報告に伺います。お休みになられてください陛下」
「陛下、戻りますよ。医者の領分です。あとは…あの男の生命力次第です」
そう言ってヘルソニアは女王の身体を軽々と横抱きに抱え上げ、スメイラを一瞥する。
「スメイラよ、すまなかったな。ガーネが目覚めるまで、もう暫く頼むぞ」
「…承知いたしました」




