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第八話 生きているということは、死んでないということだ(最奥・二)


 ※


 阿頼耶は自宅で、入浴を済ませていた。


 幾分英気も養うことも出来たが。


 夕方レライエにやられた傷……特に顔の左頬の蹴られたあとはかなり目立つものであり――。


彼はその痕を鏡で見ながら、あの戦いでの事を改めて記憶に刻み込むのであった。


 寝間着ねまきとしてのジャージ姿でリビングに立った彼は、そこで母の帰宅を迎える。


「母さん?」


 もう夜も深い。いつもの帰宅時間よりも大きく遅れて帰ってきた愛美に、阿頼耶は軽い驚きを見せずにはいられなかった。


 愛美は済まなさそうに「ただいま」と告げた後、阿頼耶の顔を見て、眉をひそめる。


「その傷、どうしたの?」


「……悪魔にやられたのさ。けど大事って訳じゃない、気にしないでくれ」


 阿頼耶は数日前、愛美に、既に悪魔と戦う意思を伝えている。


 今更何を取り繕う必要がある――阿頼耶はそういう思いであったのだ。


「そうなのね。……ちゃんと家に帰ってきてくれたから、良いわ」


 愛美の返答は、これまでの彼女を思えば意外なものであった。


「てっきり怒られるかと思ったよ」


 阿頼耶はそう軽口を叩いたが。


 しかし内心では……『お前に怒ってももう無駄でしょう』と、そう詰られても文句は言えないという風に思っていたのだ。


 ……愛美は、優しげに微笑む。


「だって私にはそんな資格なんて無いもの。これまで私が弱い所為で苦労を掛けてしまって、本当にごめんなさいね」


 そう言って、阿頼耶に向けて頭を下げていた。


「いや、そんな事をするのは止めてくれ! 俺は母さんに、そんな風に謝って貰う事なんてのは望んで無いんだ」


 阿頼耶は慌てて、愛美に顔を上げるように促す。


 本心でそうしたのだ。


 そんな阿頼耶に、愛美は少しだけ、寂しげな表情を向けるのだった。


「優しい子よね、お前は。……そうよ、こんな優しい子を、私は縛り付けてしまって……」


 ……自分の体を両手で抱いて、愛美はうつむき、全身を震わせる。


「母さん? ……本当に良いんだ、気にしないで。前にもこれはちゃんと言ったじゃないか、俺はここまで俺を育ててくれた母さんには感謝してるって」


 阿頼耶は心からの優しさで、愛美に微笑み掛ける。


 ……阿頼耶は日常では、おおらかな性格であったのだ。


 それは、友人と信じていた者達に対してもそうだった。


 だから彼はその大らかさ故に、愛美の違和感に、気付けない……。


「阿頼耶……。ありがとう。お前は本当に私と、そしてあの人の――晴人の、大切な息子だわ」


 愛美は笑顔となって、阿頼耶にそう告げた。


 そして――その右手に、輝きの純度の高い青白い刃の短刀ナイフを、出現させるのである。


 阿頼耶はここで瞬時に、はっきりとその短刀の危険さを察知した。


「母さん、何でそんな物を――!」


 短刀を自身ののどてがう愛美。


 悪魔の魔力の一端を、自らの身で以て知る阿頼耶には理解が出来る。


 その短刀が、これまでに見た悪魔の得物より強い力を秘めた物だと!


 短刀から放たれる力に、愛美の身体が呼応する。


 短刀が、彼女の中に眠っている彼女自身の魔力を呼び覚ましているのだ。


「母さん!」


 叫びながら、阿頼耶は思い出す。


 ――四年前に堕天フォールン・の涙(ティアーズ)が開き、多くの人間がまともに動けなくなっていた中で、愛美がずっと阿頼耶を探すべく歩き続けていた事を。


「最後にお前と、こうして正面から向き合えて良かったわ。……私は、親子としてお前と過ごせて――幸せだった」


 阿頼耶は愛美の手から短刀を取り上げるべく動いたが……。


 しかし、それは彼女の魔力に依って阻まれてしまう……。


「くっ」


 ――こんなに強い力を持っていて、何で……そんな弱った顔をするんだよ……!


 分からないことの方が遥かに多い、そんなこの状況の中で。


 阿頼耶は、嘆きの心でそう思うのだ。


 一筋の涙が、彼女の笑顔のいろどりとなる。


 ……それが、生きた愛美の最後の表情だった。


「――っ!」


かあさ――!!」


 死に依って、愛美の溢れる魔力は弾け飛ぶ。


 その中に混じっていた彼女の掬火だけは、まるで行き先が決まっているかのように、何処かへと飛び去ったが……。


 それは室外まで弾き飛ばされ、ベランダのさくに背中を打ち付けられてしまう阿頼耶には、捉える事が叶わない。


「う、あ――!」


 重心が傾き、頭から、真っ逆さまにちる。


 ――この時の阿頼耶には、愛美の事を思うのとは別に……。


 まるで運命が闇の方、闇の方へと、自分を押し込めようとしているみたいだと、強く、強く感じていた……。


 諦めかけて、そして次に、怒りが、湧く。


 全身を黒き魔力のオーラが包み込んで、阿頼耶は、地面へと激突した。


 ――(三)へつづく――

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