第八話 生きているということは、死んでないということだ(極点・一)
ゴモリーの口から語られた、七十二の個の悪魔の秘密。
そしてそれを知った阿頼耶。
「私の願いに直ぐに応えてくれる気にはならないでしょうけど、少なくとも貴方はもう、悪魔の動向から目を離せはしない筈。――ならばこの宮殿に居て。現状ここ以上に悪魔を知れる場所は無いから」
ゴモリーは阿頼耶の心に寄り添う意識で、そう言葉を掛けている。
ただ彼女とて彼とこうして直に言葉を交わす内に、どうしても、気持ちの逸りを生じさせずには居られなかったのだが。
「……アスモデウスの事も知れるか? あいつとは深い因縁で結ばれてるんだ」
阿頼耶の言葉にゴモリーは、頷く……。
「勿論よ。奴は今アガレス一派と敵対していて、近く激しい闘争を起こす――と私はそう踏んでいるわ。既にベリトとアムドゥシアスという一派に属する個の悪魔は、奴に葬り去られている」
「成程な」
……彼女の言葉を全て受け入れる事が出来た訳では無いが。
しかしかつてはまるで得体の知れない相手だった彼女の印象が――今の阿頼耶の眼には、変わって見えていたのだった。
「……私のこと、許してくれるの?」
阿頼耶がこちらの胸倉を掴んでいた手を離したのだ。その意味を、ゴモリーは尋ねているのである。
「許すも何も、俺が勝手な怒りをお前にぶつけてただけだからな。――母さんの事をお前に何とかして貰おうなんて考えるのは筋が違う。それに元々、俺が母さんの心を傷付けていたんだしな」
生きていく中で、それまで近しい距離に居た者と決別をする事はある。その際に生まれる痛み、そして自身が与える痛みからも、本来目を背ける訳にはいかない。
阿頼耶は、それらの事からは逃げなかった。
「……母さんの人生は、その最後も含めて母さんの物だった。俺は、勝手に怒っていただけ。……母さんは死ぬ直前に、俺を責めるようなことも言ったりは――しなかったしな」
「瀬那阿頼耶……」
阿頼耶はゴモリーに、ここで、目を伏せて言った。
「……絶対、不幸な筈だったのにな。それなのに母さん、あの時『幸せだった』って言ったんだぜ。……幸せで何で死ぬんだよ……最後の最後に、良い親らしく在ろうとしやがってさ……」
愛美の最後の瞬間に、自分が何を思ったのかを思い出す。
――あの時俺は母さんに、哀しむよりも、怒ってしまっていたんだ。……あんな土壇場まで来ても、それでもまるで言ってることが、俺の気持ちと噛み合わないことに……。
「……怒るだけ馬鹿馬鹿しいんだ。母さんの心は、きっと……怒る俺に『お前のそんな顔を見るのは哀しいから、どうか止めて』ってそう言うんだろう。……俺が怒る意味なんて少しも考えようともしないで……全く、馬鹿にしてる……」
話せば話す程、理屈を超えた怒りが湧き出てきてしまう。
――全く、俺は何故こんな人間なのだろう……。
怒りの感情が心に巡る、そんな感覚が阿頼耶の中に確固として在った。
それは十八歳となる彼がこれまでの人生で意識化させるに至った、彼の魂が有する精神性の在り方なのだった。
……ゴモリーは阿頼耶の意識が何かに葛藤をしているらしい事を、感じ取れていた。
「……貴方の中に生じている思い――それを言葉として出せる? 複雑な言い方で無くても良いの。私は、聞いてあげるから」
そっと、そう言葉を掛ける。
彼女の示した意思に……阿頼耶の長い間鬱屈していた気持ちが、ほんの少しだけ晴れた。
「……母さんも、それに父さんも、その死の間際にどんな思いをしていたのか。――俺は、少しも知らないままなんだ。想像も出来ない。そもそも、俺はずっと二人に対して――この人達と俺は違う――って風に思ってた位なんだよ」
これまで誰かに向けては話さなかった思いを、今ゴモリーに語っている。
「生きているっていうことは、死んではいないっていうことだ。……だから、もし死ぬってなった時には、自分の持てる命を全て使い切ってから死ななくちゃいけない。――今になって思うんだ。あの人達が最後にどんな思いで自分の命を使い果たしたのか位は、俺は知っておきたかったってさ。……だってそうじゃなきゃ、何一つ二人から受け継ぐ事が出来ないじゃないか。独りになって、それなのに二人の命の重さを少しも感じ取れないなんて――そんなんじゃあ俺は、俺自身の命も大事にする事が出来ねえよ。……今俺が生きていることの価値を、見出せないんだ……」
ゴモリーは、ただずっと彼の話を聞いている。彼の真剣な顔を、見つめながら。
「……勝手なことしか言ってないな、俺は。二人のこと、好きだと思ってなかったっていうのに」
最後の最後にそう問い掛けられて、彼女は、そこで初めて言葉を返した。
「ずっと心の奥で抱いてきた拒絶の思いを、これまで二人の為に、我慢し続けていたんでしょう? それは貴方の優しさよ。それ以外何物でも無いわ」
それはゴモリーの本心だ。これまでずっと彼の事を見てきたからこそ、確信を持って言える彼女の思いだった。
阿頼耶は自嘲気味に笑う。
「そもそも人間は皆勝手な生き物だ、位言えよ」
「それ自体は――私にとっては至極当然の事過ぎて、会話の決め手として使うのは逆に憚られるわ。でもだからこそ私は、その勝手な人間の思いの中でも、甘く煌めきを放つ情念を見出したいの」
ゴモリーの瞳は真摯に――貴方の思いは十分それに足るわ――と告げていた。
それを感じたから、阿頼耶はこれ以上無理して自分を悪者にするのを止める……。
「……むかつくな。やっぱり一発位は殴ってやれば良かった」
「そうしてくれても良かったのよ。……殴らなかったのは、悪魔といえども私を女として扱ってくれた――ということなのかしら?」
ゴモリーはその言葉を、意識はしないままに口にしていたのだった。
――彼と再会する少し前にウェーブを掛けた赤い長髪に、無意識的にそっと手で触れもした。
これだけ長く話をしたのだ。彼女といえど少しは疲れが出て、そして、寄り掛かりたくもなるというもの。
「……」
「そういう訳じゃないけどさ」
「そ、そう……」
微かに残念がっていたゴモリーに、しかし、阿頼耶はこうも告げる。
「……今は俺の方が、お前より背が高いからな。それなのに無抵抗のお前を殴るのは格好悪いなって、ついそう思っちまったんだよ」
ここまでずっと深く重い話をして、遂に、気が抜けたのだろう。
阿頼耶は何も考えず、自分の頭に手を乗せてから、その高さをキープした状態でゴモリーの頭上までその手を持っていく――という仕草をしてしまっていたのである。
「――っ!?」
この突然の行為に、ここまでずっと貞淑であった彼女も、驚き顔で後退りせざるを得なかったのだ。
――ど、どうして突然こんな事が出来るようになるのかしら!? 私を、翻弄する程に!
「えっ」
阿頼耶は、あくまでも素であった。
或いは、それも『王たる者』の片鱗か――。
「ご、ごめんなさい、驚かせてしまったわね」
「いや、寧ろ俺がお前を驚かせたように思うんだけど」
「良いのよ、私が悪いの。……とにかく、私に対して気に入らない事が有るとしても、今はこの宮殿に居て欲しい。貴方を地上で独りにはしたくないから……」
それは言葉を尽くして納得して貰うというよりも、幾分感情を前に出しているというだけの話し方になってしまっていたが……。
「あ、ああ……」
ゴモリーにとっては幸運なことに。
駆け引きでは無いその話し方が、阿頼耶の心には刺さり易かったのであった。
――(二)へつづく――




