140話「糸が切れる」
今までずっと隣で見てきたつもりだった。
けれど、あれは見ていたのではない。ただ結果だけを知っていただけだったのだ。
盤面の読み方も、疑い方も、選ぶ速さも、捨てる度胸も、何もかもが違う。
やはり、ガーネくんでなければ駄目なのだと、嫌になるほど思い知らされた。
スメイラは先頭を歩くガーネの後ろ姿を見つめながら、『彼を守らなくては』と小さく決意した。
城に戻ると、待機の衛兵がガーネに気付き駆け寄ってきた。
「統裁官、お疲れ様です。戻り次第謁見の間に来るようにと、陛下が仰せでした」
その言葉にガーネは「いよいよか」と深く溜息を漏らした。
身辺整理らしいものも何もしていない。まあ私物らしい私物は無いし、どうでもいいか。
俺が死んでコイツらは回るだろうか。自惚れているつもりではないが、俺ごときが外れた程度で正直こんなに、特にスメイラのメンタルが崩れるとは思っていなかった。
何も残せなかったな、最期まで役立たずでしかなかった。
仕方がない、俺はその程度だっただけだ。
「────…行くぞ」
「…うん」
ガーネは決意を固めてから小さく声を掛け、一同は揃って謁見の間へと向かった。
「失礼いたします。ただ今帰還いたしました。見苦しい格好のまま御前へ伺いましたこと、非礼の段ご容赦ください。これより、現場の状況と対応結果につきご報告申し上げます」
そう告げたガーネが女王を真っ直ぐに見つめた瞳は、今まで見たことが無いほど冷えた、諦めとも絶望とも怒りとも違う、ただ覚悟だけを宿した目をしていた。
女王はその淡々とした声と温度の乗っていない視線、首元から襟に掛けて流血した痕と、白いシャツが汗で張り付き脇腹付近がごく僅かに赤く滲んでいた姿に、一瞬だけ目を見開いた。
そして何も言わないまま、言葉を飲み込むように瞼を伏せて玉座で深く座り直した。
「……聞こう」
女王の声が、ほんの少しだけ震えた。
「王都西地区結界拠点付近にて、先程の結界杭案件に連動した術式の発動を確認。一般人に死者数名、負傷者多数が出ています。現場にて均衡教徒一名を確認。魔力吸収型の禁忌術式を使用していました。対象は現地で排除、死体は回収済みです。その後、初動地点の結界杭を再確認。杭の基部、並びに近隣の井戸・噴水周辺に補助術式を確認。いずれも剥離・監査を実施済み、現時点で追加異常は確認されておりません。水路及び水栓系統は念のため再確認を継続中です。以上が報告事項です」
「…そうか、ご苦労であった」
女王はすぐには次の言葉を継げなかった。
ガーネはそこの隙間に捩じ込むように、言葉を続けた。
「なお、本件対応にあたり、私は謹慎命令を破って現場に出ました。処分はいかようにも。…駒の分際で陛下の御手を煩わせるわけにも参りませんので、この場で『自害しろ』と仰せならそのように。────この場へ伺う前に、『覚悟』は決めて参りました」
そこまでの覚悟を決めていたことは、女王はおろか特務の面々も知る由もない。
しん、と重い空気が謁見の間に伸し掛かる。
「ご処分なさるのであれば、どうぞ速やかにお命じください」
女王の瞳が酷く揺れていた。意味がわからない、とでも言いたげなその顔に、冷静に努めていたはずの頭の奥に僅かな苛立ちが沸くのを感じて、ガーネは続けた。
「それとも、その程度のことすら、私に逐一察しろと仰せですか」
それだけ端的に告げると、ガーネは短く息を吐いてからゆっくりと深く深呼吸をした。
「…失礼いたしました。この場で自ら処理いたします。死体の処分のみ、お任せします」
右手がホルスターに収まる拳銃に伸び、自らのこめかみに宛てがう。覚悟を決めたとは言え、引き金にかかる人差し指が震えていた。
────あ、ヤバい。『覚え』があるこの感覚、知ってる。『怖い』。
金属のかちゃりとした小さな音が響いた瞬間、スメイラがはっとして弾かれたように飛び出してガーネの銃を掴んで自害を阻止し、女王へと顔を向けた。
「お待ち下さい!陛下、わた、私が彼に命じました!謹慎中の彼を現場に入れたのは、統裁官代行の私の独断です!!処分は私が受けます!!…ッ彼が、ガーネくん、統裁官であるガーネくんでなければ、間に合わないと判断しました…!!彼でなければ、出来ませんでした!!」
「……わかっておる」
水晶のような澄んだ声が、わかりやすく震えていた。
再びしんと静まった謁見の間に、女王の深い溜息が響いた。
「…スメイラが、ガーネを呼びに来たのも。ガーネが大広間で早急な指示、命令をして現場に走ったのも、全部『聞いて』おった。全部…わかっておる」
「……」
「お前が必要だった。妾が間違っておった。妾が見誤った。…権限剥奪の件、撤回する。謹慎も解く、統裁官として復帰せよ。…ガーネ」
喉元まで何かがせり上がった。
────要るのか、要らないのか。結局どっちなんだ。
けれど、それを問う言葉は飲み込んだ。
「……御意に」
短く返答を返すと、右手に握られた拳銃をホルスターにしまって最敬礼の姿勢を取った。
膝をついた姿勢から立ち上がると、ズボンの内側が妙に重く冷たい感覚に気付く。床に視線を落とすと、ズボンから染みた血が微かに床を赤く汚していた。
「……では、これにて御前を辞させていただきます。…戻るぞ、お前ら」
「…は、…はい」
*****
「…お茶、入れましょうか」
特務室に戻り、カルセが茶の用意しに室内の簡易給湯設備に向かう。
スメイラも、再び泣きそうな顔をしてガーネを見つめてから安堵したように深い息を漏らして椅子に腰を落とした。
聞き慣れた陶器の軽く擦れる音を聞きながらガーネも自席に腰を下ろし、肩と腰のホルスターを外して背凭れに軽く凭れ掛かった。背中に、椅子の背凭れに掛けたままの官服の布地の感触を感じて思わず眉が寄った。
それから無意識に逃げるように机に肘をつくと、何度目かわからない溜息を漏らす。
その瞬間に、張っていた糸がぷつんと切れたように脇腹に激痛が走り、耐えられず息が詰まった。
「ま、まあさ!でも良かったよね!僕ガーネがほんとに自殺するのかと思って声出なかったよまじ怖かった〜!」
「まーね、アタシもあそこまでするとは思わなくてどうしようかと思ったわ。でもよかったんじゃない?アタシとしてはあの女がガーネに謝ったからまあ及第点って感じだけど。腹落ちは正直してないけどね」
「じゃあガーネ様の復職祝いしなきゃね!何かみんなで美味しいものでも食べに行きましょ、あ、でも今日はもう遅いわね」
「まあ、楽しそうですわ。ガーネ様は何を召し上がりたいですか?」
カルセがガーネの席に湯気の立つココアを置いて声を掛けた。
しかし、ガーネは俯いたまま反応が無い。
「……ガーネ様、お疲れですか?ここ数日ずっとお部屋ではなくて特務室のソファでお休みになられていたでしょう、今日はゆっくりベッドで休んでくださいまし。…ガーネ様?」
ぴくりとも動かないガーネの様子に首を傾げながら、本当に寝落ちでもしたのだろうかとカルセが傍に近寄ってそっと肩に触れた。
異常に、身体が熱い。
「え、ガーネ様?ガーネ様、……ッガーネ様!!」
ガーネの足元、椅子の下に赤黒い液体が溜まり、そのままずるりと身体が崩れ落ちカルセの悲鳴混じりの呼びかけが響いた。




