第七話 祝福と呪縛は似ている(終局・二)
アスモデウスもまた傷付いていた。しかし息も絶え絶えのザガンより、ずっと力を残している。
「真面目に戦えば強いのに、謀略に向いてもいない癖に、人間を懐柔して飼い慣らそうなどと下らん行動に走るから、お前の戦意は鈍ったのさ。――掬火のことや属体悪魔のこと軍団のことを、人間が電子の海に流すと知って喋ったというのは、温過ぎだ」
広大な夜空に、彼の声が通る。ここに居るのは二人だけ、魔力のオーラで空に立つ彼と彼女だけ。
ザガンは笑う。
「何を何処まで知らないかなんて、人間共自身は興味を持ちさえしないでしょうが? ほんの一歩、それが嘘でも歩み寄る姿勢を示せば、彼らは心の隙を面白い程露わにする。……だけどそういう私の考え方が私自身の本気を鈍らせたと、お前は言うのね」
……ザガンの死力絶招は、弱かった。発揮をしたが、アスモデウスからすればほんの一押ししただけで脆く崩れるものだったのだ。
ザガンは、自分を嘲笑う。
「地上を支配したかった。現代の悪魔に迫るあの脅威に怯えずに済む世界を築きたかった。ただそうしたいだけなのだから、人間共相手にも本気で当たることは無いと。……その甘さが、私を弱くしたのね」
「ああそうだ。悪魔は長い時の中で人間の心に介入してきた。だからそのやり方と、そしてこの現代の人の心の在り様とどう向き合うかは、俺達自身の心の力と直結をする」
「ふ、あはは――!」
アスモデウスの決して着飾らぬ強き言葉に、ザガンの心は、何かに吹っ切れたようだった。
「……一つだけ、この場にそぐわないかもしれないけれど、それでも我儘を言わせて頂戴! 私は死んでも、お前の魔霊と交わることだけは御免こうむるわ!!」
ザガンがアスモデウスへと俊敏に攻め入った。
――差し違える!!――共に死ねば、互いの魔霊は彼らの世界にただ還るのみ。
それは彼女が最後に示した、己の矜持なのだった。
しかし……。
――ッ!!
互いに交差、そして勝負はアスモデウスの勝ちに終わる。
ザガンの右の曲剣はアスモデウスの胸部を裂いたが、彼の魔力のオーラに阻まれ心臓には届かず――左の曲剣は彼の騎槍が封じて、そして、彼の左掌が彼女の心臓をもぎ取っていた。
「ドーンライト・マギクス・シニストラ――」
アスモデウスがその手でザガンの心臓を握り潰し、彼女は張り詰めた表情のまま――
「……っ」
――逝った。
倒れ伏すザガンの身体から、彼女の魔霊が放出される。
それはアスモデウスの身体に入り込む。
……筈であったのだが。
彼の眼前で、魔霊は何故かその動きを止めていた。
「久し振り、だね、アスモデウス。ザガンの意思はさ、僕に汲ませて欲しいんだ」
アスモデウスの視線の横、そこに淡い緑光を放つ女が居た。
ザガンの魔霊は彼女に依ってその動きを封じられていたのである。
……幽鬼とも見違ってしまうような、冷然とした佇まい。――しかしアスモデウスは彼女を、一人の女悪魔としてよく知っていた。
「ビフロンス!」
彼が怒気を孕んだ目つきで自分を見てきている事に、彼女――ビフロンスはぎこちなくも微笑んだ。
「ふふ。――全力で、怒ってるね」
「当たり前だ! 本気の勝負を最後の最後で穢しやがって。さっさとザガンの魔霊を解放しろ!」
彼にその苛烈な怒りを向けられることに、しかし彼女は、他のどの悪魔と接しても得られない心地良さを感じるのである。
「ふふふ。それは、出来ないよ。今解放したら魔霊はキミの中に入ってしまう。流石に混じり合ってしまった魔霊同士はこの僕でも引き剥がせない」
ビフロンスは決して、アスモデウスの心を掻き乱そうなどとは思っていない。
「アスモデウス、キミはもう既にベリアルの魔霊をその身に入れてしまっている。それ自体が前代未聞でも、この僕は知ってる――魔霊が入った数が増せば、それだけ宿主が受ける苦痛は増大するんだ」
彼女は彼女で、自分が抱く悪魔としての思いに殉じて行動を起こしているのだった。
「ザガンは自分の魔霊が混じり合う事そのものを激しく嫌がっていたじゃないか。だから今回だけでもキミはそれを回避して良い。キミがこの世界から退場してしまうには、まだ余りにも早過ぎる」
彼女が、少しだけ必死さを見せていた。彼女自身は自分の必死さに気付いていなかった。
アスモデウスは、彼女の思いを分かっていた。
他の悪魔を蹴散らさんとする程の壮麗さと悠然の心持つアスモデウスと、何処までも冷然でどの悪魔とも等しく心の距離が遠いビフロンスは、しかし古くからウマの合う間柄であったのだ。
だから、彼は彼女が寄せる憂慮の思いを理解出来る。
それでも――。
アスモデウスは彼女に対し首を横に振る。
「確かに奴はそう叫んでいたな。だがその最後の思いごと全霊でぶつかって、貫き通すか砕かれるかするのが、本気の戦いというものなんだ!」
アスモデウスは戦いの中では相手の思いをただ否定するのでは無く認めた上で、全身全霊で飲み下すことを良しとしてきた悪魔である。
「その末に戦意はより高みに昇り、そして何物を相手にしても己の意思を砕かれなかった者だけが、運命を超える力をその手にする!!」
苛烈な思い、信念――それが彼の心には宿っていた。
「……例え俺が消えゆく者の側に回ったとしても、俺より先に進んだ奴の中からその最高の強者が生まれゆく。俺が倒れる運命に在ったとして。その邪魔をする奴は強者の誕生をも阻む奴となる」
彼は何処までも熱量を込めてビフロンスへと語る。彼女の思いを理解した上で、それを丸ごと飲み下す為に。
……彼の言葉を聞いていたビフロンスが、また微笑んだ。今度はその表情に微かな憐れみを浮かべさせながら。
「魔霊を持つ七十二人の個の悪魔達、その全てがこの現代に於いて蹂躙される運命に在る。ベリアルもザガンも、そしてキミもそれを変える力となるべく動いている。同族殺しの禁忌が在る以上、悪魔の行動は早い者勝ちになるのが表層での道理。――なら僕が通る道は、こうだ」
「ビフロンス!!」
ビフロンスはザガンの魔霊を、自らの身体に取り込んだ。
彼女は彼女の能力故に、それでも精神に何の枷も受けない……。
「ザガンとの戦いを完全に決着付けるのなら、僕から彼女の魔霊を奪うしか無いね」
「――――――!!」
アスモデウスが、言葉にならない程の膨大な怒りを抱く。
彼女は、彼のその怒りこそを望んだのだ。
「僕ごと奪いなよ、僕のこの不死と魔霊を引き受ける能力の二つごと。僕の全部、僕を殺してでも、さ」
「……望み、通り!!」
アスモデウスがようやく絞り出したその言葉と同時に騎槍を構える。
「さっさと、得物を出せ!!」
最後に残った理性でそう促した。
ビフロンスの顔つきもここまでとは、変わる。無の表情のようでいて、しかし相対するアスモデウスをその視線が鋭く射貫く。
その右手に出現した彼女の得物。それは小振りで、しかしその両端それぞれに四つの鉤爪状の突起と、そしてその中心部に刺突の刃が設けられた独特の形状をしていた。
「この金剛杵で僕は、キミの魔霊をこの身に宿すという意思を成す」
――(三)へつづく――




