我等の殿様
3LDKってところかな。
若旦那から貰った屋敷は、新築でこそないが、きちんと手入れがしてあり俺1人住むには充分な広さの平屋の屋敷だった。
庭が広く、今はいないが馬を2頭くらい入れられる厩があり、庭の隅には耕された跡がある。家庭菜園だな。
屋敷を囲む生垣も立派なもんだ。
平成の土地感覚からすれば、文句のつけようのない待遇だ。
…そして。
「旦那さま。監物さまより頂いたお召し物はどちらに置けば」
「屋敷うちの事はせきに任せるよ」
…そうなんだ。
せきもウチにいる。
独り身では身の回りの用が足せぬであろうし、勝手が判るまい。せきを付けてやろう。
若旦那め。困るよ。
「あの…旦那さま?」
「あ、ああ」
可愛すぎるのだ、17と言っていた。
仕事柄、色んな年齢の人と接していたし、飲みに行けば若いおねーちゃんとも話す。
でも時代も違うし、ましてプライベートでいきなり赤の他人の女の子と暮らすんだ。
何話していいか判らん。
そしてメイドフラグときたもんだ。
健全な男性諸氏なら、困るでしょ?いろんな意味で。
「若旦那、じゃない監物さまから色々聞いてるだろうけど、勝手がよく分からないんだ。家の中の事はよろしく頼むよ」
「承知致しました。それにしても旦那さまは面白いことばを使われるのですね」
「そ、そうかな」
若旦那は、せきには俺が未来から来たとは言ってない様だった。
…ま、言っても信じないだろう。
「お国訛りかしら。生まれはどこでございますか。遠国?」
「ま、遠国っちゃ遠国かな」
「まあ。やっぱり面白い」
キラキラした笑顔だ。
微かに上気した頬がとても可愛い。
ごめん、と胸の内で嫁に謝った。
「大和さま。おられまするか」
裏手の勝手口から大きな声がする。
…誰だよ俺の妄想の邪魔をするのは。
吉兵衛だった。
吉兵衛はこの辺りの豪農で、若旦那から俺の事をいい含められている。
世話役、といったところか。
何か事が起これば、俺に合力せよ、とも命ぜられた、とも言っていた。
「ああ、いるよ。何かな」
「その訛り何とかなりませぬか。殿様に目通りするとき困りますぞ」
「そう言われてもねえ。物心ついた時からこれなんだから、仕方ないでござる」
ちょっと真似てみた。
「仕方のうござろうが、改めていただかねばなりませぬ。これから目通りじゃ」
「き、聞いてない」
「そりゃそうじゃ。先程殿様の御屋敷から儂の所に使いがござっての、お会い下さるそうじゃ。支度させよ、と」
…気が重い。織田信長に会うわけか。
いつの時期の信長の逸話か忘れたけども、
この時代ではまだ珍しい、外国の宣教師の話に3時間も熱中し、しかも全て理解したというから、 あたらし物好きでしかも頭脳明晰なんだろう。
下手をすると若旦那のそばに居られなくなるだろう。
若旦那は、一応配下の形を取りつつも俺を友人として接しようとしてくれている。
信長はどうなのかな。
…稀代のうつけ者、徹底した合理主義者、のちに第六天魔王と称された、織田信長。
…恐いけど、会ってみたい。
「すぐ支度するよ。おーい、せき…さん」
呼び捨てにするのにまだ慣れない。
そういえば、嫁も呼び捨てにしたことないな。
「大和さまは馬に乗れまするか」
吉兵衛が不安そうに訊いてきた。
「…いや、跨がることは出来るけども」
「情けないお方じゃな。儂が引いてやるゆえ、早う乗られよ」
「馬がいるの?」
「急ぎ市で買うてきたわい」
なるほど。
「吉兵衛さん」
「何でござる」
「殿様ってどんな人かな」
「えらい人よ。那古野のオトナじゃからな」
オトナ、大人。
家の大人、転じて重臣のことをそう言っていたらしい。単に家老とも、
…って、オトナ?
殿様って信長ではないのか。
「これから会うのって、信長様じゃないの?」
吉兵衛が呆れた顔をする。
「馬鹿を言え。大和さまごときが大殿様なんぞに会えるかよ。殿様とは我等の殿様よ」
「誰のことを言ってるのかな」
「分からんのか。中務丞(なかつかさじょう)政秀さまじゃ」
…信長じゃないのか。