新たな火種
駿府からやっとここまで逃げてきた、よもやあの様な事になるとは…よかれと思い親父を説いて今川に組したものの…親父は斬られ、見せしめとして磔にされ、当然の事ながら俺にも追捕がかかっている…ふりきってやっとここまで来た、扇川を渡れば今川ももう追っては来ぬだろう。
今日は那古野に来ている…懐かしい。もう一年くらい離れていた様な気分だ。賑やかな市を抜け町屋を出ると…若旦那の拝領屋敷が見えてきた。
「やったな左兵衛、まさか鳴海を取ってしまうとはのう。どの様にして陥としたんじゃ」
若旦那は興味深げに俺の顔をのぞき込む。どう云えばいいのか…。
「企業秘密だ」
「きぎょう…ひみつ?」
「何でもない、何でも…先ずは刈田から始めてだな…」
順番立てて作戦を説明すると、若旦那は目を丸くした。まあ、元ネタは色々あるけど、それについては言わないでおこう…。
「…という訳だ。岡田どのが快く手を貸してくれたから出来たのであって、全て俺の功績という訳じゃないぞ」
「それは判るが…お主、たくましゅうなったの。何か青臭さが無うなったというか」
「そうかい?…有難う」
「今日よりお主も大殿の直臣じゃ、鳴海村十ヵ郷、新恩五千貫文、大身ぞ」
「そう聞いたときはびっくりしたけど…何だか実感が湧かないな」
教えて貰った時は超驚いた。那古野に帰ってしばらくのんびりできると思っていたからなあ。これで俺も平手の家のオトナとして周りと肩を並べられる、死ぬ確率も減る…なんて思っていたら、直臣に格上げ、鳴海で最前線…正直予想してなかったぞ…。
「儂の方がびっくりよ。まさか城を陥とすとは思うとらんかったからの」
「だって…調略って、城に籠る守将とかを寝返らせて味方にするんじゃないのか?」
「ヌシは城まで取ってしもうたではないか…調略と云うておけば、さぼることは無かろう…そう思うて居っただけじゃ」
若旦那は俺と目を合わさぬ様に外を見て、顔をポリポリ掻いている…大変だったんだぞ!
那古野に来たのは俺の加増の事もあったけど、鳴海を落としたという事の詳細な報告と、信長から、捕虜の岡部親綱を那古野まで連れて来い、と言われたからだ。
彼はどうなるんだろう、織田の将として生きるのだろうか…。
そもそも俺の知っている歴史では鳴海城を信長が取り戻すのは、あと八年先の一五六〇年だ。桶狭間で今川義元が死に、義元の首を返すのを条件に開城させるのに成功させてからのことだ…。
少し歴史上の出来事を変えてしまった。
生き抜くためとは云え、というか若旦那の言葉を真に受けてしまったからなんだけど…だってあんな手紙読んだら、やるしかなくなるのは当たり前じゃないか…。
信長が尾張の地方領主という今の状況では、鳴海城を取ったという位で基本的な状況が変わる訳じゃない。鳴海城を手に入れたところで、尾張守護代・織田信友と戦っている今現在、対今川、要するに三河方面に戦力を割くことが出来ないからだ。
鳴海付近か今川と織田の間の緩衝地帯である事には変わりがない。が、今までは山口教継が握っていた土地だ。信長の直轄領では無かった。
山口教継が今川に寝返ったあとは岡部親綱が城代として鳴海に入り、それを俺が取り返した…信長の直轄領になったのだ。俺が貰うことになったけど、俺が鳴海の統治に成功すれば、信長の力はちょっとだけ強まる…くらいの事だ、教科書に載るような事柄でもないし…うん…うん。でも………というか、もう俺の知っている歴史を気にする必要はないんじゃないか?
「もし日本がアメリカに勝ってたら」というのと同じで、もう俺の知っている歴史と違っているのだ。
俺は未来から来ちゃったから「歴史を変える、変えちゃいけない」という認識がある。だけど、この時代の人たちは「俺も歴史の一コマなんだぜ♪」という認識を持って生きているわけじゃないのだ。
ちょっと気が楽になった、ずっと悩んでいたことだからなあ。この世界に慣れるので精一杯だったし、戦続きでそんなこと考えている余裕が無かった…今のこの世界の状況はまだ、俺の知っている歴史とあまり変わらない。これから先を考える上でまだ役に立つし、役に立てなきゃ生き残ることなんて出来ない……そうだ、あのとき俺は覚悟を決めたんだ、何をまだ迷ってるんだ俺は…。
俺を友と呼んでくれた若旦那のため…家臣たち…そして、せき。そして当然ながら俺のためにも。
「…なるほどのう。今孔明はお前の方だった様だの」
信長は上機嫌だ。というか、上機嫌な信長って本物を目にするまでは想像すら出来なかった。ドラマで演じられる信長は、いつも怖い信長だからだ…今だって、若旦那と共に信長の居間に居る。今までは陪者だったからこんな事はなかったけど、これからはこういう事がちょくちょくあるんだろうなあ。
「…左兵衛。お前は平手中務をどう見る」
「平手中務さま、にござりまするか」
平手中務、と聞いて、俺も若旦那も一瞬動きが止まる。
「ははは。お前にとっては元の主人の親父どの…五郎右が居っては言い難かろう」
「それがしは、下がりましょうか」
若旦那が居室を出ようとすると、
「いや、五郎右にも関わりのある話じゃ。下がらずともよい」
と、少しだけだけ真顔になった。
八郎は遠い目をしている。
「どうした八郎。さっきからぼおっとして」
作兵衛は少し呆れ顔だ。
「…ん。ああ」
八郎は、桔梗屋春庵のところの、お蓉の事を考えていた。鳴海城を落とした時に一度会っただけだったが、忘れられないのである。
「ハハ、作の字、ほっとけ…八郎はここのところずっとそんな塩梅じゃ」
長谷川橋介が笑う。三人は、扇川の中州、中島の砦普請の監督に来ていた。役目は本当なら作兵衛一人なのだが、『話相手も居らぬ故、ヌシも来んか』と橋介を誘い、その橋介は、城の大手口でぼおっとしている八郎を誘って三人で来た、という訳である…鳴海城では、中島に造った偽の砦を、本物の砦として使おうとしていた。砦といっても、それほど規模は大きくない。監視所、といった感じだろうか。
それでも土塁を築き、柵を拵え、虎口には折れをつけた立派なもので、大高道を遮断するには充分な構えである。
「そろそろ飯にするか…八郎、人夫たちに言うてこい…おい、八郎」
「ん。…なんか言うたか橋介」
こりゃ駄目じゃ、と橋介は自ら普請場に向かう…すると、普請場ではちょっとした騒ぎが起きていた。
「何じゃ何じゃ」
見ると一人の野良着らしき風体の男が、人夫達に捕り押えられている。
「あ、長谷川さま」
と人夫の一人が橋介に会釈した。
「何があった…こ奴は誰だ」
「川を渡ってきたと思うとバタリと倒れて」
確かに、野良着おとこは捕り押さえられてはいるが抵抗する気力もないようだ。橋介は人夫をどかせると、飯をもってきてやれ、と野良着おとこの前に立った。
「おい、野良着の」
橋介は声色を変え、野良着おとこを鋭く睨む。
「……ぎではない」
「何だと」
「…野良着ではない」
「じゃあ、誰じゃ」
「……」
「誰じゃと訊いておる」
橋介は鯉口を切る。
「…や…山口九郎二郎じゃ」
九郎二郎…山口教継の息子、教吉だった。
橋介と八郎は鳴海の村の一角にある、桔梗屋の分店に来ていた。旦那はお蓉である。
鳴海の戦のあと桔梗屋春庵のところに身を寄せているお蓉は、春庵と大和左兵衛の連絡係としてここ鳴海の桔梗屋の支店を任されていた。任されているといっても、実際の商売については手代が行なっているので、お蓉の仕事はもっぱら廻船の運営であった。
「では、この九郎二郎さんをウチで匿う訳ね」
「そうして貰えると凄く助かるのじゃが、どうであろ」
八郎は凄く上気した顔でお蓉を見ている。
その表情は橋介から見ていても、正直気持ちのいいものではない。お蓉も少し辟易した顔をして、
「何ゆえ城で匿わないのですか」
と八郎ではなく橋介に訊いた。
「九郎二郎は今川から追捕がかかっとる。ま、そこは当然じゃな。で、奴は元々鳴海におったやつじゃ。城には土地の者がたくさんおる、九郎二郎が居る、とばれては困る」
土地の者から今川に情報が流れるのを防ぐためらしい。追捕人をかくまっている、と今川に知れれば、色々難癖つけられるであろう。織田方、特に鳴海の者にとって小競り合いは困る。
「なるほど」
と事情を察したお蓉は、
「かしこまってございます」
とニッコリ笑って返事をした。八郎にではなくて橋介に…。




