第八話 生きているということは、死んでないということだ(後半・四)
――阿頼耶はそれでも言葉を続ける。自身の、強き覚悟を母へと示す為に。
「死んで罪から逃げようとか、そんな気持ちで言ったんじゃあ無い。……俺にはムカつく奴等が多過ぎるから、そいつ等を野放しにしたまま死ぬっていうのが先ず嫌だ。けどどれだけ俺が頑張ったとしても、そいつ等の内たった一人にさえ吠え面を掻かせる事も出来ないだろうっていうことも、分かってきてる」
阿頼耶は素のトーンでそう語りかけていく。中学二年生辺りの頃からずっと真剣に考え続けてきたことだから、全てが腑に落ちているのである。
阿頼耶は、今日までの自分が通ってきた道筋を踏まえて、自分のことを、こう確信している。
「――俺は一人の人間として、余りにも弱かったんだ。誰の心にも、ほんの少しだって良い影響を与えられなかった。俺が居ないでいる方が、その場の人間の心も良い方へと流れるんだろうって、そんなことも感じてる」
阿頼耶は淡々と語る。彼は今、その心がとてもクリアーだった。
「あ……え……っ?」
愛美の顔が、恐怖に引き攣っていた。阿頼耶の――自分の息子の言っていることの全てをら彼女は耳にしたくなかった。
阿頼耶はそんな愛美の事をも見通している。
「分かるよ、母さんがそうなる事もさ。……俺の言葉には何の力も無い、他人の心に響くものが何一つ無い。言葉に力が無さ過ぎるから、だから聞いた相手の心を迷わせてしまう。先の見えない暗闇に引き込んでしまう。――皆が俺を嫌になっても当然だ」
……愛美は引き攣った顔で、しかし、それでも阿頼耶に笑い掛けてやろうとしていた。
彼女には辛うじて、自分の息子である阿頼耶が――母である自分を見限ろうとしている事だけは分かったのである。
愛美にはそうとだけ見えた。そしてそれは、阿頼耶の心のほんの一部分だが、実際に当たっている。
「か……ふ……っ……」
――そんなことは無いと、そうとだけでも言いたかった。
阿頼耶の言う事の全てが分からなくとも、『お前がそんな弱い子な訳は無いでしょう』と、そうとだけ言ってみせればまだ彼の親で居られると思ったのだ。
しかし、愛美はまともに声を発する事も出来なかった。
……自分がこれまで散々阿頼耶の心の強さを忌避し続けていた事に、今ようやく気が付いたからである。
愛美に阿頼耶の心を支えるなどと、そんな事が出来る道は万に一つも有りはしない。
――わ、私が阿頼耶を、こんなになるまで思い詰めさせてしまっていたの……?
愛美はそう思ったが、しかしそれも思い違いだ。
阿頼耶は愛美にこう言葉を掛ける。
「母さん。俺はここまで世話をしてきてくれた母さんには本当に感謝してる。母さんには幸せになって欲しいし、俺の事で迷惑は掛けたくないって……そう、思ってた」
愛美が変わらない表情で阿頼耶を見ている。
「けど俺は、どうやっても母さんが望む心を持つ事が出来ない。俺が生きてる以上は、傍に居るだけで母さんを苦しめるんだ」
そう語る阿頼耶は、今だけ、苦しげな表情をしている。
母である愛美を真剣に思って、自分の何が彼女にとって駄目なのかを分かっても。
それは絶対に変えられないことなのだと、今日までを掛けて理解したのだから。
阿頼耶はこれまでずっと、愛美の心に安寧を与えようと、彼女の息子であるからこそ、思い続けてきた。
だから、愛美が阿頼耶を追い詰めたのとは、違う……。
「あ、あら、や……?」
愛美は辛うじて阿頼耶の名を呼ぶ事だけ出来た。
最早愛美には、阿頼耶のそんな自分への思いさえ感じる事が出来ない。それ程に彼女の心は崩壊し掛かっていたのだ。
――阿頼耶は愛美を見て思う。自分のこの数年間の弱さが、一番悪かったのだと。
それが真実か否かを語り掛けられない以上、阿頼耶は、自分がそうだと信じたその答えを、これからの行動を起こす為の基軸にするしか無い。
「或いは、俺はあの時からもう弱かったのかもしれない――」
阿頼耶の口から無意識的に出たその言葉。
……それと共に、彼の脳裏に四年前の或る出来事が思い出された。
深紅の真っ直ぐなロングヘアをした、自分よりも年上の、寂しげな顔をした――綺麗な女との出来事……。
「――っ!」
阿頼耶の心に、一つの湧き起こる感情が生じる。
――そうだ。あの時俺は、あの人に謝っていなかったんだ……。
悔いや罪の意識というものでは無かった。
何故その感情であるのか阿頼耶自身にも分からない。しかし……。
それは紛れも無く、熱意という名の感情だったのである。
――終局へつづく――




