どぶろく殿
「また来たぞ」
「またか。飽きぬの。もう六度めじゃぞ」
「岡部さまに言うてこい」
海沿いにまで迫る鬱蒼とした森や林に囲まれ、周りより一段高くなった位置にある鳴海城。
城から周りを見ると、森や林が陸地で、道沿いや平地は、複雑に入り組んだ入り江の海の様にも見える。城はまるで、港のようだ。
その入り江には、筏の様に田畑が点々とあり、そしてその南側は、本物の知多の海が広がっている。
ここは織田と今川の境である。
大勢で行えば、間違いなく挑発だと疑われましょう。逆に少人数で行えば、ただの米泥棒にござる。疑われる事は有りますまい。
「岡部さま」
「おう、刈田働きであろ。ワシからもよう見えるわ」
岡部親綱は笑っている。
「相変わらず近寄っては来んか」
「おおよそ…二里よりこちらには近寄っては来ませぬ」
「しかし、熱心じゃの。雑兵共が酒でも作るのに刈っていくのだろうが…」
敵味方問わず、城詰めの足軽達には余分な米は配らない。配ってしまうと、どぶろくにして飲んでしまう。
城詰めだと余興もないし、酒を飲むくらいしか楽しみがないからだ。
だから、前線で飽きてくると、こそこそと敵方の田んぼに出掛けて行っては刈田働きをして、どぶろくを造る為の米を集める者も結構居るのである。
「もう陽も暮れる。兵を出しても逃げるだけじゃ。捨て置け」
「ただいま戻ってござりまする。今日で都合六度めにござるが、鳴海の兵が動く気配はごさりませなんだ。成功でござる」
長谷川橋介は我が事の様に喜んでいる。
俺は最近星崎衆から受けがいい。最初こそ鳴海勢に追い散らされたものの、三度めからは敵が出て来ず、刈田し放題になったからだ。
当然刈った米は持ち帰るから、その米でどぶろく造り放題なのである。
そして今日で六度め。たった十人で行っているとは云え、どぶろくどころか兵糧倉も潤す結果になっていた。
おかげさまで、星崎衆からは「どぶろく殿」とか「米奉行」とか呼ばれはじめた。
まあ…悪くない。
「どぶろくどの…ではない左兵衛どの」
吹き出しそうになった。もちろん、どぶろくを。
「何でござろう」
「敵は出て来ぬようになった。いつまで刈田を続けるのでござるか」
岡田どのがワクワクしているのが判る。酔いも手伝って、かなり上機嫌みたいだ。
「そうでござるなあ…では明日は日の出からしつこくやりましょう。日の出前に、鉄砲を伏せさせまする。策の二段目にござる」
田んぼにまた……十人ほど。
「…お。今日は日の出からか。よほどやる事が無いのかのう」
「放っておけ。そのうち帰るわい。まずは朝飯じゃ」
「…さま。丹波守さま」
「…うむ。…よう寝たわ」
「昨夜はよほど盃がお進みのようでござりましたので、今の今まで起こしませなんだ」
「そうか、済まぬ」
頭が痛い。欠伸をして、立ち上がり外を見る。
「…織田方は今日も刈田か」
「左様にござりまする。よくもまあ、日の出から飽きずにやっておるもので」
「何だと。今いくつじゃ」
「朝五つ…巳の刻頃かと」
岡部親綱は完全に目が醒めた。
「ばかっ。二刻もあれを放っておったのか。米泥棒にも程があるわいっ。兵を出せっ。捕まえて、見せしめに磔じゃっ」
くそっ。頭が痛いっ。
「大手が開いたっ。出てくるぞ」
小平太が叫ぶ。
稲を刈るのをやめ、皆馬に乗る。
今日からは生き死にが懸かっている。部下や星崎衆にだけ任せる訳にはいかない。
しかし戦場で直に指示を出すのは今回が初めてだ。
…俺、パニクるなよ。
「どれだけ出てきたっ」声が裏返りそうで怖い。
「馬乗り…十騎、徒歩立ちと足軽が……二十くらいじゃあ」
騎馬は我等と同数か。
「まだ動くなっ」
俺は、俺も含めた騎馬十騎の両側に、三人一組の鉄砲を、計四組伏せさせていた。右側二組、左側二組。
各組の組員には役割がある。一人は射手。あとは装填係、組頭だ。
組頭が的を決め、射手が三挺を連続で撃つ。装填手は弾を込める事に徹する。
組頭はそれぞれ平井信正、乾作兵衛、植村八郎、長谷川橋介。
最初の射撃は敵の組頭、物頭だけを狙え、と指示してある。小平太は介添として俺と一緒に居た。
「殿っ。まだかっ」
「まだだ小平太っ」
俺は手順を確かめる。喉がカラカラだ。
最初の号令で騎馬を当たらせる。
二度目で、敵の騎馬の後から駆けてくる連中に射撃を浴びせる。
よし。
「小平太、かかれっ」
「織田方は逃げなんだのう。敵も肝が座っとるわ」
岡部親綱はずっと兵の動きを観ている。親綱だけではなく、城に残っている者達は皆、戦いを観ていた。ちょっとした小競り合いを観るのは、城詰めの兵たちにとって、最高の娯楽なのである。
「お。騎馬がぶつかり合うたわ」
鳴海城の皆が歓声をあげる。
「見ろ。後ろを駆けとる足軽衆が二手に分かれた。織田方を囲むつもりじゃ。こりゃ勝ったのう」
兵達がそう話す声を聞いて、親綱は満足そうな顔をする。
が、突然の銃声が、歓声を落胆に変えた。
今川勢の足が止まる。組頭を撃ち倒されて、混乱しているようだ。
「今川め、浮き足じゃわい。よし。あとは立ち撃ちじゃ。十歩進むごとに狙って撃て。的は誰でもよいわい」
乾作兵衛はそう言うと騎馬の方に向かって駆け出した。他の組の三人も、それに倣う。
俺は必死で鑓を振り回す。もう下手とか慣れてないとか言ってられない。
いきなり右から顔を突かれた。すんでの所で仰け反って避わす。どうやったのか、仰け反りながら相手の腿を突く。
敵は、どう、と地面に落ちた。
「信正っ、八郎っ、橋介っ。敵の馬乗り共を囲めっ。走らせるなっ」
「ばかっ、四人で囲めるかっ」
それでも織田方の意図を察したのか、今川の騎馬の一人が囲まれまいと逃げ出した。
それを潮に、全てが崩れた。
「小平太っこちらも引くぞ。鉄砲どもは先に引け。馬乗りどもは殿軍じゃっ」
平井たちと鉄砲たちが走り出す。早く逃げろ。
「遅いのう。馬ならとっくに着いてもよい頃じゃがの」
八郎は大手口の前でウロウロしている。信正も橋介も、その脇に座りこんでいた。
「どぶろく殿じゃあっ」
井楼の上の見張りが叫んでいる。
いつの間にか岡田直教も大手口に来ていた。
「三人も死なせてしもうた」
「三人で済んだから良かったのでござるぞ。無事でようござった」
「明日も同じように日の出からしつこく。されど、明日は今日のようにはいかぬでしょう。
伏勢を置かず、騎馬三十ほどに鉄砲を持たせ、敵が出てきたら物頭、組頭のみを撃ち倒せるだけ撃ち倒して、戻りまする」
疲れた。
…三人か。名前も聞いてなかった。
…ごめんな。
「騎馬に鉄砲を持たせ、組頭、物頭のみを狙うてくるのか」
「左様にござりまする。馬を降りて潜み、ある者は藪から、ある者は伏せ撃ち。今日も、引き付けて撃ち倒せすだけ撃ち倒すと、逃げてごさる」
「直に指図するものがいなくなるのう」
「後詰めを催促なされては」
「いや、それは出来ぬ。ワシにも面子がある。織田のうつけ相手に国ざかいの小城一つ守れぬでは、駿府に面目がたたん。そもそも、相手は我等より小勢なのだぞ。催促は最後の手段じゃ」
「では」
「明日も来るようならワシが出る」
「殿はまだ鳴海に出ておるゆえ、代わりにわしが参った。多分、明日は皆で鳴海に出る。出陣と同じゅうして、使いを出す」
「では、乾どの、次に星崎の城から使いが来たら、鳴海の沖に出れば宜しいのですね」
「で、ござる。扇川の 河口から大高に向かう船が居たら、全て止めてくだされ」
「向かう船が無ければ?」
「釣りでもして、百貫貰うて、終わりでござる、蓉どの。羨ましいのう」
作兵衛は笑った。
ここは星崎城の三の曲輪。皆集まっている。
岡田どのと俺は皆の前に出る。
「皆聞け。明日は皆で鳴海城に出る。左兵衛どのの策の総仕上げじゃ。首を取るなっ。抜け駆けするなっ。気張って耐えよ。耐えきれれば、我等の勝ちじゃ」
「おおうっ」
皆、拳を高く突き上げ怒声をあげる。
うなずきながら見ていると、岡田どのに肘で軽くつつかれた。皆が俺を注視する。
え、俺も?
「えーと…どぶろく殿にござる」
皆、どっ、と笑う。
「それがしの様な若輩者に、よう従うて頂き、感謝致しまするっ。夜半から明日いっぱい、ちと忙しゅうござるが、最後までお付きあいの程、お頼み申しまするっ」
「おおおっ」
怒声と歓声が、宙を舞う。
「刈田働きの後ろに、織田の軍勢が見えまするっ。おおよそ二百ほどかと」
「よし。我等も出るぞ」
岡部親綱は、兜の緒をきつく締め直した。
「姉どの、催促の使いが参りました。帆を揚げまする」
「藤三郎、今日はそなたが差引なされ」
「えっ、宜しいので」
「わたくしは今日より九鬼を去る身。九鬼の男として、船大将として、気張りなされ」
「姉どの」
蓉は藤三郎の頭を優しく撫でた。
「父上にもそう言ってあります。あはは、今生の別れではないのです、さあ、行きましょう」
八郎は木に登って辺りの様子を伺っている。
「星崎衆が見えたぞうっ。我等も出番じゃ」
ここは鳴海城の少し北、扇川のほとり。平井信正と植村八郎の率いる三十人は、夜の明けぬ前からここに潜んでいる。
「しかし扇川の中洲に偽の砦を築いて、大高道を塞ぐなど、殿もよう思いついたのう」
木をスルスルと降りながら八郎は言う。
「八郎。殿にそう教えたのはそれがしよ」
「はあ。信正、嘘こけ」
「嘘では無い、が、まあええわい。ほれ、乗れ」
偽の砦の材料を載せた筏が三つ、信正たちと共に岸を離れて下っていく。
「おういっ、今川あ。散々刈田やられて悔しゅうないのかあ。お陰でどぶろく呑み放題じゃあ。分けてやるからこっちまで来いやあっ」
アハハハ、と刈田働きの者たちが囃し立てる。
鳴海勢も言い返す。
「刈田で無うて、ただの米泥棒じゃろうがあ。今日は皆で泥棒しに来たのかあっ。
泥棒が戦の真似事とは、猿真似にも程があるわいっ。織田の衆は酒が頭に来て、とち狂うてござるのうっ」
「なっ何だと」
「落ち着け小平太」
お前が挑発されてどうする。…ばか。
でもこれ、面白そうだな。
「何を…小平太どのっ、主を止めんかっ」
俺は岡田どのと小平太の制止を避わし、馬を前に進めた。
「その真似っこ猿にしてやられとるのは、何処のどいつだあっ。猿にも劣る今川侍、悔しかったら懸かってこんかいっ。このどぶろく様が相手してやるっ」
味方から歓声が上がる。
気ぃ持ちいいーっ。 お尻ペンペンっ…ついでだ。
………。
鳴海勢が動きだした。…ぁらら。
「お岡部さま。味方の先手が勝手に」
近習が慌てる。
「にわか頭共では抑えられんか。物頭や組頭を失うた事がこんなに利くとはのう。仕方ない、このまま、掛かれっ」
ごくり。もういいかな…。いや、まだだ。俺は、俺は大丈夫か。
「刈田引けっ。鉄砲前えっ」
…始まりだ。
「よし。防ぎ矢放てっ、鉄砲っ。敵の先手、狙えっ…放てっ」
一斉に撃ち掛かる。一組三人、計十組。一組あたり鉄砲は二挺。射手、装填手、組頭だ。組頭は防ぎ矢を兼ねる。
「このままでは先手が」
「つるべ撃ちではないか。やりおるわ。……おのれ」
「岡部さま」
「よし、あのどぶろく様とか云うた奴を狙え。やつが織田の鉄砲頭ぞ。二名でよい、先手の脇から忍ばせて、撃て」
「はっ」
どぶろくめ…。倍返しじゃ。
だだーん
「次の二度撃ちで下が…」