第八話 生きているということは、死んでないということだ(極点・二)
※
七日後……。
「アガレス一派が動き出したのか?」
ゴモリーの宮殿で、阿頼耶は魔力に依り生じた映像盤で地上の様子を見ながら、そう語り掛けた。
既に異空間の気にも慣れており、新たに白のカッターシャツ、黒のデニムジーンズを着こなしている。
傍に控えるゴモリーが頷く。
「ええ。軍団の展開が、これまでよりも明らかに大規模だわ。――それにアガレス本人まで出て来ている」
阿頼耶は映像盤の向こうの老人風の悪魔を睨んだ。
「アガレスか。一派の親玉までもが出張るってのは、アスモデウスの出現に対する備えに違い無いな」
それにしても――と、彼は思う。
「……あいつ何で爺さんの見た目なんだ?」
――四年前、阿頼耶の父晴人は老人の姿をした悪魔に殺されている。
彼は今、あのアガレスが父を殺したのだろうという漠然とした思いで奴を見ていたが。
そうする内に、ふとそんな疑問が浮かんだのだった。
「そうね……。個の悪魔は時に自らの肉体を転生させるけど、新たな肉体をどのようにするかは、本人の『次は世界でどう在るべきか』という思いで決まるのよ。多分奴の場合は、『最早世界の事は知り尽くした』という風にでも思ったんじゃないかしら? その思いを老成した姿として結実させているのよ、きっと」
「へえ」
阿頼耶の返しが僅かだったのは、それ以上感想を言い表す事が出来なかったからだが……。
四年と半年もの間地上の人間に対し手抜きの侵攻をしていたというのは、確かに或る意味で達観した老人のようだな――とは思うのであった。
「阿頼耶、アスモデウスが来るわ」
――ゴモリーのその言葉で、阿頼耶の表情は鋭さを増した。
※
街の中で、民衆が属体悪魔の群れから逃げていた。
それをアガレス一派の個の悪魔達は眺めていたが、唯一人、大弓を得物として持つクロケルが空に向け矢を番え出したのだ。
「撃ち落とすよ」
放たれた矢は、螺旋のような気流を纏って飛ぶ。
「アスモデウスかの?」
アガレスがそう尋ねたのと同時に、フォルネウスが得物の長斧を手に空へと飛び出していた。
「ね、姐さん!?」
派手に驚くサブノックに、
「へっ、もう人間共に犠牲者が出るな」
レライエがそう言葉を被せる。
――上空。
影の魔力のオーラで飛行していたアスモデウスはその揺らぎ燃える精神力で以て、こちらに迫る攻撃を感知した。
「ふん!」
身を捩って軌道を変え、クロケルの矢を回避する。
しかしその回避の動きに合わせる形で、飛翔するフォルネウスの長斧が、こちらを切り裂かんと迫っていた!
「アスモデウス、覚悟!」
凛とした声色で怒号を上げるフォルネウス。
その振り被られた長斧の一撃を、アスモデウスは地上に背が向くまで身体を反転させ切る事で制動を掛けて、水平に構えた騎槍の柄の部分で――受け止めてみせた。
「ならばこのまま叩き付ける!」
フォルネウスもまた影の魔力のオーラを纏っており、強大な念を込めてオーラを御して――瞬時に飛翔の軌道を真下へと、落下する力へと転換する。
「――ちっ!」
アスモデウスは端的な声の上げ方をする。
フォルネウスは長斧の斧刃の窪みに、騎槍の柄を引っ掛けさせていた。
そして靴底を天に向け、全体重を長斧の重量に上乗せさせて、アスモデウスごと急降下するのである。
「レゾリュート・グラヴィティー!!」
華断の重撃――この魔技の威力は、激しく重い一撃だ。
迂闊に逃れようとすれば、却ってダメージを負うことになる……アスモデウスはそう判断した。
だから逆に不動となって魔力のオーラを増大させ、こちらはそれを肉体の防御力に転換させてゆくのである。
二人が地上に激突する。
――アスファルトの地面が円状に抉れ、衝撃の余波で、間近に居た人間数人の体が吹き飛んだ。
「きゃあああ!?」
「何なんだよっ!!」
属体悪魔の襲撃とは明らかに異なる凄まじき暴威。その様を目撃した民衆が、驚愕し悲鳴を上げる。
「お……おおおお、おっ!?」
……そこに綿津見玲子の姿もあった。
※
「なっ――!」
阿頼耶もまた驚きの声を上げていた。
「流石にアガレス一派も、アスモデウスを相手にする為に一時方針を変えたようね。これまで奴等は民衆に手心を加えて、可能な限り被害を抑えるよう立ち回ってきていたけど……今日ばかりはそれも望めない」
ゴモリーの声も張り詰めており、その緊迫感に、阿頼耶は息を呑む……。
「今は行っても、割り込める余地が無いわ」
阿頼耶の気持ちを察した彼女は、先んじて彼の行動を制してみせた。
「くっ。……分かってるさ」
「ごめんなさい。個の悪魔に同族殺しの禁忌が無かったなら、私も共に出て、出来る限り貴方の助力をするのだけれど……」
この宮殿で共に過ごす中、ゴモリーは阿頼耶に、悪魔の事を少しずつ語っていたのだ。
先に言った禁忌についても、である。
「いや……。どの道、あいつは俺達に助けられる事なんかは望んでなさそうだから、な」
阿頼耶はそう呟いて、映像盤が映すアスモデウスの姿を見つめる。
――彼は落下の衝撃を耐え切り、気迫を発して立ち上がっていた。
血を流し、必死の表情でフォルネウスを睨み付けている。
……ゴモリーと志を同じくする仲間の悪魔が、以前彼と接触を図っていたらしい。
その時その悪魔が聞いた彼の思惑が、次のようなものであった。
――多くの悪魔は自身の運命に抗うことを主眼に行動しているが……あいつは悪魔だけで無く人間までもを、大いなる存在の意思に逆らわせたいと考えていたんだ。
だからアスモデウスは、人間を滅ぼそうとするベリアルや、隷従させようとするザガンを、相容れぬ思惑の持ち主として打ち倒したのである。
戦闘は続いている。
……フォルネウスの大振りな攻撃の、その点と点を結ぶかのような呼吸で放つクロケルの矢が、アスモデウスの攻守の流れを乱す。
一方フォルネウスは防御よりも攻撃に力を注ぐ。騎槍の突きが身体を掠めることは厭わず、アスモデウスを追い込んでいく。
戦いは激しく、街にも損害を出してゆく。
民衆の中にも。時に二人が打ち合う衝撃で吹き飛び、時に得物の軌道に巻き込まれて身体を裂かれる。
――そういう事だってんなら。……あいつはこの四年間、人間《俺》が悪魔と戦い始めるのを、ずっと待っていてくれたって事になる。
長斧を受ける度、アスモデウスの体力は削り取られている。だがその眼のギラつきは微塵も衰えない。
……矢を回避する中で深く足を踏み込んだアスモデウスが、その力を刹那、攻撃の力へと転換させ――迫るフォルネウスの長斧と打ち合った。
双方が大きく血を散らせた。
そして――長斧が飛ぶ。
その落ちた地点の傍に居た黒毛前髪ぱっつんの女子が、びびり散らかした表情で叫んでいた。
フォルネウスに追撃を加えようとするアスモデウスを、あのレライエが、剣の一閃で食い止める。
刀身は、以前見た青白いものから銀色に変貌していた。
――(三)へつづく――




