ミーシャ③
悲鳴は女性のものだった。階段の上を振り向けば、気絶していた銀髪の女性が虚空を見て叫んでいる。
見えているのはオーディンの幻覚であり、彼女自身は特に何かされているわけではない。だが彼女が何かを怖がっているのは確かだ。
私は少し逡巡した。
……ここで無視して帰っても別にいいのだが。
「どうしますー? シャロンさん」
「……」
五秒だけ迷った。
なにせこの街は私にとってはさして重要ではない。ただの通り道だ。
この香を操っているミーシャはきっと死ぬまでこの街の人々を脅し続けるのだろうし、オーディンは傀儡にされ続ける。
だけど。
「……しょうがないよ」
私は入り口に向き直った。
仕方ない。私には関係ないことだ。最初の動機も嘘だと分かったし、なんならあの銀髪の女性だって仕込みかもしれない。
助けに行ったら最後、今度は幻覚じゃない何かを喰らうかもしれない。
いやそもそも、幻覚なんだから別にいいだろ。
本当に怪我したり死んでるわけじゃないし。
……でも。
兄貴ならきっと。
「……しょうがないよなーー関わっちまったんだからさ」
向き直った。
ここで見捨てるのはどうにも寝覚が悪い。
あの悲鳴が仕込みじゃない可能性だってあるんだから。
・・・
、
「『風魔術』ってやっぱりまだ無理そう?」
「まだ五分なので無理です」
「よし、じゃとりあえずミーシャ(あいつ)に五時間眠ってもらうとするか。その後に全部吹き飛ばして終わりだね」
「はーい」
螺旋階段を上がっていく。足音にミーシャが気づいた。
「……」
ミーシャは何も言わない。ただこちらを見つめているのが少し、不気味だ。
その不気味さを誤魔化すように私は宣言する。
「とりあえずアンタには五時間ほど眠ってもらうことにした」
「え? だって……」
「まあそう言うなって」
私は男より力が強いが、相手は同じ女だから手出してもいいーーそういう理論で、私は真っ直ぐミーシャの鳩尾を狙う。
もちろん手加減はするから死にはしないが、五時間眠ってもらう程度の威力はあるはずだ。
直前、全てがスローモーションに思えた。
確実に当てるために左手で彼女の左腕の辺りを掴む。彼女の輝く髪の色が目の端に入る。あと数センチだ。
ふと鼻をくすぐった清涼な香りと共に、視界の端に映る銀髪ーー
銀髪?
「ーーッ!!」
当たるギリギリで拳を止められたのは不幸中の幸いだっただろう。
鳩尾を狙っている瞬間なのだ。銀髪の女性は視界に映るわけがない。つまりは目の前の女の髪の色。そして香料とは違う香り。
別の仕込みがある。
ミーシャは据わった目で私の方を見ていた。
今殴られようとしていたのに? 怖がりもせず?
私は先程悲鳴を上げた銀髪の女性を振り向いた。
それに……可能性があるとすれば。
「……どこからだ?」
「え」
「……どっからが嘘だ?」
「な、なに言ってるんですか、早く助け……」
「まだしらばっくれる気かよ。最初っからミーシャはアンタだだ。そうだろう」
「えっ!? そんな何を証拠に……」
「いくら幻覚でも、扉がひとりでに吹っ飛ぶものか」
それにオーディンが動けないなら、車椅子をわざわざ入り口まで運ぶ役がいるはずである。それができるのは一人しかいない。
睨み付ける私に応じて、はあ、と銀髪の女性はため息を吐いて立ち上がった。
立ち上がって気付いたら、彼女の髪は美しい金色になっていた。そこには先程までの悲壮な女性の面影はない。
彼女は一瞬微笑むと、開口一番こう言う。
「僧侶って、人を治す職業なのね?」
「……!」
先程聞いた声そのものだ。
だが声の調子が違う。明らかに挑発している先程の様子とは全く違った。
「でも、じゃあどうして医者がいるのかわかる? 全ての人間には魔力があるんだから、みんなが僧侶が使う術を覚えればいいのに専門職があるのはどうしてだかわかる?」
「……普通の人間には魔術の素養はない、だから……」
「それもあるけど一番の理由は違うの。僧侶は特別だから。治ったようにも見せかけられるのよ。僧侶の役割ってのは、戦場で誰も死なせないことなんだから」
僧侶の役割は、戦場でメンバーの傷を癒すことだ。しかし一時を争う戦場で全ての傷を完治させている暇はないから、痛みだけを消すこともあるという。
「てことは、つまり人の感覚を弄れるわけね? 幻覚を見せることも難しくはないってわけ」
「……なるほど。兄貴の言ってたのはこういうことだったわけね……」
心が空っぽなのだ。頭とは限らない。
「アンタの目的は私を『加害者』にすることか」
「それもあるけど、この街普通に気に入らないから。気に入らないやつを気に入らないやつに潰させたら面白いでしょ?」
「……兄貴をオーディンにやらせたように?」
「あーそうね。あれは上手くいったわー。オーディン馬鹿だから、私があいつに襲われたって嘘ついただけですぐ信じちゃって」
「……何?」
アルファルドの手記を思い出す。
オーディンのしていた誤解とは、ひょっとしてこれか。
「でもあいつは最後の最後にとんでもないことしやがって……こうやってオーディンのせいにしてるけど、それだって本当大変なんだから」
元凶はオーディンではなくミーシャだったというわけか。
「なるほどな……そういうことか」
私は気付いたらそう呟いていた。
「アンタは心底何もわかっちゃいない。一発殴ってーーいや、賭けてやるよ」
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