第六話 悪魔の命から目を逸らさない(序幕・二)
「アルファスよ、お前は療養しておったから知らぬと思うが、ここ最近は人間達から奪える掬火の質が上がっておってのう。そう、童が街で悪魔と戦う程にじゃ」
アガレスの言葉には何か底知れぬ迫力が宿っていた。
「童の戦いに民衆が徐々に感化され、悪魔の襲撃に絶望するだけだった心に、希望や勇気等といった強い感情が芽生えていった――それが原因となっておるのじゃよ」
アルファスは眉根を寄せる。
「人間の心は移ろい易いからな、その事自体には想像も付く。それで、お前は何を言いたいのだ?」
アラヤが悪魔を討ち倒す事は、アルファス達にとっては当然面白い事では無い。
しかしその一方で掬火を必要としている悪魔として、彼の勝利が民衆により上質の掬火を生み出させている事実を、考え無しに拒絶する訳にもいかないのだ。
だからアガレスに話の先を促す。これは極めて重要な話だと感じ取りながら。
「儂は次のお前達と童の戦いが死闘になると読んでおる。民衆の掬火の昂ぶりも、ここまでの流れでの最高潮を迎えるじゃろう。……ならばその機を逃す手は無いのう?」
それは一派の長を務める者としては、己に付き従う者を鑑みない発言であったかもしれない。
仲間が憎き敵であるセナ・アラヤとの再戦に臨もうという時に、その戦いでの掬火奪取の成否を露骨に天秤に掛けたのだから。
「それは、そうですが! 貴方は私とアルファスの力を信じていないのですか!」
バティンが表情険しくアガレスに言い放つ。
だがこのアガレスという悪魔は、己の意思を通す事を由とする悪魔の性を持ちつつも、物事の肝要な部分を見定める力に秀でていた。
「再戦となるのはあの童も同じじゃ。ならばお前達に対しての対抗策を用意している可能性も有る」
奴は仲間への情で目を曇らせる等という事をしなかったのである。
「くっ……」
「ふん、揃って何を神妙な面してやがる。決してしくじれねえ戦いってことは、それだけお前達が大役を担うってことじゃねぇか」
レライエがその言葉をバティンへと発していた。
「レライエ……」
「精神の力ってやつは、刺激を受ければ受ける程増大する。方向性はなんでも良い。――それまで昂ぶっていた方向とは真逆のより強い刺激を与えてやった場合には、それこそ一気に倍以上に膨れ上がるってもんだ」
レライエはそう語る。彼もまた、戦いに於ける肝要な点を見逃さない。
「アラヤを窮地に陥らせる、それが今回狙うべき人間達の掬火増大の引き金だ。――お前達が、それを引いてみせるんだろう?」
アガレスがそんな彼を不敵さはそのままに、しかし愉快げな顔で見ていた。
そして――。
「そうだね、僕もレライエの言う通りだと思うよ。人間達に芽生え掛けた輝ける感情……その無垢さを儚く散らせてばらまいたら、ああ、きっととてつもない絶望色の掬火が渦を巻くだろうなぁ」
その女の声は、この場に新たに現れた個の悪魔のものだった。
彼女の登場に、バティンやアルファス、そしてレライエまでもがその険しく苛烈な表情を露わにする。
「ビフロンス――!」
エメラルドのように艶めく深碧色のミディアムロングヘア。
可憐さと妖艶さが入り交じった、大きく開かれた瞳に宿る青い煌めき。
あのゴモリーに匹敵する程の美しい貌……しかし彼女の有する美とは、また違う。
ゴモリーが血の通った熟成さを秘めた美であるならば、このビフロンスの美は触れた相手の手が凍てつき壊れてしまうかのような、冷然なる美であった。
「ああ僕だよ。ご機嫌麗しゅう、だね?」
口調だけが男のものだが、その事の違和感などに構っては居られなかった。
彼女の放つ魔力の波動が、この場を飲み込む程強大だったからである。
しかし彼女自身はなんてことのない挨拶をするように、深き髪色に対し淡い鮮緑のドレスの裾を摘まみ上げてみせるのだった。
上部は豊満と言える胸のデコルテが覗く、首元の空いた袖無しの装い――下部は丈の長い優雅な二段スカートのようであり、しかし、その裾は乱れたように破れている。
アルファスがビフロンスに向けて言葉を発する。
「何故この場に現れたビフロンス。本来アガレス一派ではないお前が、この宮殿を我が物顔で闊歩するのは許し難いぞ」
彼の口調には明らかな棘が有り、彼女の存在を忌み嫌っている事が覗えた。
「ああすまないね。悪気は無いのさ、本当にね」
彼女自身はアルファスの棘を物ともしていない様子だったが……しかしゆっくりと、その謝罪が嘘ではないと伝えるべく頭を垂れてみせていた。
彼女が顔を上げてから、アガレスがアルファス達に向けて口を開く。
「ビフロンスにもお前達の出陣の際、共に赴いて貰おうと思っておる。こやつにも童とは独自の縁が有る故にな」
「そんな!?」
バティンの驚きの声が響く。
アルファスもその表情を険しくしている。
「元々こやつが大人しく儂の保護を受けていたのは、来たるべき時期で童と逢わせてやるという約束をしていたからじゃ。その時期が重なっただけの事なのじゃよ」
「そういう事なんだ。だから行動を共にする皆にちゃんと挨拶しようと思って。――だって死地へと赴くんだから、その前に仲良くしておきたいじゃないか。そうだろう?」
ビフロンスは二人の反応とは真逆の、余裕有る微笑みの表情でそう言った。
――(三)へつづく――




