第八話 生きているということは、死んでないということだ(後半・二)
夕貴を見る阿頼耶の眼が、鮮烈な光を宿す。
「……あいつ等は自分の意思でお前の言葉に乗ったのか?」
夕貴はあくまで人の良い笑顔を崩さない。その上で彼にこう告げた。
「ああ、俺は別に強制はしちゃいない。……俺の提案を聞いた後、二人共安堵した顔になってたよ。それにさ、ずっと罪の意識に苛まれてるような奴等がクラスに居ちゃ、他の皆も対応に困るだろ。――織絵の事は俺も可哀想だと思ってる。けどあいつの不幸が皆を縛るような事になって良いって訳でも、無いだろ?」
悪意とは、違う。……夕貴は自身にとっての、正しい理解と善意の元に、今阿頼耶と向き合っているのである。
阿頼耶が鋭さを帯びた声で語る。
「……手前を犠牲にしてでも誰か一人の為に尽くせ、なんて言う気は無い。このクラスの奴等全員、自分の事さえ不確かなんだからな」
――この言葉には、阿頼耶自身の事も含められていた。皆まだ若く、背負い切れないもの等幾つも存在すると、彼は十分に知っている。
己の心の苦みと戦いながら、それでも彼は、自分の言葉で夕貴へと話し続ける。
「あいつ等が本気で心の底から藤宮を重荷だって言うんなら、最悪だが、それでも俺は怒りを飲み込むよ。……だがな園部。お前が二人を扇動してそう言わせた事は、俺は激しく気に入らない」
辛い事からは、逃げても良いのかもしれない。例えそれが友人へと石を投げつける逃げ方であったとしても、だ。
しかし――。
「『誰かにそう言われたから』なんて、それを理由にして逃げるなんてのは駄目だ」
阿頼耶は今、自らの心を痛めていた。
男友達二人の事を思って、心を痛めていたのだ。
「逃げる事だって、また新たな重荷を背負う元になる。そうなる心の仕組みにさえ目を背けさせてしまうのは……あいつ等からやがて人間らしさを奪う事に、繋がるんだよ」
それはいけないことなのだと、阿頼耶の心がそう言っていた。自分の事のみで無く友人の事までも真剣に思うからこそ、心の奥底からその答えが鳴ったのだった。
だがその答えはあくまで阿頼耶だけのもの。彼が接する者には、共鳴しない。
夕貴が、笑う。「やがてって、人間らしさを奪うって、なんだよ?」と。
そして溜息混じりにこう語る。
「本当に皆の事が分かってない奴だな。『俺そんなに怖いかな?』って言って和やかに笑ってやれば、皆はそれで満足するんだよ。……そうするだけで、全員がお前に合わせるようになる。皆、お前の事を頼もしい奴だとは知ってるからな」
夕貴の言葉には阿頼耶への、彼の領分に於ける思い遣りが存在していた。
……この夕貴という男は、確かに優しい男ではあったのだ。
クラスの皆の事を彼の了見が及ぶ範囲で大切にしていたし、阿頼耶の事も、クラスの中では一番理解しているかもしれなかった。
若く雑多な物事に翻弄されてしまいがちなクラスメイト達には、夕貴がとても頼れる男に見えている。
未熟な自分達に、痛みの起きない選択の決め方を教えてくれる。自分達にとっての、見通しの良い着地点へと誘ってくれる奴なのだと。
夕貴は声を抑えながら、こうも語った。
「今は我慢しろよ、阿頼耶。もし卒業までに織絵が目を覚ませられたなら、その時は俺が、あいつ等と織絵との丁度良い落とし所を用意する。――出来るんだぜ、本当に。俺が凄いからなんてのじゃあ無いんだ。このクラスの皆、深い事なんて考えず全員で笑って過ごせればそれで良いって、それぞれの日常の中でそういう風に仕上がっちまってるのさ」
夕貴はずっと、普通の事を話すみたいな感じだった。
阿頼耶にも、分かる。……確かに、皆そうなのだ。
気付けば数人のクラスメイトが、こちらを見ながらニヤニヤ笑っていた。
どうやらその者達には、夕貴が阿頼耶を押さえ込みつつあるように見えているらしい。
阿頼耶は、もう言い争うだけ無駄だと理解した。
「……分かった。その時藤宮がお前の言うことを聞くのなら、あいつの力になってやってくれ。どうせ他は主義も主張も持たない奴等ばかり。多少前と違うことを言った所で、文句の言い方すら分からず、ただただ笑ってお前の言う通りにするだろうよ」
阿頼耶の冷徹な口調に、しかし夕貴は笑顔を取り戻す。
「はっ、お前ホントに最高だよ。俺も含めたこのクラス全員の事を、そんなにも正確に見抜けるんだからな。……ただ致命的に優しくない。皆がして欲しいと望んでる事をしないから、皆もお前から距離を置くようになるんだよ」
夕貴はずっと笑っていた。阿頼耶には彼が今何を思っているかも分かっていた。
――こいつ、俺を憐れむことで優越感に浸ってやがる。俺に対してじゃない、手前の人生に対して勝ち誇ってやがるんだ。
殴る気にもならない。
肉体的に痛めつけた所で、それはあくまで子供の喧嘩。その程度の次元で傷を負おうが、この夕貴は『負けた』とは決して思わない。
「園部、俺の事だけは放っておいて良い。俺は一人でもヤれる」
阿頼耶のその言葉に、夕貴は初めて不満げな顔を見せた。
構うなという意思を向けられた事に、彼の意識が反応したらしかった。
「強がってる奴は大体そう言うんだよ。でもそんなの虚しいだけだ、一人で強がったってその先には何も無い」
夕貴には何処までも悪気が無かった。
自分に比べて他の友達は物事の裏が見えていない、だから自分が皆を導いてやらなきゃいけないと、善意の意識で行動している。
彼は阿頼耶の事すら自分の善意に依って導きたいと、心の底からそう思っている。
「……そうかよ」
阿頼耶はここで、遂に笑った。そして席に座り携帯端末の画面を眺め始めた。
「阿頼耶! ……殻に閉じ籠りやがって」
夕貴はそう言い捨て立ち去っていく。
阿頼耶の耳に彼と女友達等の会話が流れる。
「夕貴君でも駄目って、あいつ協調性無いにも程があるわよ」
「そんな風に言ってやるなよ。俺は、阿頼耶のこと好きなんだからな」
「織絵が悪魔にやられたのは、阿頼耶君の所為でもあるんでしょ? ――だったらもっと皆の気持ちに寄り添うのが普通じゃん。ホント思い遣り無さ過ぎ」
彼女等は阿頼耶に聞こえるように話していた。
阿頼耶に対して優しくないと、それを断罪したいと、二人の心はそういう気持ちで高ぶっていたのである。
彼女等を夕貴が宥めている。「あいつにも良い所はある」と、いつもそうしてるのと変わらない笑顔で語り続けている。
――こうまで俺一人だけになるか。
阿頼耶は、静かな心でそう思う。
……阿頼耶の携帯端末には、個の悪魔ベリトの血塗れの死体が映し出されていた。
アガレス一派に与する一人であり、軍団を率い民衆を直接的に襲ってきたベリト。
昨日阿頼耶達が逃げたあの場所で、その後、奴の死体が空から落ちるという出来事が起きたのである。
何が起きて死んだのか、ネット上の誰にも知る者は居なかった。
――この話を、誰とも出来もしない、か。……『そんな分からない話をして皆の輪を乱すな』って、きっとそうなるだけなんだろうがな。
阿頼耶は、クラスメイト達が世界の変化に取り残されてゆく可能性を思いながら――より強く、己の意思を固めた。
――(三)へつづく――




