第八話 生きているということは、死んでないということだ(終局・二)
阿頼耶の身体から放たれている魔力のオーラは、四年前のそれとは異なる部分があった。
……レライエには阿頼耶の元々の魔力の事は分からない。しかし今の阿頼耶の、その異なる部分に関してだけは分かることがあったのだ。
「お前の魔力には悪魔の匂いが染み付いている。それは――」
「――悪魔の匂い、だと?」
レライエのその言葉を遮って、阿頼耶が強い口調で自分の言葉を差し込んでいた。
『気に食わないな』という意思がありありと出た、その言葉を。
阿頼耶の言葉に、レライエは露骨にイラつきを見せる。
「今俺が喋ってる途中だろうが。ていうかな、いい加減に手前自身で名を名乗りやがれ」
二人の間の空気が張り詰める。周囲の民衆の悲鳴も属体悪魔達の笑い声も、彼等の耳には遠くに聞こえるようであった。
「うひゃあーっ!!――お、おおおお、おっぱぁーっ!!」
唯一つの……空気を読む事など知りもしないかのような、或る若い娘の阿呆全開としか言えない声以外は、だ。
「……瀬那阿頼耶で合ってる。お前はレライエだろう?」
阿頼耶がレライエにそう語り掛ける。
自分一人の道を往くと決めた阿頼耶は、周囲の人間の苦境も、それぞれがそれぞれの力で乗り切るべきだと断じている。
だから今は、レライエ以外の者の事を気に掛けない。
レライエは「やっぱりな」と鼻を鳴らす。そして自分の口で名を名乗りもした。
……奴はこうも続ける。
「いいか瀬那阿頼耶。俺達個の悪魔と少なからず因縁を持つお前に、一つ親切心で教えてやる。――悪魔は言葉というものをとても重要視しているんだ。だから俺達を相手にする気なら、その言葉を無下にはするな。……でないと怨みを買っちまうぞ?」
レライエは最後の言葉だけは、阿頼耶に脅しを掛けるつもりで発していたが……。
しかしそれも阿頼耶を疎んじていたから、という訳では無く。
ただ悪魔が人間に相対する時の基本スタンスがそうであったから――というだけの、ほんのついでのつもりに過ぎないのである。
奴は、正しく阿頼耶と日常会話をする感覚で話をしていた、という事だ。
「俺はお前達に怨みを持ってはいないけどな」
……阿頼耶はそう告げて、思惑を巡らせる。先ずこのレライエがこんな風に会話の出来る奴だという事が、意外だったのである。
ネットの情報で見るレライエは、兎角――
「あっぷぁっ! と、とと、とりゃせぇーっ!!」
――逃げる民衆を縦横無尽の動きで翻弄し、青白い刀身輝く剣で掬火を奪っていく。そんな悪魔として語られていたのだから。
「しゃらっぱぁっ! ろっぱぁっ!!」
「――煩いな!」
「姦しいぞ、其処の生娘っ!」
阿頼耶とレライエがその声の主へと、一斉に突っ込みを入れていた。
遠くからでも騒がしかったというのに、寄りにも依って彼女は二人の方へと近付いてきていたのだ。
「おおおお、おっ! ごめんなさいぃーーー!!」
黒毛前髪ぱっつんの、十代後半と思わしき私服姿の女子。
彼女はやたら元気の良い声で二人に謝罪し、そして大きく歯を食いしばった顔となり……阿頼耶とレライエの間を全力で通ってしていったのである。
「何だあの生娘は。俺の得物が弓だったなら、速攻で撃ち抜いてた所だぞ」
レライエが呆れた顔でそう漏らす。
……彼女が悪魔の軍団から逃げている事は明らかだが、しかし逃げ方がまた酷かった。
先の流れなどは全く意識せずに、ひたすら悪魔に当たる寸前まで、直線の動きで突っ走っていたのだ。
「みっ!!」
――迫る、というより自分から近付いたフレンチキッス属の攻撃を……凄まじい身体の反らせ方で回避はする。
だがその際に足首を捻った事で、彼女の走る角度は変わるのだ。
そしてその角度の変わった先に、また別のフレンチキッス属と鉢合わせる。それを回避した次にはグラヴァトン属だ。
阿頼耶の目には、彼女がまるで自分から悪魔の居る方へと向かっていってるようにさえ見えた。
「……ちっ!」
――阿呆なのか!? いやそんな迷いに意識を割く事が無駄だ。あの女は阿呆だ、あんな阿呆とはこれまで出会った事が無い!
阿頼耶はそう決定をして、女子へと向けて走り出した。
「おい阿頼耶! ……ちっ、まあいい。少しお前の力を見せて貰うぜ」
レライエの言葉を背に受け、阿頼耶は魔力のオーラを纏って駆ける。
それは彼女を助けたい、という思いとは微妙に異なる感覚だった。
本当なら……阿頼耶は悪魔に挑みこそするが、自分が誰かを悪魔から助けたりはしたくなかったのである。
心に一瞬だけ、クラスメイト達への黒い感情が浮かび上がる。
――他人の為にという思いの輝きを、阿頼耶はあの時自分で変えたのだ。
錆び付いて機能しなくなった古き体裁、そこまでの認識に、自らの意思で貶めたのだ。
なのに今走ってしまっている。阿頼耶はそんな自分を滑稽だと信じ切っている。
だから、やるからには全力だ。
……阿呆を助けるという、より大きい困難へと挑む。それが自分の道を前へと進ませる爆発力に、或いはなるかもしれないと。
やるからには、そう信じるのである!
女子がグラヴァトン属の突進を間一髪の所で躱す――いや、最後すれ違いざまに、奴の岩の身体に右手の薬指をぶつける。
「い痛たあああぁっ、突き指ぃぃぃっ!?」
女子が変な角度に曲がった自身の薬指を見て叫ぶ。阿頼耶は――それ本当に突き指か!?――とそう思ったが……。
しかし指一本曲がった程度、今は小さな事に過ぎないと……思考の外へとその疑惑を追い遣ってみせる。
女子に攻撃を躱されたグラヴァトン属が、阿頼耶の進行を遮る形になる。
阿頼耶は奴を、飛び越える。体長二メートルを超える奴の体躯を、イケるとその場で判断を下して跳んだのだ。
――……っ!
跳ぶ直前、阿頼耶の身に纏う魔力のオーラが、一層膨れ上がった。
その魔力が脚力を増強し、グラヴァトン属の動きを緩やかに見せ、身体を上下軸に反転しその反動で飛距離を伸ばす。
――空中で女子の悲鳴を聞いて、逆さまの視界で彼女の姿を注視する。
地面にへたり込んでしまった状態の女子。そしてその前には、青白い刀身の剣を振り被る新たなフレンチキッス属が居る……。
彼女と織絵の姿が、阿頼耶の心の中で重なった。このままでは間に合わないと、一度絶望を経験した阿頼耶には、その事実が真っ直ぐ理解出来るのである。
しかし……!
――俺が先に、あの悪魔を叩き殺す!!
……阿頼耶は明確に、その意思を心に燃やす。
例えそれが黒い意思であろうと、阿頼耶にとってはどうでも良い事なのだ。
一つ、これだと決めた道。
往くことに迷いが生じるとするならそれは、道を往く気概を持たない者が多い事への、惑いに過ぎない!
冷徹なまでに鋭く熱い、阿頼耶こその心の滾りが……彼の中に宿されたアスモデウスの、悪魔の魔力を支配する!
「――――――ッ!」
阿頼耶の全身を黒き魔力のオーラが包み込んで、爆発的な加速で、女子を襲うフレンチキッス属の頭上へと彼を移動させた。
「オオオオオォッ!!」
「――ゲギャアアアッ!!」
阿頼耶の飛翔蹴りがフレンチキッス属の顔面に炸裂し、絶叫と共に、奴の身体を吹っ飛ばして撃滅させた……。
「にぇっ!? に、にゃああーーーっ!?」
阿頼耶の蹴りを見た女子の、驚愕の叫びが木霊する。
今尚熱き魔力のオーラが揺らぎ放たれる阿頼耶。
彼の横顔を間近にし、彼女は……
――い、イケメン過ぎる……!!
……全ての邪魔な理屈を超越する、その魔法の四文字で以てその心を燃え上がらせていた。
――(三)へつづく――




