第七話 祝福と呪縛は似ている(前半・二)
アスモデウスがベリアルに言い放つ。
「ヤる気になるのが遅いんだよベリアル。だがそれでも俺の期待には応えたから赦してやるぜ。悪魔の中で禁忌破りにもノッてくるのは、お前かバエル位だろうと思っていたからな」
……阿頼耶は二人が放つ強大な殺気を、自身の眼で捉えている。
渦巻くそれは殺気であると同時に、悪魔がその身に宿す魔力のオーラでもあった。
……阿頼耶は、魔力という存在を知らない。
だから彼は今、純粋に二人の殺気だけを認識して見ている事になる。
――この悪魔達は本気だ。本気で、お互い殺し合おうとしてる。
……肝心なのは、阿頼耶が彼等の研ぎ澄まされた思いを――二人の殺意を無意識的に受け止めていた事だ。
アスモデウスは阿頼耶の姿を視界から外してはいたが……しかし彼が自分達の殺気だけを見ていながら其処に魂を共振させている事を、明確に感じ取り理解していたのである。
――俺達悪魔の純粋な殺意に酔い痴れず、その本質を本能的に理解してみせる……それはこの少年が性善であるから可能なんだ。善なる者こそ悪を識る、悪魔の隣人にはこういう奴こそが相応しい。
アスモデウスは、何かを思案するように眼を細める。
ベリアルには彼のその表情が、自分に対して向けているものだという風に感じられていた。
――こいつは昔から何を考え実行に移すか分からん奴だった。だがこの私を相手に考え事などする余裕を見せるのは気に入らんな!
そういう思いを抱いたが故にベリアルは、アスモデウスに向けて憎々しげに言葉を放つ。
「ふん、私をバエルのような日和見と並べて語るな愚か者め。奴はいつも企みを練るのが長過ぎる、だから私が先んじてこの地上に降りてやったのだろうが!」
「そうかよ。まあ悪魔はどいつもこいつも自分が一番だという風に思っているのが当たり前だからな、お前がそう言うのも十分に分かる」
アスモデウスはそう言ってベリアルの怒りを冷静に躱す……。
しかし、彼は決して奴の事を軽視していた訳では無い。
――……。
実際このアスモデウスは至極思慮深く、数多の事象について同時に考えを巡らせる事が出来る男なのだ。
彼の頭の中では、怒りに燃えるベリアルの事、二人共に名前を出したバエルという悪魔の事、その他の多くの悪魔の事……そして強き精神持つ阿頼耶の事が、鮮明に紐付いてイメージされていたのである。
――これは、俺も死んでみせる必要が出てきたか……。
何か、途方も無い事をアスモデウスは思い付いたようだった。
だが彼が今相対しているこのベリアルという男も、タイプこそ違えど間違っても単純な男などでは無い。
奴はアスモデウスの壮麗さに比べ、より威風堂々とした立ち振る舞いを前面に出す気質であるというだけなのだ。
奴は奴自身の思慮について語ってみせる。
「そこの小僧と極僅かな者を除いて、この辺りの人間共はあの堕天の涙が開いただけで、掬火を吸われるという無様を晒しておる! それ程に奴等の精神レベルはかつての時代に比べ低下したのだ!」
ベリアルもまた阿頼耶の存在を、そしてその秘めたる強さを、その眼で見ずして感じ取っていた。
しかしその上で彼の事をも、あくまで矮小な人間に僅かばかり毛が生えた程度にしか思っていなかったのである。
「アスモデウス、貴様を殺してこの地上に! 悪魔の新たな時代を興してやるぞ!!」
ベリアルは奴自身の明確な意志で、己が描く未来に臨むと決めている。
その邪魔となるものは、何物であろうと排除すると強く思いを滾らせながら。
だから自分のその言葉が終わる頃には、奴はその魔力をアスモデウスよりも早くに臨界点まで昂らせる事が出来ていた。
……阿頼耶はこのベリアルという悪魔の言動、雰囲気に対しては――こいつは嫌いだ――という風に思っていた。
今も空に浮かぶ紋様――堕天の涙へと、阿頼耶は視線を移す。
――やっぱり、あれがこの異常な事態に関係していた。あそこから発してる光の波動に、殆どの人間の心は負けてしまって……だから皆の精神の力が抜け出ていってしまうのか……。
阿頼耶は彼自身の感性で、こう思う。
――こんなにも簡単に……。皆、悔しいって思ってるんだろうか?
その思いは、大半の苦しむ人々の心の真実には触れていないものだったのだが……しかしそれは今の阿頼耶に分かる事では無い。
だから、阿頼耶は自身の強い思いを二人の悪魔へと向ける。
其処に居るベリアルが堕天の涙を開いて、そしてどういう訳かは分からないがあのアスモデウスという男が、奴を阻止しようとしてる。
それならば……。
――悪魔だろうがなんだろうが、俺はこいつ等の戦いを見届けなきゃいけない。こいつらの思いを知らなきゃいけない。
阿頼耶が見ている前で、二人の悪魔の対決は再開されて……それと同時に阿頼耶の視界には、二人の姿を捉える事が出来なくなった。
激しい武器の激突音が響いていく。
――次に。阿頼耶はようやく、飛び散る二つの血飛沫だけを見る。
その血に慄かなかっただけでも、人間の少年としては上出来過ぎると言えるだろう。
しかし、阿頼耶はそれ以上の死闘の凄惨さを視る事を望む。
――悪魔なんていうそれまで知らなかった存在がする事に、ただ翻弄されるだなんて、そんなのは俺は嫌だからな……!
阿頼耶には、自分にとって理解の外の存在は視ないままで居たい等という、そんな考えは無かったのだ。
――後半へ続く――




