表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国異聞  作者: 椎根津彦
飛翔の章
30/116

織田上総介、三郎信長

 那古野の城は大騒ぎになった。なにしろ信長が瀕死の状態で運び込まれたのだから。

何があるか分からない。手勢を呼び寄せる者、信行排除を叫ぶ者、何をしていいか分からず右往左往する者。

俺は、城に向かう前に八郎を屋敷に走らせ、屋敷の小者たちに戦支度をして待つよう命じた。小者たちといっても十人ほどしかいないけど、何もしないよりはいい。八郎にはそのまま物頭として残るように言ってある。

 指示を終え、城に入ると、信長の居室に向かう。

居室には、濃姫、若旦那こと平手五郎右衛門、急を聞いて駆けつけた平手中務、留守居をしていた佐久間半介が詰めている。俺は居室には入らずに若旦那を呼んだ。


 「おお左兵衛、戻ったか。追手は」

「来なかった。多分勘十郎や柴田権六の仕業じゃない」

つい信行を呼び捨てにしてしまったけど、若旦那は咎めなかった。皆はもう末森城を仮想敵ではなく、敵として見つつある。

「では誰じゃ。ワシではないぞ。勿論お主も違うであろうが」

「清洲の守護代」

若旦那は一瞬何を、という顔をしたが、すぐに俺の意見を肯定した。そして訊いてくる。

「末森の衆ではないとすると、お主の言う通りであろうな。が、何ゆえそう思うのじゃ」


 守護代・織田大和守信友は、我等織田弾正忠家の当主に三郎信長ではなくて、勘十郎信行を望み、また彼を支援していること。

 先の松葉・深田の戦で城を我等に奪い返された挙句、三重臣を我等に討たれ、那古野方へ復仇を果たそうとしていること。

 

 信長謀殺の成功・失敗のどちらでも、末森方がやったように見せかければ、自分がやったように思われることなく、那古野と末森を争わせることができる。

 末森が勝てば、そのまま勘十郎を弾正忠家当主に出来る。もし那古野方が勝っても謀殺が成功していれば、当然新しい当主を立てねばならず、信長にはまだ嫡子がいないので、序列からいけば信行が継ぐのは当然である、ということ。

 信長が死なず、また那古野が勝ったとしても、その損害は少なくないはずで、その状態の信長に勝つのは容易であるか、謀殺実行以前よりは戦いやすくなるはずであり、謀殺が成功・失敗どちらでも、信友の損にはならない。


 毒殺の理由を聞いて、若旦那は得心がいったようだ。

「なるほどの。大殿も嫌われたもんじゃわい。しかし、よく読めるもんじゃの」

「…俺がどこから来たのか忘れたのか、若旦那」

若旦那はハッとして、俺の腕を掴んで隣室に連れて行く。

 

「お主、毒を盛られる事を知っておったのかっ」

周りを憚り、若旦那の声は小さい。だが眼には怒りの色が浮かんでいた。

「…知っていた、でも」

言いかけたとき、信長の居室からざわめく声が聞こえてきた。

お目覚めじゃっ。よかったわいっ。

平手中務の声だ。









 数刻後、俺は若旦那と共に、信長の居室にいた。…とうとう俺の事を信長に話す時が来たのだ。


「で、五郎右衛門、大事な話とは何だ」

信長は身体を起こしてはいるがさすがにまだ床の中だ。でも顔色はよくなってきている。

「この左兵衛は後の世から来た男にござりまする。大殿が毒を盛られることも知っており申した」

若旦那はいきなり本題から入った。

「何を言っておるのか意味が判らぬ。毒を盛られる事を知っておったら、後の世から来たことになるのか」


 「大殿、そうではありませぬ」

若旦那は俺と出会った最初の日の事から話し始めた。

「そうであるか、左兵衛」

「監物さまの言うおることは、すべてまことの事にござりまする」

不思議がることもない、不審がることもない。真面目に、興味津々といった顔をしている。

「今は天文二十一年。そちの暮らしておった年は何年じゃ」

「それがしは平成二十四年の世に居りました。西暦…南蛮の暦だと2012年。今は1552年にござりまする」


 信長はかなり驚いている。南蛮の暦の数え方など知らないだろう。があっけに取られた、という感じではない。早う続きを聞かせよ、といった感じだ。ワクワクしているのだろうか。

「四百六十年も先からきたのか。…遠いところをわざわざ、疲れたろう。ああ、好きで来たのではなかったな」

「はい。後の世の事を、未だ来ず、と書いて未来と読みまする。その未来では、この天文の世の中を戦国時代と呼んでおりまする。その戦国時代は、天文の世の後も続き、元号は弘治、永禄、元亀、天正…と続きまする」

「戦国か。響き良しじゃのう。確かに皆戦うておる。左兵衛、そちは世の事に詳しい様じゃのう」

信長は何度も頷く。語呂のいい言葉が好きなんだろうな。


 「昔の世から今の世までの出来事を探る学問を、史を歴すると書いて歴史と言うており、それがしはその歴史が好きで、特にこの戦国の世を好いておりました」

「ほう」

「特に大殿を好いておりまする」

「俺、俺をか。俺が歴史とやらに出てくるのか」

「例えて申すならば、熊谷次郎直実や坂東武者の戦の進退に憧れるようなものにござりまする」

「それならわかる。時は移っても、皆同じようなもんじゃの」

信長は嬉しそうに笑っている。

 「その戦国の世を好いているそれがしが、戦国の世に居る。意味がお分かりでござりましょうか」

俺は信長をじっと見つめた。信長も俺をじっと見つめる。

「…それで、起こる事を知っておる、と言う訳じゃな」

信長は息を大きく吸い込みながら、そう言った。


 「全てではござりませぬ。大きな戦や、世の中の潮の変わるような出来事は大体」

「俺が毒を盛られることも知っておったのじゃな」

「…知って居りました。が時期までは知りえず、今日起こるとも思わず、失念しておりました。物の役に立たず何の申し開きも出来ませぬ」


 俺は説明した。今までのことと、これからのことを。

未来から来たと言っても信じてもらえるか判らず、知っていることを話せば逆に疑われて殺される危険があること。

今回の毒殺未遂も、信友が首謀者であることは知っていても、どういう風に始まって、どういう風に終わったのか、事の推移まで知っていた訳じゃない。


出来事として知っているだけで、細かく何時の何月何日まで知っているわけではないこと。

逆に自分が来たせいで、知っている事と微妙に出来事が変わっていること。

またそのせいで、俺の知っているこの先の出来事が起こるかどうか判らないこと。


 言い訳になってしまうが、ちゃんと言っておかないと俺の命に関わる。まだ死にたくはない。


 「…なるほどのう。五郎右衛門、どうじゃ」

「左兵衛が言わなんだ事には心底、我を失いかけ申した。が、今回の事は、大殿を狙う清洲の策を読めなんだ、我等家臣一同の手落ちにござりまする。大殿が左兵衛を咎めるのであれば、我等も咎められねばなりませぬ」

「五郎右衛門は、いつも左兵衛を庇うのう」

信長は顔を若旦那に近寄せて笑っていた。

「友であり、我が妹の夫、義弟でござりまする。庇わぬ訳には参りませぬ」

若旦那は畳に頭を着けて平伏した。


…この人には参った。俺のためにそこまでしてくれるのか。せきの為、ということもあるだろう。俺はこの人に報いなければ。


「まあよい。凶事を知っとっても防げるとは限らぬし、人は必ず死ぬ。死んだらそれまでの事よ。ところで左兵衛、俺はまことに歴史に名が載るのか。後の、未来の者にとっての那須与一や熊谷次郎になれるのか」

「なれまする。大殿は…」

「先は言わずともよい。成れる、と云うならそれで充分よ。後の世に名を残すなら、己の力でやるわい」

「はっ」

「左兵衛。金輪際、未来の出来事を話してはならぬ。先の事は知りたいとも思う。が、ヌシから未来の事を訊かねば何も出来ぬというのでは、稚児にも劣る。尾張の大うつけのまま終わってしまうわ」

顔色はまだ悪いが、目はギラギラと輝いている。 

 ああ、やっぱりこの人は織田信長なんだ、と俺は思った。己の力で道を切り開き、時代の先頭を進む。

元々俺が居なくてもやっていけるのだ。何を言う事があるのか。


 「はっ。かしこまってござりまする」

俺は額をこすりつけるように平伏した。

「五郎右衛門も、よいな。これでこの話は仕舞いじゃ。お主の友、妹の夫、義弟。それでよい。

五郎右衛門も、左兵衛も歴史に名を残せっ。カハハハハ」


若旦那とともに、居室を出た。




 「五郎どの、有難う」

「いや、ワシは何もしておらぬ。それより、ヌシには悪い事をした。済まぬ」

若旦那は頭を下げる。

「俺も胸の痞えが取れた。でも大殿が死んでいたら、失念していた、では済まないよ。庇ってくれて、本当に有難う」

俺はなぜか若旦那の両手を掴んでいた。そして深々と頭を下げて礼を言った。


「…毒の事を言わなかったのは、大殿が死なぬ事も分かっておったから、じゃな」

若旦那は憑き物の取れたような顔をしていた。さっぱりしている。

「ああ。そうだ」

「では、柴田権六と勘十郎さまへの啖呵は、わざと、か」

役者よのう、みたいな目で俺を見ている。

「ばか言うなっ。毒を盛られると知ってたら、朝からオロオロしていただろうよ。あんな啖呵切れるもんか。あの時は本当に俺も訳が分からなかったんだ。身体中怒りで一杯になったよ」

本当は信行をぶん殴るつもりだった。


「ワシは腰が抜けかけたわい。膝はがくがく言うしのう。ヌシを見て、気張れたのよ。ワシの方こそ礼を言う」

若旦那はまた頭を下げた。

「いいよ。何にせよ、大殿が無事でよかった」


 


 …五郎右衛門も、左兵衛も、歴史に名を残せ。

…か。

織田信長。未来の事を話したら、その情報を利用されるんじゃないかと思ってた。


…後の世に名を残すなら、己の力で残してやるわい。


 ああ、なんか信長なら言いそうな気がする。すごい。本物はやっぱすごい。

一向一揆との戦いで捕虜を取らずに皆殺した、とか叡山焼き討ち、とか冷徹なイメージあるけど、熱い男だ。今はまだ18だし、若さがそうさせるのかもしれないけど、このまま歩んでほしいな。

未来の事を言わなくても、というか言う事すら禁止されてしまった。うーん。


頭の中の、これからの出来事。


俺が来て、微妙に変わってきた出来事。


 よく見てよく訊いて、この二つの流れを見比べながら、考え抜いて、助言なり、自ら策を練るしかないか。

上手くいくだろうか。

…でも。


やるしかない。




 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ