第八話 生きているということは、死んでないということだ(前半・二)
逃げながら、織絵はこう思っていた。
――阿頼耶君に呼び掛ける事が出来て良かった。
阿頼耶が『将来のことを考えてる』と言った時……織絵は、それが嘘だと気付いていた。
少なくとも、若者が社会に飛び込むにあたって考える、未来の自分についてのことでは無いと。
「阿頼耶君」
「どうした?」
「逃げ切れるよね?」
「ああ」
阿頼耶の短い返事は、しかし織絵の心を奮い立たせる。
この其処に居るだけで存在感を放つ彼こそが、織絵が中学生の頃から知る瀬那阿頼耶だ。
そうでない時の彼に対しては、織絵は、掛ける言葉を見付けることが出来ない。
――阿頼耶は、今は友人達を逃がし切ることに集中していた。
前を見て彼等に指示する。軍団の属体悪魔フレンチキッス属が誰かを襲っている、その合間を狙って突っ切るぞ、と。
フレンチキッス属は飛び道具の類は使わない。手にした青白い刃の剣を人に迫り、突き刺す。
――フレンチキッス属が一度に狙える人間は一人だ。なら異なる標的を狙っている奴等の合間は、寧ろ安全圏だってことだろ!
アガレス一派の尖兵であるフレンチキッス属。ヤツらが人を襲う姿を、阿頼耶はこれまでも直に、そしてネットの動画でも見てきている。
陰惨、犠牲になった人が可哀想――同じ様を見てそういう反応を取ってきた他者達が、悪魔の戦法については何一つ視野に入れていないのだとすれば、それは馬鹿げたことだと阿頼耶は思う。
もう一度その切り抜け方をしたが、見捨てた人間から薄情者と詰られたり等はしなかった。
意外と、見知らぬ相手に助けを期待し求めるという行為にも……日常からそうすることに慣れているかどうかが、反映されるものなのかもしれない。
――本気で助かりたい気が有るのかこいつ等は? 或いはあの青白い刃の武器は肉体じゃなく、精神を傷付けると皆知っているからか?
運悪くそれ以外の方法……例えばグラヴァトン属に殴られ打ち所が悪い等して死ぬので無ければ、襲われてもまだ生き残りの芽はある。
悪魔の青白い武器は人間の精神の力だけを奪う。その被害者は眠りに着くが、遠からずまた目覚めることも出来るのだ。
それでも再起したいという意思が著しく低い者は、眠り続けたままやがて逝くのだが。
――精神の力掬火の喪失に依る最終的な死は、苦痛も無く安らかだ。眠った精神がそちらへと流されてしまう奴は、そもそも生きる気力を持っていないということ……。
こんなことに冷静に思考を巡らせる事自体が、人の優しさからはかけ離れた行為だろうか? ――少なくとも母の愛美は間違い無く怒るだろうと、阿頼耶はそう言い切れる。
……阿頼耶は次に、フレンチキッス属が誰かを襲っているその横を、大きく迂回する道筋を示した。
しかし男友達の一人がこれに反発する。
「何で! あいつは丁度人を襲う直前だろ!? こっちには――」
「近くにグラヴァトン属が居る、あそこを行くのは危険だ!」
「いけるって!」
阿頼耶の忠告を無視して、男友達は一人真っ直ぐ走る。
だが――。
「グオオオオッ!」
そのグラヴァトン属が傍に居た人間を拳で打ち、そして偶然にもその打たれた人間が、走る男友達の方へと吹っ飛ばされてきたのである。
「――がっ!?」
激突しそのまま倒れ伏す。浮遊する別のフレンチキッス属が衝撃音に気付き、ニタリと笑った。
「……ちっ!」
阿頼耶はフレンチキッス属が剣を構えるのを見て察知する。奴が倒れた男友達に狙いを定めたことを。
「え、ええ!?」
「阿頼耶君!」
織絵達の驚きの声を背中で受けながら、阿頼耶は男友達を助ける為に走り出す。
「お前等はそのまま逃げろ!」
フレンチキッス属が男友達の前に降り立ち、剣の青白い切っ先を向けた。阿頼耶は体当たりしてそれを防ぐ。
「早く立て! 走れぇっ!」
「ひ、ひぃっ!」
男友達は阿頼耶の必死の叫び声に反応し、即座に立ち上がり一人我武者羅に走っていった。
――妨害されたフレンチキッス属が怒りを表す甲高い声を上げながら、阿頼耶へと襲い掛かってゆく。
体当たりの衝撃が自身の体にも返ってきている状態の阿頼耶は、足が思うように動かなかった。
一度はどうにか躱せた。が、踏ん張り過ぎた所為で重心が下がり、咄嗟には身動きが取れなくなってしまう。
「くっそ……!」
阿頼耶は半ば無意識に、左手を大きく突き出していた。
彼の胸を剣で貫こうとしていたフレンチキッス属は、その手の所為で瞬間的に間合いを狂わされ、結果、阿頼耶の掌を突き刺す形になった。
「――っ!!」
傷口から精神の力が失われていく感触があったが、阿頼耶はその事には構わなかった。
阿頼耶は無我夢中だった。それが正解であるとばかりに、その掌を剣へと深く自分から押し込み、全身を、奴との至近距離まで進ませていた。
「ギェッ!?」
フレンチキッス属が驚愕の声を上げる。……阿頼耶がそのまま、空いた右手を強く握り込んだからである。
フレンチキッス属の目には――阿頼耶の拳から、魔力のオーラが揺らりと立ち上るのが見えていた。
「フゥー……!」
息を吐き、阿頼耶は全力の右拳を奴の顔面へと叩き込む。
「イギャアアアッ!!」
激しい衝撃――フレンチキッス属の体が、数メートル先まで吹っ飛んでいた。
「――――!」
阿頼耶は無言で、地面に崩れ落ちる奴を見る。
……正確には、奴を瞳に捉えながらにして、その意識は虚空に在るものを見据えていたのだ。
――それは畏怖、憂愁、欺瞞等……人の世に流れる、大意に於いて悪意とされる様々な念である。
――(三)へつづく――




