第七話 祝福と呪縛は似ている(終局・一)
阿頼耶は、何処かの部屋の中で目を覚ました。
今は夜の時間であるらしい。視界が悪い。
……電気を付けるのにも苦労する。そして明らかとなったその部屋の様相に、彼は怪訝な顔をした。
慣れ親しんだ自分の部屋とは違っていたのだ。しかし置いてある道具はほぼかつてと同じ……。
机に張られた張り紙に気付いて、阿頼耶ははっきりと、自分はこれまでおかしな状況に陥っていたらしいと直感した。
『愛美から愛する阿頼耶へ。もし私が居ない時間に目が覚めたなら、私が帰るまで絶対に家の外には出ないで。私の携帯端末に着信だけ残してくれたら、すぐに帰る』
机には彼のノートパソコンと、携帯端末も設置されていた。
「……母さんがこんな書置きをするなんて。……違和感が、凄い……まるで俺の事でよっぽど切羽詰っているみたいじゃないか」
阿頼耶は愛美のことを優しい母だと思っているが、しかし彼女に期待という感情を抱いた事はもうここ何年無かった。
取り敢えずパソコンを立ち上げて、携帯端末を手に取る。
そしてパソコンが起動中な内に家の中を見回っていく。
その最中に携帯端末で今の日付と時間を確認、愛美の番号にワンコールを入れる。
……マンションの一室である事はすぐ分かった。一軒家だった前の家よりも明らかに構造が小さい。
なのに渡り歩くまでに異様に疲れを感じた。――リビングで前の家には無かった仏壇を見付けもしたし、いよいよ阿頼耶の心は、自分が四ヶ月と八日もの間眠っていた事の重みへと意識が傾いていく。
パソコンにパスワードを入れて、ネット検索で――アスモデウス ベリアル――というキーワードを打つ。
「……何も出て来ねえ。ニュースサイトのトップ画に悪魔の文言がちらほら載ってるってのに……」
数点の記事を開いていっただけでも、悪魔に関する色々な情報が分かっていった。
この四ヶ月でニホンに幾度も悪魔が出現している事。
奴らは大抵、異空間からその姿を現す事。
基本的に奴らは人間を襲って、掬火という精神の力を奪っている事。
そして数少ないケースではあるが命そのものを奪った事例も存在する事。
奴らの大多数は人間と体の形が似ているものの、外見的には化け物のようであり、そしてそれらは『属体の悪魔』と呼ばれる事。
その中で現状二人だけ、人間と全く変わらない外見をした悪魔が姿を見せている事。
そいつらの名は『ザガン』と『アガレス』であり、それぞれ人間に対する襲い方が違っている事。
ザガンが民衆に対し、『自分のような個の悪魔が属体悪魔を軍団として率いている』と語った事。
ザガンが『その先、幾人もの個の悪魔がそれぞれの目的で地上に降り立つ』とも語った事。
ザガンが『私にひれ伏した者には、人間としての或る程度の安寧は約束しよう』とも語った事。
ザガンが自分の力を誇示する為に、反目の意を見せた人間を何人も見せしめに殺した事。
アガレスが使う軍団は、人間にとって脅威ではあるが、しかしザガンのそれに比べればまだ格が下だと感じられる事。
アガレスは滅多には人間の前に姿を現さず、ザガンに比べ目撃情報が少ない事。
悪魔の襲撃の様子を、人間の有志ある者がネット動画・記事にアップしている事。
しかし誰かが悪魔に殺害された事例に関しては、今現在動画がネット上には残っていない事。
殺された者の名前も、記事などには載っていない事。
ざっと見ただけではあるが。
阿頼耶は後、ザガンとアガレスの外見の情報を改めて確認した。
「……あの時みたいにその場に居るだけで掬火を吸われるなんて事は、もう起きていない、のか」
その事実は阿頼耶の心を幾分和らげた。
あの時は真に為す術が無く、その内に在って倒れゆくだけの者で溢れたのだから……。
それに比べれば、誰しもが逃げるなり立ち向かうなりの選択が可能であるらしい現状は、まだ救いがあるとそう思ったのだ。
「成程、な。あの時は動画に撮る事が出来る奴すら居なかったんだから、あの二人の情報が無くても無理無いか……」
阿頼耶が言っているのは、あくまでアスモデウスとベリアルのことである。
――俺が直に知ってる悪魔はあの二人だけだけど、逆に他の人間はあいつらの事を知らない。
ネットの記事は悪魔を恐れる物のみで、試しに幾つか再生した動画では、映る全ての人間が逃げ惑うばかりだった。
「……」
阿頼耶はふと思い至って携帯端末を開く。
そして連絡先のフォルダから、父・晴人の番号を出す。
……阿頼耶が直接見知っている中での一番強い人間は、その晴人なのだったが……。
「……くっ」
寸での所で阿頼耶の手は震え出して、発信を押すことが出来ずにいた。
※
遥か上空、人の目など触れようも無いその場所で、悪魔ザガンは死の淵に在った。
「……悔しい、本当に悔しいわね。私にお前に勝つ実力が無かった事が、本当に。ねえ、アスモデウス……」
漆黒のロングヘア。前髪までもが長く、左に流している為にその眼も隠れてしまっている。
それでも、いや、そうだからこそ彼女は妖艶な美しさで彩られていた。
身体のラインに合わせるように絞られた濃藍の上衣は無残に破れ、全身が血に塗れていても、損なわれない。
両手にそれぞれ持つ二振りの曲剣が光る。
彼女を見るアスモデウスの表情は、壮麗だ。
――(二)へつづく――




