クライマックス――やがて王たる反逆者(三)
「ん? そうか、お前この場にずっと居たよな」
阿頼耶はゴモリーの宮殿で、玲子の事も或る程度は見ていた。
……玲子は以前阿頼耶に救われたあの時から、彼の存在を唯一無二のものとして、崇拝していたのだった。
ずっと再開を願っていた。
「は、はいっ! えと、その、私、貴方様のことを……」
しかしいざそれが叶うと、想いが溢れて言い淀んでしまうのである。
そんな玲子に、阿頼耶はこう告げた。
「俺は自分の母さんを追い込んで死なせた。母さんは心の弱い人で、俺が誰かと戦う事で精神を擦り減らし続けた。俺はそれを知ってて、そんな母さんを撥ね除けて俺の意思を貫いたんだ」
「へぁっ!?」
突然に過ぎる話。しかし阿頼耶は構わず続ける。
「俺は自分が悪いとも、それを悲劇という風にも思ってない。死んだ直後は辛いと思ったが、でも冷静に振り返った後では、母さんの死に方には直ぐに納得がいった」
「お、おご……」
「受け入れているっていうことだ、母さんの死を。俺はその死を背負って悪魔と戦ってる」
阿頼耶は素で、正直に教え伝える心で玲子に語っていた。
脅かすだとか、そういうつもりは一切無かった。――ただ今この瞬間まで自分に逢いたいと思い続けてきたらしい、同じ同世代の者に……。
自分の抱く、他者の人生のそれとは決して異なる覚悟を、ちゃんと伝えてやりたいとそう思ったのだ。
それがここまで自分を待っていてくれた相手への最大限の礼儀だと、自分らしく、そう信じたのである。
……玲子の心は、一杯一杯だった。心臓がバクバク鳴って、声が震える。
「……か……」
――そうだな。帰った方がお前の為だ。
しかし。
「か、カッコ良いですっ! わ、私なんてママの事むかついたりしても、ハンバーグ一つでコロっと転がされちゃうっていうのにぃっ!!」
玲子は叫んでいた。目に涙を溜めて、まるで意味の通じていないことをただ叫び散らしていた。
ただ心の中でこう思っていた。
――別次元過ぎるっ! この御方は私とは別次元の存在過ぎるっ! でもそれが良い! 驚いたけどっ、でもぶっちゃけこの御方のママさんの事は、私には、ど、どうでも良いしっ! この先自分よりも自分のママの方を大事にしていく男なんかより、全っ然良いしぃぃぃっ!!
玲子は、今ここで自分の心を折るのは、邪念に負ける事に他ならない――という風に感じていた。
自分が阿頼耶の事を想っている、自分にとってそれが一番大事にすべき事実なのだと。
意地で立っていた。己の心を立たせていた。
……親の世代の残影に縛られるなどという概念は、色褪せた過去の中に捨ててゆく。
未来見えぬこの現代に生きる若者なればこそ。
「……真の地獄は遍く全ての魂に平等だ。薄皮一枚、剥がして人も悪魔も血で血を洗えよ」
阿頼耶の足の下で、アスモデウスがそう語っていた。
悠然と、彼らしい語り方で。
――理解していたのだろう。玲子の心の輝きを、荒ぶりを。
悪魔なればこそ彼女の想いを理解し、そして掬い上げる。
「……ありがとう」
阿頼耶が、玲子に向けてそう言った。
「へっ?」
玲子は、彼の礼の意味が少しも分からなかった。
自分が一番意味の通じていないことを言っておきながら、だ。
しかしそれは、彼女らしさである。
「俺のむかつきを分かってくれて」
阿頼耶はそう続けながら、玲子と初めて逢った時の事をはっきりと思い出していた。
――そうだ、こいつあの時ファルラペに居た女だ。あの時は制服姿で、それからは私服姿だったから、それで分からなかったんだな。
ぱっつんな前髪と『ママのハンバーグ』という言葉、その二つが組み合わさって辛うじて思い出せたのだった。
そしてそれを酷い事だと思いすらしていない。
それでも……。
今直に相対している彼女を、彼は絶対に馬鹿にはしない。
「――はいっ!」
玲子は阿頼耶が見せた反応に対し、自分に出来る精一杯の良い返事をした。
本当は、彼女は阿頼耶の怒りと哀しみを、ほんの少しも理解出来てはいない。
偶然、彼の心に触れることを言えたというだけ。
しかしここで大事なのは、そんなことでは無いのだ。
寧ろ玲子は、彼の心を正確に知ろうとすることの方がおこがましい行為とさえ思う。
――想いをぶつけて、それで涼しい顔をして受け止めてみせてくれるのは、紛うこと無くその者にとってのヒーローだ。
憧れのヒーローには、この手がギリギリその背に届かない位の方がエモーショナルである。
阿頼耶は、眼を閉じて微笑んでから――
「……瀬那阿頼耶っていうんだ、俺。憶えておいてくれよ」
――玲子にそう告げた。
「――っ! は、はいぃっ!」
とことん好き勝手なタイミングで彼らしさを見せつけられる。玲子にとっては、それが激しく堪らない。
……阿頼耶はポケットの右手を出して、アスモデウスに語り掛ける。
「来い、アスモデウス。お前の意思を全部受け継ぐとは言えないが、それでも、一緒に行こう」
その言葉にアスモデウスは笑った。
「上等だ。お前は、俺すら超えていけ」
……アスモデウスの胸が裂け、中から彼の膨大な血が阿頼耶の全身を濡らしていく。
ぶつかり、入り込み、一方でアスモデウスの肉体は砕けて、それさえ血へと変じて、阿頼耶の中に融和する。
「ふん」
その様にレライエが不敵に笑い、
「お、おおおお、お!」
玲子が派手に驚きながら、それでも食い入るように見るのを止めなかった。
やがて、阿頼耶はアスモデウスの精神の声を聞く。
――苦しくないか?
――だいぶ、苦しいな。
――魔力を安定させる為に、その象徴となる刻印をお前の身体に刻もう。手の爪はどうだ? 洒落ていて良いだろう?
――髪が銀色になるよりは良いか。俺は髪を染めるのは嫌いだから、な。
阿頼耶は一つだけ、アスモデウスに問う。
――なあ、お前は人間の事は好きか? 嫌いか?
――……ふん。そうだな、その心根を徹底的に蹂躙してやりたい位好きだ。
――俺に嘘は吐いてないってことだけ分かるよ。
――人間は、個ではその心が完成しない不完全な生き物だ。それは裏を返せば、この世で体験した全ての事象を、手前が変わる切っ掛けにしてしまえるということ。……そんな強い資質を持つ生き物を、好きにならない筈が無い。
――そうか、それを聞いて完全に分かった。
――お前と同じだということだ。言っておくがお前も俺に嘘は吐けんぞ。
――ちっ……むかつくな。
この、互いに軽口にも似たやり取りが二人の最後の意思疎通となり、そして――。
「……終わりやがったか。悪魔を取り込んだ人間。その力、ここで見届けなきゃ馬鹿だろ?」
そう告げてくるレライエに、阿頼耶が、素の顔で答える。
「お前にはこの前やられた借りがあるもんな。――俺にお前等個の悪魔とヤり合う力が有るかどうか、試すさ」
その両手の赤く鋭く変じた爪をギラつかせ、その身に巡るアスモデウスの全ての魔力を感じながら。
阿頼耶は、真に戦い抜く決意を固めるのだった。
――(四)へつづく――




