足音
春庵さん、すごいな。俺に全てを賭けるって。
俺ですよ、俺。
賭ける価値があるんでしょうかねえ。どこまで上っていけるか、といわれても…
想像つかない。
五千貫文の所領。お米の取れ高換算なら大体、一万石。
…立派な大名じゃねえか。もういいだろ。
この頃の信長の家臣としてはかなりの重臣クラスだぞ。新参者で一万石。場所は鳴海城。
でっかく所領やるから、今川に対して責任持てよ、ということなのだろうか。
…きっとそうなんだろうなあ。…トホホ。
平井信正、乾作兵衛、服部小平太、植村八郎、長谷川橋介。
彼らにも知行を与えないといけない。彼らは鳴海大和家のオトナなのだ。
大判振る舞いしたいところだけど、他にも雇わなきゃいけないし、いろいろ出費もかさむ。
所領からあがる収入だけで皆を養わなきゃいけないのだ。戦だって全て自分持ちだ。…大変だったんだなあ、領主さまって。
5人とも百五十石からのスタートだ。俺も頑張るから皆も頑張れよっ。
「新知百五十石、でござりまするか」
そう言ったのは小平太だったが、皆一様にポカンとしていた。
…足りなかった、かな。
「……有難き、いえ、有難く頂戴致しまする…。というか、百五十石も貰うて、まことによろしいので」
皆感動のあまりポカンとしていたらしい。破格の待遇だというのだ。まあ、俺はいきなり万石取りの大名クラスになってしまったから、皆と少し感覚がずれてるのかもしれないなあ。
春庵さんも召抱えたわけではないけど家臣に準ずる存在として、平井たちと同じく百五十石を扶持することにした。固辞されたけども、色々、というか全てお世話になりっぱなしなんだから、形だけでもお礼はしたい。
「別に知行で春庵さんを縛るわけじゃないよ。今の俺にできる精一杯のお礼だと思ってくれれば」
というと、凄く嬉しそうだった。
「貰うておいて、このような事を申しますのも恐縮でございますが、証文だけ与えても、土地の者と談合せねば実入りはありませんよ」
春庵さんにそう言われた。確かにそうだ。
この時期の農民層はよほどの事がない限り、武装している。そういった集落の籏頭が、豪農、土豪、国人といった人たちであり、また、そういう人たちを家臣として組織化して力を付けていったのが、いわゆる守護大名、戦国大名という存在なのだ。
俺は家臣たちに手分けして各郷に触れをだすように命じた。
「何を触れ回ればようござるか」
小平太が訊いてくる。
「各郷、集落の頭たちと直に話をしたいんだ。鳴海城に集まるように伝えて欲しい」
「ただ命ずれば宜しいのではごさらぬので」
小平太は怪訝な顔をする。
「こういう事は初めが肝心要だ。直に話してお互い納得しておかないと、今川方が攻めて来たとき大変な事になる。土地、年貢、実入りの話だからね。無理に押領したりすると、身内で戦になりかねない」
皆、成る程、といった顔をして各郷に散っていった。
次はお蓉さんの所だ。
「恙無くやってるかい」
店の外から声をかけると、奥からお蓉さんが出てきた。
「あら、鳴海の殿さまじゃありませんか」
相変わらず、勝ち気な顔だ。まあ、十五で家を飛び出して、桔梗屋の分店とは云え店を構えるくらいだ。並大抵で出来る事じゃない。
「今日は何の御用でいらっしゃいますか。また戦にございますか」
「戦じゃないけど関わりはあるよ。お蓉さんは、南蛮の船に乗ってみたくないかい」
船、と聴いて、目をキラキラさせる。
「乗ってみとうございます。乗れるのですか」
駆け寄ってきて、手を握らんばかりの距離で、俺を見上げる。
…あぁ、それ以上はダメです…。
うう、いかんいかん。
「あ、ああ、まだ乗れるわけじゃない。お蓉さんに南蛮の船を学んできてもらおうと思って」
ふと考えたことなんだけど、この頃の日本には戦闘専用の船がない。
小早、関船、安宅船。いずれも積載用の船を改造したものだ。日本の水上戦闘は、源平のころからずっと、矢戦、切り込みが主だった。
小さな舟でも、舷側に矢楯を並べて鎧ってしまえば、立派な戦船になったのだ。外洋に出る必要もない。帆も単純な構造だったから、櫓漕ぎとの併用だった。
1543年に鉄砲が、1549年にキリスト教が伝来した。九州の大友氏なんかは、毛利との戦の最中にポルトガル船に砲撃を依頼している。西洋帆船を目にしていたはずだ。作ろうとはしなかったのだろうか。
作れたはずだ。何しろ鉄砲などは、伝来した年にはもう国産が始まり、戦の中で使われているんだから。
小さくてもいいから西洋帆船をつくって、ある程度数を揃えて、輸送や戦に使えたら。
「南蛮の船を学んで、作って、お蓉さんに任せたいんだよ。多分、しばらくの間九州に行く事になるだろうけど、いいかな」
お蓉さんは、更に目をキラキラさせる。
「九州。遠国でございますね。でも行ってみとうございます。わたくしも船乗り、南蛮の船には興味がございますゆえ」
「よかった。那古野に行って、春庵さんと相談してくれ。差配してくれるはずだ」
「かしこましました」
「じゃ、頑張ってくれよ」
と帰ろうとすると、殿さま、と袖を掴まれた。
「奥へ。内密のお話が」
お蓉さんは真剣な顔をしている。
ふっ。…奥へ?
フフフフ。
やっぱり女の人は、ギャップを理解してくれるんだよ♪
「林佐渡か。捨て置け」
信長は今日もゴロンと横になっている。
「捨て置くのでござりまするか」
平手中務は驚いた顔をした。
「出仕を怠けた事は咎めよう。が、権六に会うておったのは咎める筋ではない」
「でござりましょうが、林佐渡は柴田権六に若の文句を、それに信行様と人知れず会うていたのは明白かと」
分かっておるではござらぬか。信行さまは。
「信行と那古野のオトナが会うのが罪と云うのか、爺は」
「そうは申しませぬが、時期が悪うござりまする」
「どう悪い」
信長は座り直した。
「はっきり申さば那古野と末森は一触即発にござりまする。
そのような時に末森の主と那古野のオトナが会う。そのオトナは、那古野の内から末森と通じ、若を当主から追い落とそうと画策しておる、と家臣たちは考えましょう。束ねがつかなくなりまする」
信長は嘆息した。平手中務を改めて見据える。
「束ねをつかぬようにしておるのは、お前等オトナよ」
「な、何ゆえにござるか」
「判らぬか。末森でも那古野でも、お前等オトナが騒ぎすぎるからよ。やれ末森では、やれ那古野は、とな。
こちらが構えれば、向こうもに構える。で、こちらはさらに構える。堂々巡りじゃ。
お前等は黙って語らぬつもりでも、ヌシ等の家の子郎党からあっという間に話は家中、国中に広まろう。
広まればどうなる。清洲の信友づれの様に、与し易い方を当主にして牛耳る、とする輩が出てくるのは当たり前であろうが。
家が割れるのはお前等が好きで徒党を組んで好き勝手やるせいじゃ」
「これはあまりな」
平手中務は愕然とした。家の為を思えばこそ、である。それを。
「家の為を想うのは判る。判ればこそ、お互いオトナどもが腹割って談合し、那古野、末森それぞれの束ねでは無うて弾正忠家の束ねをつけねばならんのではないのか」
なんと…。
「お、恐れ入ってござりまする」
平手中務は返す言葉が無かった。確かにオトナどもが自重しておれば揺らぐことはない。
「元は、俺がうつけと呼ばれておるせいじゃ。確かにうつけが当主では家臣は堪らぬであろうからの。爺、苦労をかけたのう」
爺、苦労をかけたのう。
平手中務はその言葉で、今まですべての苦労が報われたような気がした。
若はうつけにおわさぬ。優れたお人よ。
視界がぼやける。
涙で視界がぼやけるのも構わず、平手中務は言った。
「爺の目は曇っておったようでござりまする。これまでの度々の御耳汚しの諫言、爺の繰り言と思うてご容赦下さりませ」
平手中務は顔を上げる事が出来なかった。
「泣くのはよせ。俺も勘十郎と腹割って話さねばいかぬのかもしれん。折を見て呼ぶ、いや俺が末森に行くとするか」
「それは」
危のうござりまする、と出かかったが、何も言わず信長の言葉を聞く。
「初めからこうしておればよかったのう。さすればただの兄弟喧嘩で済んだ。俺とてあやつは可愛く思うておる。だが」
「だが…何でござりましょうか」
平手中務は息を呑む。信長の眼光が鷹の目のようになったからだ。
「兄弟としては可愛うても、当主としては譲れぬ事もある。直に話して相容れぬのであれば、勘十郎を見限る。此方からどうの、こうのとする事はせぬが、これきりじゃ。何か仕掛けてきたら、討つ」
平手中務は平伏した。
ここなら誰にも邪魔はされないヨ、お蓉チャン♪
……って。あれれ。
「長谷川橋介さまに言われて、このお方を匿っております」
浮わついた気持ちは捨てるしかない。ああもう。…チクショウ。
「名は何と申される」
「山口九郎二郎教吉にござる。お初にお目にかかる」
…何だって。
橋介のやつ、何も聞いてないぞ。
「行き倒れていた山口さまを、長谷川さまが見つけて、ここに」
お蓉さんが経緯を話す。
「城の中に、今川に寝返った元の城主の伜がいては、面倒が起こるかも知れぬ、と。土地の者の出入りもあるゆえ、そこから今川に知れては敵わぬ、と申されて」
…なるほど。分かったけど、どうしようか。
「大和左兵衛尉一寿にござる。で、このあとどのように。何か目算がおありか」
「召し抱えて頂きとうござる」
「何ゆえ」
山口教吉は視線を畳に落としている。が、意を決した様に顔を上げた。
「それがしが、父の教継を誤らせた。今川につき、そして、殺されもうした」
若旦那に聞いて知っている。
信長の放った流言が成功した結果だと。
山口教吉はそれを知って、俺に仕官して信長に近付き、復讐する機会でも狙っているのだろうか。
山口教吉は、俺が何を想像したのか察したようだ。が、笑いながら続ける。
「信長どのには恨みはござらん。それがしが信長どのであっても、流言を放って父を殺させようとするでござろうな。寝返ったのは我等ゆえ、そのようにされても仕方無き事」
「では、当てが無いゆえ仕官を望む、と」
「当てが無いのは確かでござるが、ちと違いまする。それがしは、雪斎禅師に恨みがござる。それを果たしたい」
父を殺した張本人だからなのだろうか。俺はそれを聞いてみた。
「雪斎禅師は、信長どのの流言を読んでおった」
「何と」
「読んだ上で、それに乗った。父は、策を読んだという事を悟られぬ為だけに殺されたのでござる。殺される前、父は追手を切り抜けてそれがしの所まで逃げてきた。そこでこの話を聴いたのでござる。
父を殺そうとする時に雪斎禅師がわざわざ明かしたのだと。
そして追手は我等の所にまでやってきた。父はそれがしを逃がす為に、わざと追手にかかって死んだ。生き延びよ、と言って」
「そうでござったか」
小説の中でこういう話なら、ワクワクするんだろうけど、実際に当事者から話を聴くと、ほんとにやりきれなくなる。戦争をしている国どうしとは云え、ひどい。
「まことに我等に仕えるご所存か」
信長は何と言うだろう。足軽小者などではない、少し厄介な存在だから、報告はしなければならない。
どこかでまた利用されるのではないだろうか。もう信長の家臣でも、今川の家臣でもない。再び織田に仕えても使い捨てにされるだけだ、と思う。黙って俺が召し抱えても、いずれはバレる。
報告しなかった事を咎められたり、ひょんな事から「山口教吉を貸せ」とか言われかねない。
しばらくほとぼりを冷まさないと。