第八話 生きているということは、死んでないということだ(極点・五)
地上の、個の悪魔同士の戦闘領域となった街中で。
「……熱いのう、アスモデウスよ」
悪魔アガレスはクロケルの亡骸を抱きながら、自身の地上に於ける思想を思い起こすのだった。
――儂は何よりも先ず、全ての個の悪魔が地上に降り易いようにしたかった。
古い時代に比べれば、現代の人間が持つ精神の力はその質と量共に矮小である。
其処に生きるものの精神力の低下は、その地の大気に含まれる超自然の魔力を眠らせる事へと繋がり……。
そんな中に在っては悪魔自身が有する魔力の消耗も激しくなり――隠れるように異空間の内から、細く地上に介入するしか道が無くなっていったのである。
だが五年以上前、大いなる存在の意思は悪魔の内情を顧みず、寧ろその脆弱となった立場を利用せんとばかりに、更なる運命の枷を嵌めた。
天使としての新生……悪魔にとって最大の侮辱とも言えるその所業に、七十二の個の悪魔達は、徹底して反目する意を決めたのだった。
アガレスは思う。
――我が一派は現代の人間にとって想像の付け易そうな、如何にも粗暴な悪魔としての振る舞いを続けた。それに依って民衆は気付かぬ内に悪魔という存在に慣れていき、また地上の大気も少しずつ、我等が異空間の門より放つ異界の魔力と融和していったのじゃ。……その結果、我が一派に属さず大規模には掬火を手中に収められぬ他の個の悪魔達も、地上に降りる事が成った。
地上の大気の魔力が異界のそれに似てくれば、そもそもの悪魔が持つ力の消耗も軽減される。
それは十分に理に叶う事なのである。そしてアガレスはこの四年、真なる悪魔としては道化に過ぎる役回りを演じながら、結果を、伴わせたのである。
それは忍耐強さも必要とはしたが、しかし広い視野で悪魔という種族の事を思えばと……アガレスは自らと志を同じくしてくれた同志と共に、それを成し遂げてみせた。
――これで悪魔達はこの地上で、それぞれの行動を取り易くなった。後はあのアスモデウスとの決着を、付けるのみ……。
「行くぞ、アガレスッ!」
……力を放出し動けなくなったレライエを捨て置き、アスモデウスがアガレスへと狙いを定め突っ込んでいく。
その下半身を魔力の影のオーラに溶け込ませ、騎槍を構え高速での突進を繰り出すのだ!
「サブノック、あれは任せるぞ」
「うへぇ、こっちの方がきつかったぁ。でも了解す!」
アガレスの傍に控えていたサブノックが、ここで動く。
迫るアスモデウスの突進を、彼は丸腰のままでアガレスの前に立ち、その身を呈して――
「……へへっ!」
――いや。両者の激突の中で鳴ったのは、肉が裂ける音では無く、ぶつかり合う金属音であった。
不敵に笑うサブノックの両腕には腕甲が発現、装着されていた。その硬き拳で以てアスモデウスの騎槍を、受け止めていたのである。
十数歩分の距離を後退させられていたが、それでも彼は受け止めた。
「サブノック、お前も俺の邪魔をしてみせるか!」
アスモデウスが凄まじい形相で彼の名を叫ぶ。
その激し過ぎる様にサブノックは、額に汗を流しながら、それでも若者のような軽口の叩き方をしてみせる。
「その必死さ、あのいつでも悠然な態度だったアスモデウスとは思えないっすね。流石に個の悪魔の魔霊四つもその身に宿してたら、精神が異常状態になっちゃうって事すかねぇ?」
その言葉にアスモデウスは、露骨にイラついた顔となるが。
――しかしサブノックの目つきは真剣そのものであった。彼は彼で、仲間と思っていたクロケルを失った哀しみを、闘志へと転じていたのだから。
「サブノック、暫し抑えておれよ」
アガレスは彼にそう命じて、同じく膠着しているアスモデウスに向けて、自身の手をかざすのだった。
……奴の念が発せられ、それに呼応するようにアスモデウスの身体から、或る力が抜き出される。
「――アガレス、貴様!!」
それは彼が四年前の阿頼耶から預かった、彼の魔力の源泉となる掬火だったのだ。
「サブノックの言った通り、幾多の魔霊をその身に宿しては精神の負担も大きかろう? せめてこの掬火は儂が受け持ってやるわい」
アスモデウスの眼が怒りに満ちる。それをアガレスは、悠々と受け流す。
「安心せい、傷付けなどはせぬ。……儂も或る意味で、あの童の心の目覚めを待った身じゃ。受け持つ資格は十分有ろうというものよ」
そんな二人のやり取りを感じながら、サブノックも自己を主張していく。
「俺達一派に喧嘩を売ったんだから、そりゃあ何かしらのリスクは負わなきゃ駄目っしょ。――むかつくならさ、戦い合えば良いってんだよっ!!」
瑞々《みずみず》しさとも呼べる、彼の苛烈な気迫。
……それを、アスモデウスは感じ取った。
そして。
「――成程な」
怒りの頂点を超えてニヤリと笑った。
己の戦意の昇らせ方とは異なるサブノックの高揚《アゲ方》に、彼はここでその違いをはっきりと認めたのだ。
そしてそれ故にこう思った。
――こいつには言葉で教えるというやり方は、逆に無いな!!
「お前のその型の違いぶりに……むかつき過ぎて、逆に冷静になったぜぇっ!!」
咆哮の如き叫びを上げる。しかしこの叫びは、悠然と戦意を燃やす、元々の彼らしい型式と言えるものであった。
下から左脚を振り被り、サブノックの腹を激烈に蹴り上げる!
「――ぐばぁっ!?」
大空へと勢い良く吹っ飛んでゆく。
アスモデウスは暫しの間アガレスの方を見て――
「お前達一派の、個の悪魔全体の事を考える姿勢は面白かったが……人間が自ら神や悪魔に挑み掛かる精神性を開くには、そろそろその存在は邪魔だ」
――と、そう告げてサブノックへの追撃の為に飛翔していった。
その風圧を泰然とした佇まいで受け流しながら、アガレスは、例え彼が聞かぬでもその言葉への返しの文言を呟くのである。
「……儂もな、あわよくば人間のヤる気の芽生えをと期待はしておったよ。しかし確かに、奴等への儂の方針は温過ぎたな。――この四年で奴等は『それならそれで』と、その温さに合わせ緩々《ゆるゆる》と掬火を奪われる道を選びおったのじゃ。……群衆心理が何よりも勝る、ということなのかのう」
大多数の人間の目から見れば、ベリアルもザガンもアガレス一派も、そしてアスモデウスも……皆一律に変わらぬ、『悪魔』という漠然とした認識の域を出ない化け物だということ……。
――それならそれで構わぬか、とアガレスは思う。
今は個の悪魔の中で唯一……あのアスモデウスの思惑だけが、人間の精神が持つ可能性を見限らぬものである。
だが人間でそれを知る者は、唯の、一人も――。
――(六)へつづく――




