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戦国異聞  作者: 椎根津彦
飛翔の章

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転機

 わたくしは今、堺から九州に向かっている。南蛮の船を学ぶなんて、私に出来るのかしら…でも、学んで、造って、乗りこなしたい。外っ国の船といっても、私達と同じ人が造った物だ。

左兵衛さまは仰った…南蛮の船を知らぬから、造れぬだけだ。一から学んでいけば、奴等の物より立派な船が造れるさ…。

確かにそう、と私も思う。九鬼に居た頃は南蛮の船の事など話に聞いた事はあっても、見た事はなかった。女の身故、家は継げぬ、どれ程腕が良かろうとな…家を出て良かったのかも知れない。

それに左兵衛さまからは餞別を頂いた。新九郎どの…独りでは危なかろうし、道中寂しかろう。気をつけて行ってきな…と、新九郎どのを供に付けてくれた。少し愛想は悪いけど、頼りにはなるお方の様…いつまで九州に居ることになるのか、分からないけど、精一杯気張らないと!



 うん、ほとぼりを冷ますのに丁度いいな。

「よし、召し抱えよう。が、しばらくは、このお蓉どのと一緒に九州に行ってもらう。お主は裏切り者で、今川のお尋ね者じゃ。名前も変えてもらうが、よいか」

望んでもいないのに名前も名字も変えなきゃいけないなんて、かなりの屈辱、苦痛だろう。だけどやってもらわないと俺が困る。

「御意にござる。で、どの様な名を」

うーん、山口九郎二郎…教吉……思いついた。

「鳴海新九郎一吉…とか、どうだ」

「鳴海新九郎…一吉」

山口教吉は納得いかない顔をしている…そりゃそうだよな。

「一の文字はそれがしの一寿から取った。名まで変えて済まぬ」

山口教吉は黙って俺の顔を見つめている。気にせず続けよう。

「お主を守る為にする事だ。九州へ行って貰うのも、お蓉どのの身を護る為もあるが、害が及ばぬ様ほとぼりを覚ます為…分かってくれ」

「名を変えるのは構いませぬ。が…何故にその様な優しき事を云うて下さるのか」

山口教吉は不審な顔をしている。 俺の好意的な態度に、戸惑っているようだ。

「お主は今川に恨みがあるのだろう。潮目が変わればこちらから三河に行かなきゃならんし、逆に寄せてくれば、ここから下がる訳にはいかん。那古野の大殿は今、守護代との戦で手一杯、良からぬ仲の弟も居る…故にこの鳴海には加勢は来ぬだろうから我等だけでどうにかせねばならん。差引、兵の指図が出来る者が欲しいのだ」

「成程」

「それにお主を山口九郎どのとして那古野に報せれば、殺せと言われるか、再び謀の駒にされてお終いだ。余計な人死には見たくないしな」


 俺は隠すことなくそう打ち明けた…まあ、隠す必要もないからな。

「余計な人死には見とうない、でござるか。戦の差引でも人は死ぬのではござらんか」

「…戦ゆえ仕方なき事…だが仕方無い、とは言いたくない…せめて身近に居る人は死なせたくはない。出会ったのも何かの縁。縁は大事にせねば」

戦争をしているから人が死ぬのは当たり前、とは言いたくない。でもこの時代に生きて、生き抜く為にはその当たり前のことを受け入れ、時にはそれを加速させなきゃならない。だからこそ、せめて見知った人間には死んで欲しくない。伝わるかどうか判らないが…。

「…畏まりましてござりまする。今日より大和左兵衛尉が臣、鳴海新九郎一吉にござりまする。忠心を以て奉公致しまする」

「はは…そんな大袈裟にしなくてもいい…先程も言うた通り、お蓉どのと九州に行ってくれ」

新九郎は一応、分かってくれた様だ。



 「御屋形様の御成にござりまする!」

入来を告げる万見仙千代の声はうわずっている。それもその筈、本来であれば来意を告げる先触れの使者があり、日を改めて来訪…となるのが通常だからだ。今回の様に急に訪れる事は今までに無く、その事が仙千代だけでなく那古野城を慌てさせていた。


 尾張守護職を務めているのは、斯波武衛家当主、斯波左兵衛佐義統である。彼は信長が好きだった。正確には信長の父、信秀を、であったが。

信秀が弾正忠家を継いだ頃には既に実権は守護斯波家から上下の守護代に移っており、そこに織田一族の内紛や美濃の土岐氏、斎藤氏や今川氏との対立も加わって、尾張国内は混乱していた。そんな尾張にあって一人気を吐いていたのが弾正忠家の信秀だった。信秀は辣腕だった。両守護代家をさしおいて美濃との戦を互角に進め、今川氏に奪われた那古野を取り戻し、更には三河の安祥に兵を進め、元々斯波氏の分国だった三河を取り戻す勢いを見せていたのだ。義統にとって、そんな信秀の勢いはとても好ましいであり、それは信秀への有形無形の支援に繋がっていった。


 だが、その義統の行動は尾張国内の更なる混乱を生んだ。織田伊勢守家、大和守家にとって、自分達を飛び越えて直に守護と弾正忠家が結び付く事は危険であり、自分達の地位を脅かす行為…としか彼等の目には映らなかったのだ。それはまさしくその通りであったが、それ故に弾正忠家は織田の中で孤立していく。単独で二正面作戦を敷いられる事になった弾正忠家は次第に疲弊していき、美濃との戦は濃姫の輿入による和睦という結果に繋がっていく。だがこれは尾張、美濃の戦の終結を意味するものでは無く。美濃斎藤家と織田弾正忠家の間だけの単独和睦であったから、事態は一層複雑化していった。

義統は自分の行動が結果的に事態を複雑化させた事に気付いたが、信秀の死後も弾正忠家への支援を止める事は無かった。どうせ実権を守護代の手から取り戻せないのなら、尾張の為に働く物を輔けよう…そう考える様になっていたからだった。信秀の跡を継いだ者ならそれをやるかも知れぬ…信秀の孤立をという事態を招いた後ろめたさは、信秀への好意が信長への好意と繋がっていったのである。


「毒飼いされたと聞いて飛んで来たわ…企みの主は大和守じゃ。そなたと勘十郎の仲違いを利用したに相違ない…済まぬのう、儂にもそっと力があれば、彼奴の横車などを許さぬのだが」

斯波義統は本当に済まなそうな顔をしていた。

「いえ、あれしきで死ぬ上総介ではござりませぬ、わざわざ那古野まで下向頂いての見舞い、有難き次第にござる」

信長は深々と平伏した。義統は何度も頷くと、上座から立ち上がり信長に近寄ってその肩にそっと手を添えると、手にした扇子を拡げながら呟いた。

「…守護代にならぬか」

「守護代、にござりまするか」

信長にとってもそれ思いがけない呟きであっただろう。動きが止まっていた。

「そうじゃ…あれはちとやりすぎる。あれのなす事を見て又代の坂井大膳などものぼせ上がる有様じゃ」

義統の表情は苦々しい物に変わっていた。

「でござりまするか…されど、それがしものぼせ上がるやも知れませぬぞ」

信長は冗談交じりに笑いながら答えたが、義統は笑いながらもそれに釣られる事は無かった。

「ハハ…それも考えた。が、同じのぼせ上がるのであれば、そなたの方がよい。そなたは桃巌の跡継ぎじゃ…桃巌の目に叶うた跡継ぎなら、目に叶うだけの思案があろう」

義統はそう言うと、答えようとする信長を制して言葉を続けた。

「儂の家は、室町三管領筆頭の家柄じゃ。が、斯波の分国であった三河は今川づれに奪われ、尾張におっても、何の思案もない伊勢守や大和守にいいようにされて居る始末…不甲斐無い、悔しゅうて堪らぬのじゃ。分家の家督に口を出し、身内に戦をしかけ、彼奴は何がしたいのか。今川を防ぎ戦うておるのは、そちの家のみ…であれば尚の事、せめて下四郡は弾正忠家に任せたい…その後はそなたの了見じゃ。上四郡と和合するもよし、討つもよし…尾張をまとめねばならぬ」

「ははっ」


 言い終わると義統は、用件はこれで済んだとばかりに近侍している万見仙千代を呼び寄せた。

「控にの、毛利十郎がおる。銀子百貫、その目録を携えて居る故、受け取って来るがよい…酒の支度も忘れずにな」

広間を出て行く仙千代を見ながら、信長は斯波義統について考えた…守護自身は力がない。国をまとめる事は出来ぬが、目までは曇って居らぬ…。

「見舞いどころか愚痴になってしもうて済まなんだの…とにかく、信友は焦っておる。また何を企むか判らぬ故、気をつけよ」

「ははっ。御忠告、肝に命じまする」

万見仙千代が毛利十郎を伴って入って来た。酒や膳も運び込まれる。義統はオトナ達も呼べと云うに違いない。この酒は長くなりそうだ、信長はそう思った。




 「御曹司、お父君はどちらに参られたのか」

坂井大膳の額には青筋が立っている。

「…黙れ。陪臣ふぜいが俺に物を聞くとは…いつ何時から直答許された。問答はまずそこからよ…直答差し許す。用があるなら言うてみい」

斯波義銀は坂井大膳の事が大嫌いであった。行儀作法はいい加減、人を人とも思わぬ態度、余裕のない表情…義銀にとって好ましくある要素が一つもない。

「…申さぬと為になりませぬぞ」

問いが自儘にならぬととすぐ相手を脅す…まことに守護代の家来か。大和守家も上役がこの有様では長くかろう…とまで思う様になっている。

「大方、清洲の町女房の所にでも行って居るのであろう。だがな大膳、何故俺がいちいち父上の行先を知っておかねばならんのか」


 「大膳、控えよっ」

坂井大膳は自分を諌める主を探して廊下を見た。そこには守護代、織田大和守の姿がある。バツが悪いのか、坂井大膳は逃げるようにその場を去って行った。

「御曹司もそれくらいになさいませ。あまり茶化すと、斬られかねませぬ」

「大和守…あ奴はどうなっておるのか」

「忠実なだけが取り柄にござりまする。お耳汚し、まことに申し訳ござりませぬ」

父の行先を義銀は知っている。今頃那古野に居る筈だった。上総介との繋ぎの為だ。父は上総介を下四郡の守護代に据えたいのではないか…義銀はそう思っていた。その件で父は一人で那古野に向かったのだと…それに必要だったら父は自分の行先を守護代達に伝えただろう。彼奴等が知らぬという事は、敢えて知らせる事はない、義銀はそう理解している。

「が、御屋形様お一人で那古野まで遠乗りなど、危のうござりまするぞ。御曹司からも御屋形様にきつく、云うておいて下され、無理をなさると命を落としかねませぬ、と」

「…判った。それがしがきつく、云うておこう」

既に行先は露見しているというのか…そう思うと、義銀の答えはぎこちないものになった。

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