織田上総介、三郎信長
那古野の城は大騒ぎになった。なにしろ信長が瀕死の状態で運び込まれたのだから…何があるか分からない、手勢を呼び寄せる者、勘十郎や柴田権六の排除を叫ぶ者、何をしていいか分からず右往左往する者…。
俺は、城に入る前に八郎を屋敷に走らせ、屋敷の小者たちに戦支度をして待つよう命じた。小者たちといっても十人ほどしかいないけど、何もしないよりはいい。八郎にはそのまま物頭として残るように言ってある。指示を終えて城に入ると、信長の居室に向かった。そこには濃姫、若旦那こと平手五郎、急を聞いて駆けつけた平手中務、留守居をしていた佐久間半介が詰めている。俺は居室には入らずに若旦那を呼んだ。
「おお左兵衛…戻ったか。追手は」
「来なかった…なあ、思うんだが…あれは勘十郎や柴田権六の仕業じゃない」
つい勘十郎と呼び捨てにしてしまったけど、五郎は咎めなかった。皆はもう末森城を仮想敵ではなく、敵として見ている。。
「では誰じゃ!儂ではないぞ、勿論お主も違うであろうが」
「おそらく…清洲の守護代だ」
若旦那は一瞬目を丸くしたけど、すぐに表情は肯定に変わった。
「…勘十郎様や柴田権六ではないとすると、お主の言う通りかも知れぬ…が、何故そう思うのじゃ」
理由はこうだ…下四郡の守護代、織田大和守信友は、我等織田弾正忠家の当主に操りづらい信長ではなくて、信行を望み、また彼を支援している可能性があるという事…そして、先の松葉・深田の戦で城を我等に奪い返された折、三重臣を我等に討たれ、那古野方へその復仇を果たそうとしている可能性がある事。
謀殺の成功失敗のどちらでも、末森方がやった様に見せかける事で、那古野と末森を争わせることが出来る…末森が勝てば、そのまま勘十郎を弾正忠家当主に据える。那古野方が勝っても謀殺が成功していれば、当然新しい当主を立てねばならず、信長にはまだ嫡子がいないので、序列からいけば信行が継ぐ可能性がかなり高くなる。
信長が死なず、また那古野が勝ったとしても、その損害は少なくないはずで、その状態の信長を降すのは容易になるか、謀殺実行以前よりは戦いやすくなるはずであり、謀殺が成功・失敗どちらでも、信友の損にはならない。
毒殺の理由を聞いて、若旦那は得心がいったようだった。
「成程のう…大殿も嫌われたもんじゃわい。しかし、よく守護代の腹を読めるもんじゃの」
「…俺がどこから来たのか忘れたのか、若旦那」
敢えて小声の俺の言葉に若旦那はハッとした。一瞬で厳しい形相になり俺の腕を掴んで連れ出した。
「お主…毒を盛られる事を知っておったのかっ」
周りを憚り、若旦那の声は小さい。だが眼には怒りの色が浮かんでいた。
「…知っていた、でも」
言いかけたとき、信長の居室からざわめく声が聞こえてきた…お目覚めじゃっ…平手中務の声だ。
数刻後、俺は若旦那と共に信長の居室にいた…とうとう俺の秘密を信長に話す時が来たのだ。
「で、五郎右…大事な話とは何だ」
信長は身体を起こしてはいるがさすがにまだ床の中だ。でも顔色は良くなっていた。
「…左兵衛の素性についてでござりまする…この左兵衛は後の世から来た男にござって、大殿が毒を盛られることも知って居った様で…」
若旦那はいきなり本題から入った。
「何を言って居るのか見当がつかぬ…毒を盛られる事を知って居ったら、後の世から来たことになるのか」
「三郎様、そうではありませぬ」
若旦那は俺と出会った日の事を話し始めた。
「…そうであるか、左兵衛」
「はい…平手さまの申されて居る事は…全てまことの事にござりまする」
信長は不思議がることもなく、不審がる事もなかった。真面目に、興味津々といった顔をしていた。
「今年は天文二十一年…左兵衛、そちの暮らして居った年は何年じゃ」
「それがしは昭和五十九年に生まれ、平成二十四年まで後の世に居りました…西暦、南蛮の暦だと二〇一二年…今は一五五二年にござりまする」
信長は真面目に聞いていた。南蛮の暦のなどまだ知らないだろう、だけどがあっけに取られた、という感じじゃない。まだ苦しいだろうに身を乗り出して、早う続きを聞かせよ…といった感じだ。ワクテカしているのだろうか…。
「ふうむ…四百六十年も後に居ったのか…遠い所を、いや遠くはなかろう…さぞ困ったであろう、好きで来たのでは無かろうしのう」
「はい、いいえ…後の世の事を、未だ来ず、と書いて未来と読みまする。その未来では、この天文の世の中を戦国時代と呼んでおりまする。その戦国時代は、天文の世の後も続き、元号は弘治、永禄、元亀、天正…と続きまする」
「国々同士が戦うて居る故戦国か。響き良しじゃのう…左兵衛、そちは世の事に詳しい様じゃな」
信長は何度も頷く。語呂のいい言葉が好きなんだろうな…。
「昔の世から今の世までの出来事を探る学問を、史を歴すると書いて歴史と言うており、それがしはその歴史が好きで、特にこの戦国の世を好いておりました…特に大殿を好いておりまする」
「追従では無かろうな…まあよい…俺をか。俺が歴史とやらに出てくるのか」
「例えて申すならば、熊谷次郎直実や坂東武者の戦の進退に憧れるようなものにござりまする」
「それならわかる。時は移っても、皆同じようなもんじゃの」
信長は嬉しそうに笑っている。
「その戦国の世を好いているそれがしが、戦国の世に居る…意味がお分かりでござりましょうか」
俺は背筋を伸ばし、信長を見つめた。信長も俺をじっと見つめると、大きく息を吸い込んだ。
「…起こる事を知っておる、と言う訳じゃな」
「はい…されど全てを知る訳ではござりませぬ、大きな戦や、世の中の潮目の変わるような出来事を大体…」
「…ヌシは俺を好いて居ると申したな。それで俺が毒を盛られる事を知っておったのだな」
「…知って居りました。が、時期までは知りえず、まさか今日起こるとも思わず、失念しておりました。物の役に立たず何の申し開きも出来ませぬ」
信長はそれについては何も言わなかった。責めはしない、そういう事だろうか…俺は更に説明した、なぜ未来から来たという事を黙っていたのかと…。
未来から来たなど信じてもらえるか判らず、知っていることを話せば逆に疑われて殺される危険があるからだ…出来事として知っているだけで、細かく何時の何月何日まで知っている訳ではない。
逆に自分が来たせいで、知っている事と微妙に出来事が変わっている可能性がある事も伝えた。
言い訳になってしまうが、ちゃんと言っておかないと俺の命に関わる。まだ死にたくはない。
「…なるほどのう。五郎右、どうじゃ」
「左兵衛が此度の事を言わなんだ事には心底、我を失いかけ申した。が、此度の事は、大殿を狙う清洲の策を読めなんだ我等家臣一同の手落ち…責めを負うのは左兵衛ではなく我等にござりまする」
「五郎右は、いつも左兵衛を庇うのう」
信長は顔を若旦那に近寄せて笑っていた。
「友であり、我が妹の夫、義弟でござりまする。庇わぬ訳には参りませぬ」
若旦那は畳に頭を着けて平伏した。
五郎、五郎右衛門…この人には参る、俺の為にそこまでしてくれるのか…せきの為、ということもあるだろうけど、俺はこの人に報いなければ。
「まあよい。凶事を知って居っても防げるとは限らぬし、人は必ず死ぬ、死んだらそれまでの事よ…ところで左兵衛、俺はまことに歴史に名が残るのか。後の世…未来の者にとっての源頼朝や足利尊氏の様にになれるのか」
「なれまする、大殿は…」
「フフ、その先は言わずともよい。成れる、と云うならそれで十分…名を残すなら、己の力で成さぬとな」
「は、ははっ!」
「左兵衛よ…金輪際、未来の出来事を話してはならぬ。先の事は知りたいとも思う。が、ヌシから訊かねば何も出来ぬのでは、稚児にも劣る。尾張の大うつけのまま終わってしまうわ」
顔色はまだ悪いが、信長の目がギラギラと輝いき出した…ああ、やっぱりこの人は織田信長なんだ、己の力で道を切り開き、時代の先頭を進む…元々俺は居なかった、何を言う事があるのか…。
「五郎右も、よいな。これでこの話は仕舞いじゃ。お主の友、義弟、それでよい…五郎右も左兵衛も歴史に名を残せっ。カハハハハ」
眼光は鋭いものの、身体はまだ癒えてはいない。五郎と共に信長の居間を後にした。
「五郎…有難う」
「いや、儂は何もしておらぬ。それより、ヌシには悪い事をした。済まぬ」
五郎が深々と頭を下げた…何も謝る事はない、顔を上げてくれよ…。
「俺も胸の痞えが取れた。でも大殿が死んでいたら、失念していたでは済まない…庇ってくれて、本当に有難う」
俺はなぜか若旦那の両手を掴んでいた。五郎も強く握り返してくる。
「…毒飼いの事を失念して居ったのは、三郎様が死なぬと知って居った故、じゃな」
若旦那は憑き物の取れたような顔をしていた。さっぱりしている。
「ああ。そうだ」
「では、柴田権六と勘十郎さまへの啖呵は、わざと、か。中々の武者振りだったぞ」
「ばか言うなっ。わざとあんな啖呵切れるもんか。あの時は本当に驚いたんだ。訳も分からず身体中が怒りで一杯になったよ」
後少しで勘十郎ををぶん殴るところだった…とは言えないな…。
「怒りどころか儂は腰が抜けかけたわい…膝はがくがく云うし…ヌシを見て、気張れたのよ。儂の方こそ礼を言う」
「いいって…何にせよ、大殿が無事でよかったな」
…五郎右も、左兵衛も、歴史に名を残せ、か…。
織田信長。未来の事を話したら、その情報を利用してもっともっと突き進むんじゃないかと思ってたけど…後の世に名を残すなら、己の力で残してやるわい…か。ああ、なんか信長なら言いそうな気がする。すごい。本物はやっぱすごい。
一向一揆との戦いで捕虜を取らずに皆殺した、とか叡山焼き討ち、とか、冷酷なイメージあるけど、熱い男だ。今はまだ十八だし、若さがそうさせるのかもしれないけど、このまま歩んで欲しい。
未来の事を言うのは禁止…となると自分の為に使うしかないけど…頭の中にあるこれからの出来事。俺が来て、微妙に変わった、変わる出来事…。
よく見てよく訊いて、この二つの流れを見比べながら、考え抜いて、助言なり、策を練るしかないなあ…あまり変わり過ぎると折角の知識が無駄になる、上手くいくだろうか。でも…やるしかない。




