141話「声」
ガーネの身体が崩れた瞬間に、ラズリが飛び出した。足元の血溜まりを確認し、小さく舌打ちを漏らした。
「アメジ!足怪我してんのはわかってるけどガーネのこと廊下に運んで!ここじゃ狭い!」
「わかったわ!」
アメジがガーネの身体を抱え上げ、廊下に運んで静かに身体を横たえさせた。すぐにラズリが傍に駆け寄り、ガーネの首元に触れて発熱を確認するとそのまま脈と呼吸を確認した。
「…ッ39度以上ある、呼吸が浅い。誰か!誰か来て!宮廷医全員呼んで、ガーネのカルテも持って来させて!記録全部!!担架とお湯と水、布たくさん、氷も用意!!とにかく人呼んで!!」
ラズリの声に、先程まで現場に出て一部引き上げて衛兵が何事かと近寄りラズリの指示で弾かれたように動いた。呼びかけに侍女たちも数名、洗濯したての布や桶に汲んだ水を用意して駆け寄ってきた。
それにつられるように、何事かと顔を出した者たちが壁際に溜まり、ざわめきがじわじわと広がっていった。
「…あれ、統裁官様…?」
「さっきまで現場で動いてなかったか…?あんな怪我してなかったぞ…」
誰もが声を潜めているのに、空気だけが酷く騒がしい。
その中央でラズリだけが一切構わず怒鳴り続けていた。
「…ッガーネ様ぁ…!!?なんで、なにごとですか!!どうして、やだガーネ様!!」
人手として駆り出されたエナが人だかりの中に入り込み用意した氷をラズリに手渡すと、そこに横たわるのが自分が仕えていたガーネであることに酷く動揺して泣きじゃくっていた。
「インディ医師、宮廷医来ました。担架乗せますか?」
「動かすな!まず圧迫!担架待って先に傷押さえる、…首じゃない!腹よ!どいて!早くカルテ見せなさい!」
ガーネの腰ベルトに差してあったナイフを抜き刃を起こすと、ラズリは迷いなくガーネのシャツを裂いた。
腹部に巻かれた包帯が真っ赤に染まり、明らかに素人が見よう見まねで巻いた圧迫で医師や看護師の処置ではなかった。
その包帯も同じようにナイフで切って患部を露出させ、腹部の縫合箇所と出血を確認すると侍女から受け取った布で患部を押さえた。
「お湯、用意出来ました!」
「そこ置いて!」
「インディ医師、カルテ…!」
「早く見せて!処置歴!」
「いえ、ありません…!」
「………は?無いって、なんで?」
「統裁官は、宮廷医にかかった履歴がありません、なのでカルテがないです!」
ラズリは絶句した。
────何故、もっと早く気付いてあげられなかったのか。
「せ、先輩…なんでガーネくん、受診…」
「このバカ!どうせ権限剥奪されて『宮廷医に診せる権利無い』って思ったんでしょ!!あの女…!!もういい、意識がない、体温推定39.5!脈130前後!血圧測って念の為輸血用意して!B型、交差急ぎな!!」
*****
「陛下!至急のご報告です!!」
「何事じゃ」
「申し上げます、統裁官が特務室にて倒れました!現在ラズリ殿が応急処置中にございます!高熱と腹部からの出血が見られ、宮廷医を呼んでおります!」
ディアマントの息が一瞬小さく詰まった。衛兵に視線を向け問いかけた。
「……どこにおる」
「特務室前廊下です!」
「わかった、下がれ」
「陛下」
「…聞こえなかった」
────城の中の声は、意識して閉ざさなければ全て耳に入る。ガーネの声など、あの後一言も聞こえなかった。
特務の人間のガーネを呼ぶ声は聞こえていたが、いつものじゃれ合いかと聞き流した。それ以外の、城の中の雑音に紛れさせていた。
「あの男は、声も上げずに倒れたのか」
そう呟いたディアマントの声は、酷く震えていた。
ディアマントは立ち上がると、そのまま執務室を出た。小さく息を漏らしたヘルソニアも、彼女の後を追いかけて部屋を出ていった。
「ラズリ殿!脈132、血圧上88下54、体温39.6、意識無し!」
「コイツ平熱高い方じゃないのよ!そんなに発熱してたら普通にマズい!医務室、ベッド空けな!空いてる!?」
「へ、陛下…」
誰かが息を飲むように声を漏らし、廊下にいた者たちが弾かれたように道を開けた。
衛兵の一人が反射的に背筋を伸ばし、敬礼しかける。
「敬礼────」
「よい、下がれ」
女王の静かな声が響き、一瞬で静寂に包まれた。
ディアマントは廊下で横たわるガーネを見て、ぎりっと拳を握った。
「宮廷医、ラズリも!お前たちがおって何故この男が倒れておる!」
「アンタのせいでしょ!!」
「な…妾の…!?」
「アンタが!ガーネに何言ったか忘れたの!?アンタがコイツに不要宣告なんかしたから、そんなの言ったらこのガキ、自分の身体の優先順位下げて『命令に従う』でしょ!!いつも何よりもアンタの命令を遵守してたコイツが!アタシや宮廷医に痛いって訴えるわけないでしょーが!!」
「ラ、ラズリ殿…不敬が過ぎます…!」
「うるさい!!!」
ラズリの不敬が過ぎる暴言に、さすがに近くにいた衛兵がひやひやと声を掛けたが、容赦なくそれを一喝した。特務の人員は、何も言わなかったし言えなかった。
「…よい」
女王が小さく呟き、苦言を呈した衛兵に視線を向けた。
「……アタシらがなんで気付かないかって?そんなの、言われなきゃわかるわけないでしょ!この子、言わなかったし言えなかったんだよ!『自分にそんな価値ない』って決めつけて、自分の存在価値を『女王の駒』『女王の犬』に置いてた19歳のガキ!!アンタ何年生きてて、どんだけこの男のこと贔屓してたの!何見てたのよ!!何が寵愛人事よ!!ガーネが死んだら、アタシ絶対にアンタを許さないから!!!」
そこまで叫んだラズリの目に、うっすらと涙が浮かんでいた。
再びしんと嫌な静けさに包まれた一帯に、女王の震える吐息が漏れ出た。
「…妾が、言葉を間違っておった。この男は、国にとっても…妾にとっても、不可欠じゃ。妾がこの男にかけた言葉が全て誤っておった、見誤った。否定しない。言い訳もせぬ。悪かった、申し訳なかった、……この男を、……ガーネを、死なせないでくれ」
女王の声が、まるで泣いてしまうのではないかと思うほどにか細く震えていた。
全員が小さく息を飲む中で、ラズリはガーネの血で濡れた手を見てぐいっと袖口で自分の目元に滲んだ涙を拭った。
「…当たり前でしょ。アタシを誰だと思ってんのよ。アタシは国で一番の医者よ、その認定は…貴女がしたんでしょ、陛下。アタシが死なせない」
「…頼む」
女王の安堵した吐息が漏れて、視線が再びガーネに注がれた。




