第七話 祝福と呪縛は似ている(終局・五)
「………………!!」
顔が、酷く熱い。
阿頼耶自身には、自分が今泣いているのか怒ってるのかが全く分からなくなっていた。
「…………俺が眠ってしまっていたのは、俺の――!」
せめて自分が仕出かしたことを、先ずはきちんと話そうとした。
しかしそれも愛美の抱擁に依って遮られる。
「阿頼耶、お前だけは私が絶対に守ってあげるから、だから冷静さを取り戻して!」
「え……?」
「お前はきっと今、おかしい状態にあるだけなのよ!」
――俺は……俺の思いは、おかしいのか……?
「この四ヶ月、お前はずっと寝ているだけだった。普通はね、きちんとした医療を受けないと寝たままの人というのは命を保てないの。でもお前は生き続けた。私だって水や流動食を少し位はあげていたわ。でもお前の命を維持させていたのは、あの黒いオーラだったのよ」
黒いオーラと聞いて、阿頼耶はすぐ、あの時自分の身体から出ていたオーラと、アスモデウスの魔力のことを思い出した。
「得体の知れない力だけど、お前のことは助けてくれたわ。だけどこれからはその分、普通の人間の暮らしを私が続けさせてあげる。そうすれば、お前も本当の意味で元に戻る筈よ……」
――元に戻るってなんだよ。……ああ、あのことも思い出した。俺の力っての、確かアスモデウスが持って行ったんだっけ? もう、母さんには何も喋らないけど……。
阿頼耶には、それでも愛美が自分を本当に愛していることは分かったのだ。
……父は居なくなった。どうあれ残ってくれたこの母の事は、そりゃあ守ってあげたいと、静かにそう、思い至るのである。
「………………母さん。取り敢えず、学校はまた行かないとな。流石に明日からいきなりはきついけど。目覚めたばかりの身体、慣らさなきゃだし」
「……そう、そうよね。私の阿頼耶……」
愛美はゆっくりと阿頼耶への抱擁を解いて、微笑みながら頷いた。
慈愛に満ちた顔だとは思った。
……祝福されているのか、それとも呪いを受けたのか。どっちにしても、彼女が阿頼耶の母であることは変わらない。
何が正しい思いなのか、阿頼耶には今日一日だけでそれが分からなくなってしまっていた。
きっとまだ、時が必要なのだろう。
※
ビフロンスの、意識がゆっくりと戻っていく。
瞳はまだ虚ろだったが、自分の左胸の中で、血液の魔力を基に両腕と心臓が再生されている感覚は得られていた。
「……う、うん」
彼女は目覚めた意識で、アスモデウスへと語り掛ける。
「……ねえ、アスモデウス。やっぱり僕は死に切れていないみたいだ。今度は、首を飛ばしてみてよ。今は心臓の再生が不完全、その状態で首が無くなったら、何か奇跡が起こって死ねるかもしれない」
彼女は至極真面目に言っていた。
悪魔に激動が走るこの現代に、友の手助けをしてやりたい。異質の自分が自ら何かを成すことは決して無いから。……自分の能力が彼の物になれば、どれだけ他の悪魔と死闘を繰り広げ命を奪ったとしても、相手の魔霊に彼が脅かされる事は無くなる。
……それが彼女の思いなのだった。
「アスモデウス?」
意識がはっきりと戻る。改めて周囲を見渡して、ビフロンスは――綺麗な夜だ――とそんな風なことを感じた。
彼は、居なかった。
「……なんだよ、怒るのにも飽きてしまったのかい? せめて、再生するのを見終えて行けよ。臓器は流石に恥ずかしいけど、キミには見せてやっても良いってこっちは思ってるのにさ」
そう独りごちた時は、彼女は、寂しげな女のようだった。
その眼に夜空を映す。
「本当に、自分勝手なんだから……」
※
アスモデウスは、一人空の上で街の様子へと眼を遣っていた。
その場所では丁度、属体悪魔達が夜の街を愉しんでいたであろう民衆を襲っているところであったのだ。
逃げ惑う人間を捕まえては、青白い武器で貫き掬火を奪う。
フレンチキッス属という、属体共の中でもとりわけ面白みの無い連中が下品に笑っている。
「――まるで児戯だ。わざわざアレを主戦力であるかのように使うとは、アガレスは何を考えている?」
ザガンと同時期に地上への侵攻を始めた悪魔アガレス。アスモデウスは、奴への態度をイマイチ決め兼ねていたのだった。
「ベリアルもザガンもまだやり方が分かり易かった。人間共からすれば、あのフレンチキッス共を寄越される方が『自分が襲われている』と分かり易いと感じるのだろうがな」
アスモデウスは自分の考えと相容れないとはっきり分かる相手に対しては、即座に殺しに行くつもりで居る。
しかし。
「分からんな、アガレス。そんな調子ではお前が制圧する前に他の悪魔達にも地上に入られることになるぞ。……或いはそれも狙いか? ふん、若干面白いな」
彼は、アガレスに関してはしばらく好きにさせておく、という決断を下した。
――脳裏に一瞬、ビフロンスのあの眼が浮かぶ。
「……あの馬鹿の所為で、無暗な禁忌破りをする気にはなれなくなったしな」
それは自分の命さえ捨てる覚悟を決めていた筈の彼に生じた、気掛かり、というものであった。
アスモデウスは虚空へと視線を移して、こう呟く。
「アラヤよ。お前も、手前の愛を傾けるべき相手を間違えるなよ」
※
……ここから、時は更に四年進む。
――第七話 完――




