第八話 生きているということは、死んでないということだ(前半・三)
心に根付く様々な念、人はそれを感じ取ることは出来るとしても……外界へと放出された個々の念が無数に混ざり合った様までを具に視ることは、出来ないものである。
そういった人智を超えた思念は最早断じようも無い……のかもしれないが。
だが阿頼耶は今紛うこと無く、己の心眼で虚空に存在する念の、その一端を見ていたのだ。
――悪の念、それに悪魔……。
阿頼耶の中で何かの思考が生じ掛けていた。が、それを言語化出来るまでには至っていない。
それに、彼にはまだ気にすべきことがある。
「藤宮達は――?」
急いで彼女達の方へと振り返り、駆け出す。
……良くない状況だった。織絵ともう一人の男友達は、数体のフレンチキッス属に行方を遮られていたのだ。
「くっ!」
阿頼耶は願う――無事であってくれ! と。
しかし……。
「い、嫌だぁーっ!」
恐れ慄く男友達。彼は先程のもう一人の男友達の危機を見た時、既に心折れてしまっていた。
あろうことか彼は、織絵を悪魔達の方へと突き出す。
――織絵の小さな悲鳴が、阿頼耶にはやけに鮮明に聴こえた。
それは彼女自身何が起きたのか理解し切れていない、戸惑いの、か弱い声であったからだ……。
逃げ出す男友達。
そして阿頼耶の目の前で、織絵の体に三つの青白い剣の切っ先が突き刺さった。
「藤宮ぁっ!!」
フレンチキッス属達は満足げに空へと飛翔し、剣を抜かれた織絵は力を無くして倒れゆく。
その身が地面に着いてしまう前に、阿頼耶は、彼女の背中を抱き止めていた。
「あ、阿頼耶君……」
「ごめん、お前をこんな目に遭わせてしまうなんて……」
阿頼耶の謝罪の言葉に、織絵は首を横に振る。
「阿頼耶君の所為じゃないよ。私自身が、しっかりしてなかったから」
織絵の瞳は弱々しくも、しかし彼に嘘は吐いていなかった。
――直ぐに藤宮をここから離れさせないと……!
阿頼耶は静かに織絵の体を背負い上げた。
「家まで、連れて帰る」
悔しさを必死で押し殺しながら、織絵にそう告げて歩き出す。
「……うん」
その次の瞬間に新たなフレンチキッス属が、二人を襲うべく降り立とうとしてきた。
しかしその気配を察知した阿頼耶が無言でひと睨みすると、奴は恐れを為して引き下がったのである。
阿頼耶の身に眠る魔力か、或いはその真を視るかのような眼にひれ伏したのだった。
……織絵が阿頼耶に話し掛ける。
「ごめんね、阿頼耶君」
「悪いのは俺だって」
阿頼耶は悪魔に傷付けられた事を言っているのだと思ったが、しかし織絵は「そうじゃなくて」と告げる。
「……阿頼耶君が、将来について考えてるって言ってた時……私はキミにどんなことを話せば良いか分からなかった。気の利いた言葉とか、少しも、出てこなかったの」
「そうなのか?」
阿頼耶は戸惑ってしまう。彼からしてみればその話題は元々、ノリが悪いと不満げだった友人達を宥める為の方便として出したに過ぎなかったからだ。
「アレは別に――」
「もしかして本心じゃなかった?」
「気付いてたのかよ。ならなんで気にする?」
「ホントの悩みじゃなかったとしてもさ、それでも私は……阿頼耶君の将来っていうのが、全然想像出来なかった。それって、酷いことだと思うから」
織絵は息を飲んでから、こう言葉を続ける。
「友達なのに、私は、阿頼耶君が普通に就職したりする姿、を、思い浮かべられなかった。そういうのは阿頼耶君らしくないって、勝手に思っちゃってたの。……でもそれって、凄く、押し付けがましいなって、だから……ごめん」
「藤宮……」
「阿頼耶君だって、一人の人間なのにね。普通の人になったって、全然良い筈な、のに……」
織絵の声が小さくなっていくのを、阿頼耶は感じた。
だから、この話にはちゃんと応えてやらなきゃいけないと思った。
ふと、溜息を吐く。
「阿頼耶君……」
「俺は多分、死んでも普通の奴になんてなれないよ」
織絵が「え?」と微かな声を漏らす。
「普通になんてなれない。それどころか、異常さが増していってるようにさえ感じてる」
阿頼耶は真っ直ぐな心でそう思っていた。他の誰でも無いこの俺自身がそう感じているのだから、間違い無い――と。
「だから藤宮、お前が俺に対して思ったことは寧ろ合ってるんだよ。そうさ、合ってる」
会話の中で阿頼耶は今、彼女とだけじゃなく自分の心とも向き合っていた。
織絵が気不味さを感じながらしてくれたこの話が……己と周りの人々との心の違いに惑っていた阿頼耶の心を定める一助となったのである。
「異常って、そんな……」
自ら他人と距離を取ろうとする、そんな意思を感じさせるその言葉に、織絵は一抹の不安を覚えてしまう。
それでも、阿頼耶の言葉は強く――優しかった。
「大丈夫、そういう言い方が俺にはしっくりくるってだけさ。自分で『ああ俺らしい言い方だな』ってなって、逆に力が湧くんだよ。――だから、大丈夫」
彼のその本当に自然の内に出て来たと感じさせる話し方に、織絵は不思議と、心にすとんと収まるような感触を得る。
――ああ、そうだった……。阿頼耶君は中二病なんだって、私、知ってたじゃん……もう……。
それは本人には絶対に言わない、織絵の心だけに秘めた彼への想いの、ほんの一部分……。
この彼らしさが、それを実感出来ることが、深く大切なのである。
「……もう。ホント自分の言いたいことばっかり言うんだから……」
織絵のその言葉には、確かな安らぎがあった。
それはやがて生きる力へと転換される、想う相手との絆の安らぎである――。
「藤宮……」
阿頼耶は織絵が眠りに就いたのだと理解した。
「おやすみ、藤宮」
今はこの言葉を掛けるのがきっと合ってると、彼はそう理解する。
その背に彼女の温もりを感じながら、阿頼耶の心は、己としての往くべき道を決めつつあった。
――後半へつづく――




