131話「統裁官」
広い謁見の間の空間だけ、重力が増したように空気が重苦しくなった。
「ガーネ。妾は先日お前になんと言ったか覚えておらんのか。妾の持ち物であり駒である分際で、勝手に故障箇所を増やすな」
「申し訳ございません。ですが先程も申し上げた通り、動けます。駒としては充分事足りるかと存じますが」
ガーネの背後では、特務の人員一同小さく息を飲んだ。
誰も口を挟むことができない。女王の静かな怒りの圧が肌に刺さるようで、視線も動かすことが出来ずにいた。
ディアマントは扇を広げて口元を隠していつになく深く盛大な溜息を漏らすと、肘掛けに腕を置いてガーネに酷く冷えた目を向けた。
「お前は、何もわかっておらぬ」
「『壊れるな』『壊すな』と仰せでしたよね。俺は壊れてません。駒でも犬でも何でもいいですが、死んでない。五体満足です。動くには支障ありません」
ガーネの返答に、ディアマントの視線が一層冷えた。苛立ちが一層増して、眉間に皺が寄る。
手に持っていた扇をぱちんと音を立てて閉じると、その苛立ちと怒りの冷え切った圧を持ったまま静かに吐き捨てた。
「…お前と話していると腹が立つ。もう良い、ガーネよ。お前は本日0時を持って二週間の謹慎処分とする」
「……はぁ?」
「ガーネ。お前の落ち度は負傷そのものではない。高位職にありながら己の損耗を隠し、自己判断で任務を継続し、統裁官としての自己管理義務を怠ったことにある……妾の意を汲んで動けるなどと戯言を吐きながら、この有様か。己の身すら適切に扱えぬ者に、他者を預けるわけにはいかぬ」
そこまで言われても表情一つ変えないガーネの様子に、ディアマントは珍しく沸き立つ苛立ちを隠しもせずにそのまま顔に出した。
「お前に統裁官の権限は不要だ。権限を全て剥奪する。指揮権・権限はスメイラへ移譲、謹慎を命ずる」
その言葉を聞いたガーネの表情が、やっと変わったことにディアマントは無意識に小さく安堵の息を漏らす。しかしそこにあったのは、反省でも絶望でも懇願でもなかった。
感情の熱だけがすっと抜け落ちたような、無関心の顔だった。
────何故、この男は妾の思惑がわからない?
そう思えば尚更腹立たしく思え、ディアマントは盛大に舌打ちを漏らした。
「……暫くお前の顔など見とうない。だが勝手に彷徨かれても困る、城外への立ち入りも禁ずる。しかと反省せよ」
そう静かに告げると、ディアマントはゆっくりと玉座から立ち上がった。
そのままその場を立ち去るべくドレスの裾を翻し踵を返したが、数歩進んだところですぐに振り返りガーネを一瞥し、鼻で笑うように笑みを零した。
「ああ、そうじゃ。…フン、役職名のみは残してやる。ガーネ…いや、『統裁官』よ、半月の間は大人しく城に留まり、書類仕事でもしておれ」
「かしこまりました。仰せのままに、甘んじて受け入れます。では私はこれで失礼いたします」
ガーネは『女王から下った処分』を受け、静かに敬礼をして謁見の間から立ち去った。
同席していた特務の面々は、女王の下した処分に対し意を唱えることも出来ず、全員が顔を僅かに青ざめさせて同じように静かに立ち去る女王へ敬礼をし、姿が見えなくなってから慌ててガーネの姿を追いかけた。
こつこつと廊下を進む足音が響く中、ヘルソニアの小さな溜息がディアマントの背後で吐き出された。
「陛下、本当によろしいのですか。私は貴女の思惑は理解しておりますが、……『拗れます』よ」
やや呆れたようなヘルソニアの物言いに、苛立ちを募らせたディアマントは眉間に皺を寄せたまま振り返り睨みつけた。
「なにがじゃ。…フン、ガーネのやつ、これで少しは安静にして反省でもしておればよい」
「……陛下の御心のままに」
特務室に戻ったはいいものの、葬式のように暗く、重苦しい空気が室内を満たしていた。
特に『ガーネが庇った』カルセが、双眸に涙を滲ませて唇を噛み締めていた。
ガーネはその様子を見ながら小さく息を漏らすと、自席に腰を下ろしてネクタイを緩めた。
懐から取り出した時計で現在時刻を確認し、机の引き出しを開けてて顔を上げた。
沈黙を破ったのは、ガーネの声だった。
「スメイラ」
「え?な、なに」
ガーネの呼びかけにスメイラが弾かれたように顔を上げると、手元を目掛けて何かが飛んできて慌てて両手で受け取った。
スメイラの手の中に収まった統裁官の印章は、見た目以上に重く感じられた。
実際の質量だけではない。これを受け取ってしまったことで、『ガーネの代わり』という重責が形を持ってのしかかったからだ。
「…ガーネくん」
「なんだ」
「……私、…無理」
「は?なにが」
「君の代わりなんて無理だよ、出来ない!」
珍しく声を荒らげるスメイラに、ガーネは小さく溜息を漏らした。
「スメイラ、出来る出来ないじゃねぇ。やれ」
「…っ…なん、で、そんな平気そうなの…!?」
ガーネは少しだけ考えるように頬杖をついて黙った。
僅かな沈黙の中、ガーネに視線が注がれる。
「うーん…なんでって…俺はずっと言ってたろ。俺は駒で犬だって。それが、俺があの人の駒として力不足だったってことを明言されただけに過ぎない。陛下がその判断をしたのであれば、言葉通り俺は不要なだけだ。それ以上でもそれ以下でもない」
スメイラの言葉になぞらえれば、正直平気かと言われればガーネ自身平気ではなかった。
勘違いや自惚れも多分にあったのだ、自分は自分が思っている以上に役に立てていなかったのだと反省こそすれ、下された処分に対し落ち込みや悲壮を表に出すことはなかった。
最初から、自分は犬であり、最後までただの女王陛下の盤面の駒の一つでしかなかっただけだ。ただ、それだけの事実を突きつけられただけ。
半月の猶予の間に、身辺整理と引き継ぎを滞り無く済ませろという話しだろうと判断した。
────正式な更迭はいつになるのか。それまでに、スメイラたちが困らないようにはしてやらねーと、さすがに可哀想だよな。なら最後まで自分がすべきことは責任を負う、ただそれだけのこと。
全員の視線が集まっている中で、ガーネは珍しく嫌味でもなんでもない柔らかい笑みを浮かべて立ち上がった。
「俺の権限剥奪まであと2時間弱ある。俺はまだやることがあるが────最後の命令だ。今日は全員、さっさと上がって休め。以上」
それを告げると、ガーネは権限のあるうちにすべきことを片付けようと部屋を出ていった。




