第六話 悪魔の命から目を逸らさない(後半・三)
「――こいつっ!? この、力はっ!!」
アラヤは自分の内側で渦巻く強大な魔力に圧倒される。
――どうだい、僕の魔霊が入っている感触は。悪くない具合だろう?――
彼女の声が聞こえてくる。
身体の内側からか、それとも強過ぎて身体の外にまで放出されている緑光から響いてくるものなのか、アラヤにはそれすら分からなかった。
今アラヤがはっきりと理解している事はただ一つ。
――……この悪魔は異常だ!
普通ではない奴、異常な奴。それは人間の中にも、そして悪魔の中にも存在する。
そうだ、ただ悪魔というだけでは異常だという事にはならない。人間が悪魔に対しそんな風に思ったとしたなら、それは間違った認識の仕方をしていると言わざるを得ない。
人間とは明確な価値観の相違が有ったとしても、それは悪魔という種族が遙か過去から持ち続ける、彼等としての真っ当な個性なのだから。
しかしその事を深く理解するアラヤだからこそ……このビフロンスの精神の波長を心に直接受けて今、こいつは他の悪魔とは明らかに違うと直感的に分かったのである。
――異常って僕がかい?
アラヤの思考を感じ取れるのか、ビフロンスはそう尋ねてきた。
思いも寄らない事を言われた、という感じのやや上擦った声。
己の肉体を精神体と化し、アラヤの身体と精神へと侵入という事などをしておいて、この女はそれをまるで大した事では無いという風に思っているのである。
その上彼女はこんな言葉を告げてくる。
――……ごめん、キミの中に在るものを見たいから入ったのさ。けどこのままだとそれが見える前に、キミの身体が僕の力に負けて砕け散るようなんだ。ねえアスモデウス 、少し頑張ってくれないか――
ビフロンスは緩やかな口調でありながら冷淡に、はっきりと自分の欲求だけを伝えるつもりだと分かる言葉を吐く。
アラヤの事はどうでも良いとばかりに、彼女が見たいと欲する、それそのものにまで呼び掛けて。
それは大人しいようでその実は強く、そして至極無邪気な子供が発する念のようでもある。
実際アラヤは、自分の身体が軋む感触を味わい始めていた。
――ア……ッ……!?
アラヤの精神が呻きのような声を洩らす。
今アラヤの体内では彼の魔力とビフロンスの魔力がせめぎ合っていたのである。
一つの身体の中で二つの意志と、そしてそれぞれの魔力が激しく争う――人の身であるアラヤには、その事で生じる肉体への負荷から逃れる術が無いのだ。
少なくとも、今は!
――アッ……!
異物である彼女を排斥しようとするアラヤの意志と……
――僕を拒絶しないでくれよアスモデウス 。以前は僕を殺してでも僕の力を自分の物にしようと必死になっていたじゃないか……僕にだって、キミにならそうされてやりたい気持ちが有る、のに――
……ビフロンスの、かつて親しかった者の魔霊と溶け合おうとする、その友愛の念が衝突し合っていた。
無邪気で残酷な子供のようであり、同時に、粘度の高い大人の心が混在している――それがこのビフロンスの個性なのだろう。
だがそれは……彼の、アラヤの知った事では、無かった。
――ア……アスモ、デウスって、俺をそう呼んだ、か? ………………殺すぞ、お前ッ!!
彼女が最初に自分の事をセナ・アラヤでは無くアスモデウスと呼んできた時から、既に彼の心はそう決定を下している。
理屈は要らない。こちらの存在を無視するなどは最大の愚弄、そんな女は何者だろうと、男として決して許しはしない。
――殺すって、僕を? 無理言わないでくれよ、殺されても死なないのが僕じゃあないか――
――オォォォォッ!!
アラヤの精神、いや魂が奮えているのがビフロンスには感じられた。
――これは……!?
アスモデウスから継承した魔力でも、彼の魔霊が宿った事でより強くなった精神でも無い、純然たるアラヤ自身の魂の躍動。
故にビフロンスは、彼を彼として認知する。
――アスモデウスでも僕を殺し切れなかったんだぞ……アスモデウス、でも? いや、キミは彼じゃない。キミは!――
「――ハァッ!!」
アラヤの身体が絶叫するように熱く奮えて、眩い緑光がその色を深め、その様相を更に異質なものへと変じさせていく。
刹那、アラヤから周囲一帯へと轟く波動が放たれ、辺り一帯が激震した。
他の悪魔も、そしてゴモリーもその波動を浴びて、赤い髪を大きく靡かせる。
「――ビフロンスめ、アラヤのより純粋な部分を刺激したわね!!」
貞淑な彼女とは思えない、強い語気と表情だった。
自分では出来ない事への、嫉妬であったからかもしれない。
アラヤの身体から放たれていた緑光は、今は彼の特徴強い影の色と融合して、深き暗緑のオーラとなっている。
「……ほとばしる魔力が体に巡っているっていうのに、その原因であるこいつの存在が、俺の心を冷然にさせてもいる。なんなんだ、お前は」
己の意志を貫き、ビフロンスの魔力を逆に調伏までしていたアラヤ。
今は彼自身が言ったように、クールさで以て自分の状態について理解しようと努めていた。
「ビフロンス、それが僕の名前だよ。……そういえばキミは知らなかったか。キミと僕は初めましてだもんね」
その彼女の声は先程までとは違い、はっきりと耳で聞き取れるものであった。
アラヤは自分のすぐ左横へと、その声が聞こえた方へと振り向く。
「お前、なんでそこに居続けてる?」
彼の身体から放たれる暗緑の影の中で、精神体で在りながらその美しい貌から胸元までを、肉体の似姿として露わにさせた彼女が答える。
「キミの横顔は、左側を見る方がよりイイと感じたからさ……ねえ、セナ・アラヤ」
彼女――ビフロンスは薄い、しかし血色のある唇でそう言って、精神体の右手で彼の左頬をそっと撫でる。
しっとりと湿った眼の仕草とその手の感触に、アラヤはクールな熱さを感じた。
――終局へ続く――




