幕間 自覚が無くとも青春(四)
「うん、そうだね」
……織絵は、今の阿頼耶がここまで落ち着き払っている理由を理解出来てはいない。
彼はとても深いことを言っている。自分の思いを違うと分かった上で受け止めていてくれる。それは十分な程分かる。
しかし。阿頼耶の心はそれよりも更に大きなことを捉えているのである。織絵の手には、それが雲を掴むかようにすり抜けてしまうのだ。
……今の若者の多くが、時代の流れに乗って、或いは乗せられて自らの価値観を多様化させた。――その結果、その多様さに自らが対応し切れていない。
自分の価値観が他者と違うことを自覚して、それを認めろと周囲に叫ぶ。
そこまでは当たり前に出来るのに――何故か自分が叫ばれる側に回った時には、途端に相手が言うその違いへの理解が、驚く程鈍くなってしまうのである。
しかし織絵から見て、阿頼耶がまるで息をするように自然にそれをやっているのだけが、分かるのだ。
彼女に対してもそうなのだから。
――ここまでは私にはとても出来ないな。織絵は彼の横顔を見ながらそう思う。
「佐山もキミにだけは頑張ってしがみ付けば良かったのにね。でも私が居るから、無理か」
「お前が変に気にすることは無い」
「うん、分かってる。けどたまには『もし違う道があったら』ってのも思うじゃない?」
「俺は少なくとも、自分を捨てて出逢った全員とベタベタ仲良くするなんて御免だな。俺にはそんな生き方は無理だよ」
「そっか。そうだね」
――織絵は今の阿頼耶の言葉に、重い何かが含まれていることに気付いた。
その気付きは正しかった。阿頼耶は今心の中で、母である愛美が自分へと向ける親の愛のことを思っていたからである。
……阿頼耶は母のその愛が、実は自分にとって鬱陶しいものであることを、誰にも打ち明けていない。
ただ我慢してきただけでは無い。阿頼耶もまた、自分に合う内容物を自分で見付けて、それで心を手入れしてきたからこの四年間保ったのだ。
勿論――自分の行動の結果の、今居続けてくれている友達への感謝も大きい。
「藤宮。お前が友達なこと、俺は嬉しいって思ってるからな」
「ちょ、何よいきなり」
思わぬ不意打ちに面食らう織絵。
「そんなこと言ったら、私だって――」
……今でこそ信頼出来る者には話すが、中学までの織絵は、自分の恋愛感情が理解出来ない心の性質を、周囲に言い出せない空気を感じていた。
思春期に当たるその頃は、多くの者が彼女とは逆に恋に焦がれる時期であったから。
そのことへのストレスが或る意味爆発したと言える、あの『気持ち悪い』発言の後――。
いじめられている織絵を心配して声を掛けてきた阿頼耶に、彼女は酷いことを言ってしまったのだ。
――どうして私に構うの! どうせキミも普段から他の皆みたいに能天気にはしゃいでるだけの子な癖に! 瀬那君も女の子の私の気を引きたいの? 誰でもいいから恋愛チックなことしなきゃ、周りから取り残されるとかそういうのなんでしょうっ!!――
自分の恋愛感情への理解の出来なさが、ただただ男に対する嫌悪感に変わってしまっていた。
最低の女になりかけていた。心とか性格とかでは無い。生き物としての――という純然たる意味でだ。
しかしそこで阿頼耶から返された言葉で、織絵は彼という人間のことを知ったのだ。
――お前のことは好きでもなんでもない! ただ一人で理不尽な目に遭っていたから助けたいって思ったんだ!! なのにお前は一体、何を訳の分からないことを言ってるんだよ!!――
――……っ!!――
それは真実以外何も語らない言葉だった。
ただ尋常では無い怒り方だった。声と表情だけでは無い、彼の全身とその内側から生じる何かが大きな怒りで奮えていた。
その怒り方に依って織絵は、彼が欠片も自分に見返りなど求めてないことを思い知った。
これが本気の怒り方なのだと、織絵はこの時初めて、直感として分かったのである。
――この人は本気で相手のことを思って行動してる。だからこんなにも、熱く怒ることが出来るんだ……。
不要な言葉は一切無かった。そして放たれた彼の言葉には、その一言一句に正しさという名の熱さが宿っていた。
――ご、ごめんなさい……――
心からそう謝っている自分が居た。本気ですまないことをしたと、彼に対して思った。
そう思う内に、彼女の堕ちかけた魂は蘇っていた。
……織絵は、改めて今の阿頼耶の横顔を見る。
あの頃の熱さは、今は何処かに隠れてしまっているけれど――。
「――私だって阿頼耶君と友達……それに阿頼耶君の一番最初のファンになれたこと、幸せだって思ってるよ」
「えっ、ファンってなんだよ!?」
その言葉に今度は阿頼耶が面食らう。
それでも織絵は彼に微笑む。
「もし阿頼耶君の凄さを、これからもっと沢山の人が知ることになったら。その時は『私が彼の一番目のファンなのよ』って、周りにそう自慢するね」
「いや、答えになってないぞ!?」
……阿頼耶自身はそれをそうだとは自覚していなかったが。
しかしそれは正しく、彼の青春だったのである。
――第八話へと続く――




