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戦国異聞  作者: 椎根津彦
飛翔の章
29/116

猪狩り

「兎一匹も仕留められんのか。下手じゃのう」

「五郎どの。うるさいっ」

今日は末森に猪狩りに来ている。犬追物というやつだ。

やはりこういうのは経験が物を言うなあ。猪どころか、兎一匹仕留められない。

信長は既に五匹、若旦那は四匹。俺はダメ。

信行は一匹、柴田権六は三匹。




信長が末森に行く、と言い出したらしい。那古野と末森の関係からいって、いきなり末森城に乗り込んだら、確実に警戒されるだろうから、皆がそれぞれ楽しめる犬追物にしてはどうか、と平手中務が提案したのだ。末森城の勘十郎信行は、行かぬ、と嫌がって、柴田権六が説得してやっと出てきたのだという。



たまにはこういうのも悪くないな。狩りとバーベキューとピクニックがひとつになった感じだ。昨日の酒もすっかり抜けた。

今日は朝早くから猪狩りに出発だったから、昨日の早くのうちに鳴海を出た。

那古野に着いて、城に登って信長に機嫌伺いをし、春庵さんの所にお蓉さんの件の礼を言いに行き、若旦那の屋敷に行き、そして俺の屋敷に到着。

挨拶回りばっかりだ。


俺の屋敷には今、せきが居る。

星崎城に在番として異動して以来、ずっと会っていなかった。

福富の俺の所領は若旦那に返したから、屋敷にそのまま置くわけにもいかず、若旦那の福富屋敷に住まわせて貰っていたのだ。

鳴海に移ってからも、那古野と往復はあるものの、福富に行く暇がなかった。それを見かねて若旦那が那古野の俺の拝領屋敷に連れてきたのだ。


…そして。






「済まなかった、ずっとほっといて」

「いえ…鳴海にご加増、おめでとうございまする」

俺は今までの事を話した。星崎での出来事、鳴海攻めの事、加増、鳴海での出来事。

若旦那や春庵さんから消息は得ていたみたいで、大体の事は知っているみたいだ。

でも、何で、その拗ねてるというか、悲しそうというか、そんな顔をしているんだ?


「お蓉さん、という人は、左兵衛さまの側女にございますか」

思い詰めた表情で訊いてくる。嘘は許しません、といった顔だ。

「…何でそうなる」

「左兵衛め、女でもできたか、と若旦那さまが言っておりました。春庵どのの話を聴いていても、お蓉さん、という名が度々。お二方の話を合わせますと、鳴海にお蓉さんという新しい側女が居るとしか思えませぬ」


ぬわーっ!短絡的すぎるだろ!第一、側女ってなんだ! また女房気取りか!

…って、そんな泣きそうな顔をするな。

「側女なんかじゃないよ。女の船大将だ。それに、お蓉さんは今九州に行っている」

「では」

一瞬で顔が明るくなる。…もう。

「俺がもどってくる場所は…その…せきの居るところだ、って、前に言ったじゃないか」

恥ずかしくて顔が見れない。チラ見しようとしたら、せきが俺の手を優しく掴んできた。


「嬉しゅうございます…。せきも、ずっと左兵衛さまをお慕いしておりました」

…仕方無い。全て打ち明けよう。俺の気持ちも。


「俺は未来、ずっと後の世の中から来た男だ。そこには嫁もいる。もう生きてるか死んでるかも分からない」

せきは、一瞬寂しそうな顔をしたけど、黙って聴いている。

「せきが俺を慕ってくれているのは知っていたよ。でも、答えが出なかった。俺の生きていた世の中に戻れるかもしれない、と思っていたからね」

「はい」

「でも、戻れる訳がないんだ。どうやって来たかも分からない、戻り方がわかるはずがないんだ」

せきは黙ったままだ。真剣に聴いてくれている。

「だから俺はこの世の中で生きていこうと決めた。でもどうなるか分からない。明日死ぬかもしれないし、死なないかもしれない。それは置いといても、俺は今、鳴海にいる。今川との戦で死ぬかもしれない…それでもいいのかい。悲しい思いはさせたくない」

「…はい。左兵衛さまの妻になりたい、と思うた時より覚悟はしておりまする。せきは来世で結ばれるより、このうつつ世で結ばれとうございます」


「そうか…。ならもう何も言わない。辛いこともあるだろうけど、これからよろしく、せき」







よし!昼飯だ!

やはり当主主催の猪狩りともなると、飯も豪勢だ。今日は俺のオゴリだぜ♪ってか、信長さま。

今日だけは心の中でも、信長さまと呼んでやろうか♪

…え。昼飯の支度をしているのは、末森城の連中だって?

八郎、よく知ってたな。

「殿」

「何だ、八郎」

「飯が余ったら持って帰ってもようござるか」

「何で」

「だって…殿は一匹も」

「うるさいっ」

八郎の頭を小突いていると、若旦那が話しかけてきた。


「二人ともよく食うの」

八郎は空気を読んで、若旦那に挨拶して遠ざかっていった。

「鳴海じゃ中々食えないもんばかりだからな、食い貯めしとこうかと」

若旦那はワハハ、と一笑いすると、

「そうか。…せきの事は聞いた。忝無うござる。幸せにしてやってくれ」

と頭を下げた。…なんか、恥ずかしいな。

「止してくれ。幸せを願うなら商家の嫁にするのが一番だったんだぞ」

「好いた男の傍が一番良かろうが。物で飢えても心根が飢えぬのが一番ええわい」

若旦那はすごくホッとした表情だ。

「まあ、大事にするよ。金打」

金打とは、武士の約束の儀式のようなもので

、刀を少しだけ鞘から抜き、また戻して 刀の鍔をカチッと鳴らす行為だ。

動きは簡単だけど、金打した約束を破ると、殺されても文句は言えない。

「…金打。頼む」



「で、どうなるんだろうな」

俺は飯をほうばりながら若旦那に訊く。

「今、向こうの幕内で大殿と勘十郎さまが、飯を食いながら話をしておられる。ワシにも分からん」

若旦那は笑った。さらに訊こうとすると、知らないオッサン…じゃない、柴田権六が話しかけてくる。

向こうは兄弟どうしで、こちらは家臣どうしで、って事か。


「監物どの、松葉以来でごさるな。…今日はお父上は」

「父は身体が優れず、今日は屋敷に籠っておりまする。それがしが名代にござる」

「そうでござったか。お見舞い申し上げる」

柴田権六は若旦那に頭を下げている。

そりゃそうだよな。赤母衣衆筆頭。信長の…信長さまの、高級幕僚・近衛軍指揮官だもんな。いくら信長…さまの弟のオトナでも、頭のひとつやふたつ、下げるってもんだ。

俺は話に入らない方がいいな。飯うまっ♪


「監物どの、今日はこのような場を催して下さり有り難き事でござった、とお父上に申し伝え下さらんか。我等ももう少し早う気付けばよかった、と」

「いや、柴田どの。我等の方こそ早く気付けばよかったのでござる。思うてみれば、兄弟喧嘩で泣いとる弟をあやすのは、親では無うて大抵先に折れる兄でござる」

二人とも顔を見合わせて笑っていた。

…意外だな。

信長派と信行派はもっといがみ合っていると思っていたのに。

今日は行楽日和でようござるなあ~、とかいうオチなのか?


でも、お互い城に籠って、お互いのいろんな動向を探ってばかりだと、視野が狭くなって猫が虎に見えたりするのかもな。

報告を受けて策を練るのは 、末森城なら信行か柴田権六、那古野なら信長、平手中務、若旦那だ。

直接自分で見て策を練るわけじゃないから、実像がよく見えないままで策を練る、って事もあるんだろう。

うむ。勉強になるなあ。

お、幕内から信長…さまが出てきた。


…足取りがおかしい、ような気がする。


「か、帰るぞ。五郎右衛門」

「…大殿、顔色が」

若旦那も不審がる。柴田権六を見るが、当の柴田は不思議そうな顔をしている。

「ぐ…ぅげえっ」

なっ、…腹を押さえて吐いたぞ。信長の顔は土色に変わっている。若旦那は信長の体を支えている。


俺は持っていた握り飯を柴田権六に投げつけていた。自分でも訳が分からない。


「権六っ、これはどういう真似かっ」

声は激していても、心の中は不思議と冷めていた。

そう、俺は知っている。細かい時期は忘れたが、信長が毒殺されかかった事を。


「し、知らぬ、それがしは何も」

目の前で起きている状況と、一度も話したことのない俺に怒声を浴びせられ、掛かれ柴田が見事なくらい狼狽している。

「知らぬで通ると思うのかっ、慮外者めがっ」

掛かれ柴田は、へたり込んだ。


まさか今日起きるなんて。

信長が毒殺されかかったのは、守護代信友と戦っている時期だ。しかし、毒殺しようとしたのは信友であって、信行に毒殺されかかった訳ではない。が。


「勘十郎さま。どういう事にござるかっ」

俺は幕内に走り込んでいた。

「し、知らぬ。兄者がさ、騒ぐなと」

信行は震えている。小便の臭いがした。


「さ、左兵衛…勘、十郎を責める、な……ただの腹痛よ、か、帰るぞ」

信長は、信行を庇っている。何故だ。

「若旦那っ、大殿を早う那古野へっ」

俺がそういう間も、信長は嘔吐が止まらない。身体が、毒を出そうとしているのだろう。

「殿軍頼むっ。済まぬ」

若旦那は馬の背と自分の鞍の間に信長を乗せると、自らもそれに跨がり駆け出した。

…早く行け、早く。もっと速くっ。

「八郎っ」

呼びながら馬に跨がった。

「おうっ」

八郎が側に駆け寄る。八郎は大薙刀を手にしていた。僧兵かぶれだけあって、薙刀が上手い。

「殿」

「何だ」

「今日一番どころか、末代までの獲物にござる。掛かれ柴田じゃ」

「ばか言え。先に走れ」

…もういいだろ。距離は稼げた。


「勘十郎さまあっ、柴田権六っ。今日はこれで退くが、この責めは屹度、後日にっ。忘れるなっ」

ゆっくり馬を走らせる。



追手は、来なかった。

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