132話「最後の仕事」
薬が完全に切れた様子で、脇腹がドクドクと心臓の拍動に合わせて痛むのを感じた。
ガーネは改めて懐の時計を見ると、痛みで滲んだ汗を雑に袖で拭いながら魔導師棟へと足を運んだ。
とにかく、時間がない。
魔導師棟の門を潜り、詰め所の扉をノックした。かなり遅い時間ではあるが、当番の魔導師は数人いるはずであった。
数秒と待たず入口の扉が開くと、以前国境付近でガーネに酷く粗悪な態度を取った魔導師が顔を覗かせた。
「これは、統裁官殿。いかがされたか」
視線が絡み、ノックの主がガーネであることを確認した魔導師は先日の件の国境結界での一件でガーネに対しての認識を改めたらしく、嫌味な態度は一切無く声を掛けてきた。以前と随分と異なる態度に、思わず苦笑いが漏れた。
「夜分すまないが至急仕事を頼みたい。場所は西部ビーテン区、南ビーテン遺跡。以前異界遺物出土の折りに、宮廷魔導師で遺跡に結界を張っていたと思うが…均衡の連中に破られている。ウチの魔導師に簡易的に張り直しをさせているが、いかんせんウチのは雑だ。頼まれてくれるか」
「勿論、すぐに支度を整えよう」
「助かる。それと…見落としは無いとは思うが、万が一のこともある。ウチの聖女の祈りの力に反応する暗殺用の術式が埋められていた。聖魔法の系統を扱う魔導師は注意させろ」
「承知した」
必要事項を魔導師へ伝達すると、ガーネは踵を返して次の目的地へ向かった。
向かった先は衛兵詰所。詰め所のドアを開き、中に足を踏み入れると見知った顔を探す。
「…衛兵長」
元々は、ガーネが官職課程で警察学校在学中に教官だった男が城で衛兵長として勤務していた。その名残でガーネは多少の敬語と他ではあまり見せない親しみのようなものを持って声を掛けた。
「ガーネ、……いや、統裁官。どうした」
「良かった。今日夜勤だったんスね」
「ちげーよ残業。もうそろ上がるが……何か用事か」
「頼み事が二つほど」
「なんだ、お前の頼みは怖いな」
ははは、と笑いながら腕を組む衛兵長に対し同じように軽く笑いながら視線を『仕事』のそれに切り替えて向け直した。
「なんだ」
「一つは先日俺が捕縛した均衡の捕虜。アレはもう何も喋らないんで、余計なことになる前に処理して下さい。あの女を助けに来る……なんてことは無いかとは思いますけど、念の為」
「わかった。もう一つは」
「通達はあとで回します。至急案件含め、俺じゃなくウチのグリウに話し通すか陛下に話し持ってって下さい」
「……どういう意味だ」
「そのままの意味です。時間無いんで、これで失礼します。頼みました」
何か言いたげな衛兵長の声を遮るように、詰め所の扉を閉めた。
あとは何だ。私室に荷物を取りに行くか。
元々そんなに私物は無いが、多少は片付けるべきか。
エナにも声をかけて…ああ、宮廷医。いや、それはあとでいい。
通達書も作成しなければ。
そう思いながら長く広い廊下を歩いていると、深夜にも関わらずメイド服を着たエナの後ろ姿を見かけた。
「エナ」
名前を呼ばれた侍女・エナは振り返り、ぱたぱたと小走りでガーネの傍に寄った。
「ガーネ様。お疲れ様でございます。ご用でしょうか?」
「ああ、丁度良い。お前に用事があった」
「私に?いかがなさいましたか?」
「お前の侍女としての立場がわからんから何が正解かはわからんが、俺専属で他に仕事が無いなら休暇でも取れ。他に仕事があるならそっちをやれ、しばらく俺の世話は不要だ」
「え、……わた、私なにか失礼を…?不手際でもございましたか…?」
不安そうに眉を下げ、ガーネの顔を見上げるエナにバツの悪さを感じる。
正式辞令が出ていない中で、上手い言葉が見つからない。
ガーネは雑に「明日になりゃわかる」とだけ返すと、部屋に私物を取りに行くのは別日にしようと背中を向けた。
「なんでですかぁ!ガーネ様いやです、わたしがんばりますからぁ…!」
涙声に思わず振り返ると、いつもにこにこしているエナが大粒の涙をぽろぽろと零していた。
困ったようにガーネが肩を竦めると、エナも不敬であることは承知の上でガーネの身体に抱きつく。
衝撃で脇腹に激痛が走り、一瞬だけ息を詰めるものの、胸元でぐすぐすと泣きじゃくるエナを見下ろしなんとも言えない気持ちになった。申し訳程度に左腕で軽く抱き締めて頭を撫でてやり、しばらくして泣き止んだところで改めて声を掛けた。
「別に、お前がどうとかそういう話じゃない。俺の問題だ、だから明日になればわかる。な?頼んだぞ」
「……ハイ」
ガーネ自身、彼女に一体何を頼みたくて『頼む』と言ったのかはよくわからないながらも、疲労感と脇腹の激痛に深い溜息を漏らし、改めて時計を確認する。
時刻は、午前0時を少し過ぎていた。
「宮廷医見せる時間無かったな」
数分前を持って、自身の全ての権限は剥奪され、申し訳程度の役職名だけが残った。
痛み止め程度はせめて欲しかったとぼんやり考えたが、すぐにその考えも捨てた。
────もういい。縫ってはある。そのうち塞がる。今の自分に、そこまで手をかける理由も無い。
足取りも何となく重く、まだ明かりの灯る見慣れた特務室の扉を開いた。
『命令通り』全員引き上げてくれたようで、無人の室内にガーネはどこか安堵して息をついた。
脇腹の痛みを耐えながら、官服を肩から外して脱ぐと自席の椅子の背凭れに掛けた。
「あ、席」
────まあいいか、正式更迭されたら、勝手にやるだろ。
午前0時を過ぎてはしまったが、許容範囲だろうと統裁官としての本当に最後の仕事をすべく、紙の束を用意して机に向き直り万年筆を手にした。
各所への通達書を作成し、インクを乾かすように机に並べたところで明け方になりかけていた。
「…寝るか」
ガーネはネクタイを外しそのままシャツのボタンを数個外して緩め、いつも定位置のように陣取っていた窓際のソファに腰を下ろす。
腹部の痛みに、ポケットから村医者にもらった鎮痛剤のシートを取り出す。
残りは六錠。昨日飲みすぎなければ良かった、と今更な後悔が過る。
一錠を押し出してそのまま口に放り込み、水も無しに無理矢理飲み下した。
痛みを紛らわせるように、細く息を吐き出して目を伏せる。
「……俺、役立たずだったんだな」
自分の努力の方向が違ったのかと、そこに関しての反省をしつつソファの座面に雑に転がって無理矢理寝る体制を取った。




