第八話 生きているということは、死んでないということだ(序幕・二)
ゴモリーの髪が夜風になびく。
その風の一瞬の変化に、彼女は一人の客の到来を感じ取った。
「……ウェパル」
「お久。やっぱり、今日もここに来てたのね」
高層マンションの屋上――通常では人が立ち入れないこの場所に、ウェパルと呼ばれた女のややトーンの高い声が通る。
周囲を一望出来るこの場所は、ゴモリーの今のお気に入りの場所であった。
それを知るこのウェパルは彼女に対し親しげで……。
その事に、当のゴモリーは少しだけイラッとした。
「帰って」
「ええ!?」
ゴモリーの端的な言葉に、ウェパルは派手に驚いた。
亜麻色の髪。襟足は首までとやや短く、フロントとサイドは長めの、ウルフボブと呼ばれるヘアスタイル。
ミッドナイトブルーのオフショルダー・ミニワンピースに、細身のアイボリーパンツを合わせたコーディネート。
決して飾りっ気が多い訳では無いのに、その全身には纏う者の強きセンスが漲っている。
地に足を付けたお洒落感で彩る、それが彼女――悪魔ウェパルの外観であった。
そんなウェパルの大きな瞳と赤い唇が、ゴモリーの一言に依って驚きに震えたのである。
「えぇ……え、ええーーー?」
重ねるように悲嘆に暮れた声を上げていくウェパル。煽っているのか、それとも本気の哀しみなのか。
「今来たばかりなのに、か、帰れってぇ?」
どうあれウェパルは、この風変わりな調子を最後までやり通すつもりで居るらしい。
「……」
ゴモリーが、深く溜息を吐いていた。
「何の話をしに来たのよ。早く話しなさい」
「当たり前でしょ! 嫌って言ったって私は話すわよっ!」
ゴモリーが態度を軟化させた途端、テンションを急上昇させてウザく絡んでいくウェパル。
互いの仲の良さが、窺えるそんなやり取りであった。
「……アガレス一派がこの四年人間達の気を引いてた隙に、多くの個の悪魔がこの国に苦も無く入り込んでいったわ。悪魔であることを隠し、人の中に紛れ、それぞれが独自の意思で行動をしている」
本題に入ったと同時に、ウェパルは落ち着いた口調と表情に変わった。
仄かに温かみを宿した瞳の光と佇まいは、揺蕩う水面のような情の厚さを感じさせる。
「……貴女もその一人だものね。個の悪魔の中でも人間とは上手くやっている方ではあるけれど」
ゴモリーがウェパルと向き合った。彼女と真剣に話をする気になったからそうしたのだ。
……ゴモリーにとってこのウェパルは、端的に言えば憎めない相手であった。
他の悪魔に対して一定の距離を保ちながらも親しげで、一癖も二癖もある悪魔達の中でも、彼女が浮かべる笑みは朗らかだ。
そしてそんな彼女が、ゴモリーを前にする時だけは、普段のスタイルを崩してまでウザ絡みをするのである。
イラッと来つつもウェパルのその砕けた接し方に、ゴモリーもいつしか気を許す……これが大体の二人の会話のパターンだった。
「まあ今はね。今の所は悪魔の誰とも連まずに自分のリズムで動けてるから。……この先、悪魔内の勢力図が変化したりすればどうなるかは分からない」
ウェパルは肩を竦めて言った。
「闇に潜んで表舞台には出てない悪魔の中には、人間相手に手を抜いて見せてるアガレス一派より、遥かにヤる気度の高い連中が居る。私だって身の振り方は意識してないとね」
個の悪魔同士は、その身に宿した魔霊に課せられた同族殺しの禁忌が存在する為に、表立って争い合う事は出来ない。
だが元々聡い個の悪魔達は、その禁忌を逆手にも取る。
表立って争い合わない限りは、誰がどう暗躍しようとも、原則、他の悪魔から干渉を受けない事が約束されているのであった。
だがそれでも、掬火という悪魔にとって掛け替えの無い利益だけは、誰しも損ねる訳にはいかない事情も有った……。
「人間から得られる掬火を、他の者達に横取りされては堪らない……。それを防ぐ為に、場合に依っては有力な集まりに身を寄せるのね。分かる話だわ」
掬火を失えば悪魔は非業の最後を遂げることになる。属体の悪魔であれば、その身は消滅。
そして個の悪魔の場合は……。
……ゴモリーはウェパルに問い正す。
「それが本題では無いでしょう? 貴女の器用さであれば、それはどうとでもなる事だもの」
彼女の言葉に、ウェパルはふと笑った。
「あは、そりゃあねぇ。――でもまあなるべく連みたくないかな。この国の人間にエネルギッシュな大人層が残ってる限りは、駄目にならない程度に良い夢見させて、その余剰の掬火を貰って過ごすわよ」
――今の時代、この国の人間の中で平均的に掬火が熱い層は三、四十代の男女である。鬱屈加減という観点でも、その層は申し分無い。
これはウェパルの見解だったが、ゴモリーもそれはあながち間違いでは無いかもしれないと、そう思ってはいた。
ウェパルは今の話に繋げる形で、ゴモリーに、微かに悪戯っぽい笑顔を向ける。
本当に、微かに。
「今の若い人間達には、視点がミクロなのに自分達ではそれを大きな視点だと、そんな思い違いをナチュラルにしてるって連中が目立ってる。……その中に在って異常も異常、神掛かった次元で大異常な、アンタがぞっこんのあの瀬那阿頼耶。――アンタがまだ彼を手に入れてないっていうのに、アスモデウスはアガレス一派を相手に、行動を起こすつもりになったらしいわよ」
その話を聞いてゴモリーは、ウェパルがギリギリ笑顔と呼べる表情をしているその意味を理解した。
ウェパルは、ゴモリーを気に掛けていたのだ。
――(三)へつづく――




