掛かれ柴田、鬼柴田
「深田と松葉が陥ちた。やったのは坂井大膳。その上深田の孫十郎叔父は奴等の人質よ。勘十郎の許に守護代からそう書状が届いたそうな…のう権六」
三郎様はいつもの通りゴロンと横になったままそう云うと、その場の皆の視線が一斉に柴田権六に向けられた。
「守護代どのの指図であろうか?」
「佐久間どの、そうではあるまい…おそらく坂井大膳が勝手にした事じゃろう…柴田どの、何故守護代どのは三郎様にではなく、勘十郎様の元へ書状を遣わしたのであろうな…それに受け取られたのなら何故勘十郎様は自ら此処に来られぬ?」
俺の親父が、佐久間半介どのの言を受けて、柴田権六に詰め寄った。皆の視線もそれを肯定している。
「皆やめよ。権六を責めるのは筋違いじゃ…その場に権六がついて居れば、受け取らずに使者を此方に回したであろう。相手が守護代の使者では勘十郎も無下に断れなんだのに相違ない。そうであろうが、権六」
「さ…左様にござりまする」
権六は平伏したまま顔を上げられずにいた。三郎様が権六に助け舟を出すとは…と皆が意外そうな顔をしている。
「兵を出す。元々我等の城じゃ…権六が申すには、守護代どのは坂井を懲らしめよと言うて居ったそうじゃ…名分は我等にある。明日の昼には出陣、稲葉地に集まれ。これにて評定は終わりじゃ…段取りは稲葉地で決める。皆支度せよ」
皆退出し、大殿と俺だけになった。
「三郎様、一気に守護所も攻められまするので」
「いや、まだじゃ。向こうは守護を擁しておるからの。そこはいずれ手を打つ」
「鳴海、大高、沓掛は、このまま捨て置かれまするか」
「山口左馬助は首尾よく今川に討たせた。今はこのままでよい…何かあるのか」
「いえ、万一の為に国ざかいの見張りを強う致そうかと。大和左兵衛をそれがしの名代として星崎に送りまする」
「おう。今孔明に任せるわ」
若旦那から聞いた軍議の内容は…林秀貞、五郎の親父どのは留守居。出陣するのは、信長、織田信広、平手正秀名代として若旦那、佐久間半介、柴田権六、そして赤母衣衆である。
俺は…出陣はするが、清洲方面に行くわけではない。三河方面の星崎城に向かっている。
星崎城主・岡田直教の与力として、三河方面の国境警備に着くのである。小平太達から非難轟々だった。
"功名はどこへ"
"殿にやる気がないせいにござる"
…等々。俺だって若旦那に着いて行きたかったけど…『鳴海を見張れ。ヌシの目でしかと見て居って欲しいのだ』って言われちゃしょうがない。
若旦那は一通の文を呉れた。星崎の岡田どの宛の書状だ…まあ、見張りだけなら死ぬ心配は無いか。
「よう若殿。恙無くしておるか」
「叔父御、お久しゅうござる」
大殿に叔父御と呼ばれたお方は、織田孫三郎さま。御先代様の弟で、ここ稲葉地と守山を預かっているお方だ。
「二百は連れてきた。少のうて済まぬのう」
「叔父御が居れば心強うござる、馳走忝く…叔父御も来られた故攻め口を決める。まず萱津まで出る。清洲口は俺と柴田権六。松葉口は信広兄者。三本木口は叔父御と佐久間半介。明けて辰の刻より同時に攻める。心せよ」
俺は赤母衣頭ゆえ、赤母衣衆と三郎様の許にあらねばならぬ…勘十郎の許に居る故にきな臭く見られておるが、柴田権六が味方なのは心強い…まもなく萱津、さてどうなるか。
八郎がふくれ面で聞いてきた。
「鳴海に何しに行くのでござりまするか」
「鳴海じゃない、星崎城だ。岡田直教どのの与力として、星崎に在番だ」
「いつまで在番にござりまするか」
「分からん」
それを横で聞いていた作兵衛は気の抜けた顔をしている…気持ちは分かる、だけど重要な任務だぞ、しゃんとしてくれ…。
「放て」
一斉に矢が放たれた。すかさず向こうも矢を返して来る。しばらくは我慢比べになる…今日の戦、我等那古野勢は二千で清洲方を攻めている。清洲口は八百、松葉口は五百、三本木口は七百。
勝つことはあっても、負けることはなかろう。
相手の坂井大膳は、口達者て勢いはあるが、戦下手で知られていた。何しろ『逃げ大膳『と言われているほどだ。三郎様は、その逃げ大膳をこの機に討ち取ってしまおうとしていた。
「我慢ならぬっ。行くわい」
前田又左が飛び出した。朱鑓を振り回し、敵陣に向かって行くが…たちまち足軽小者に囲まれている。
「又左を討たすなっ」
池田勝三郎が遅れまじ、と手勢を引き連れ前に出て行った。軍監の万見仙千代が慌てている。
「よい。自ら進んで前に出たのじゃ、彼奴等とて己の尻は己で拭けるであろう。されど、又左や勝三郎はあれで無うてはな…万千代、戻って来たらしかと叱れ」
三郎様は笑っていた。確かに味方は優勢、赤母衣の出番はない筈、又左も勝三郎も無事に戻って来るだろう…。
「監物どの」
金森五郎八が側に来て囁く。
「敵方の矢数が減っておりまする。長柄を出す潮かと」
「そうよな。五郎八。茂介と共に差引致せ。…吉兵衛」
「はっ」
「柴田どのに使いせよ。鬼柴田、掛かれ柴田の出番にござりまする、と」
星崎城の皆は、俺達を快く迎えてくれた。
「大和左兵衛尉一寿にござる。岡田どのに与力せよ、と平手監物さまより仰せつかってござりまする」
「おお。今孔明殿のオトナどのじゃな。味方は松葉攻めをしておる最中というのに、わざわざ此処まで。ご足労をおかけする」
岡田直教は俺に深々と頭を下げた。俺よりかなり年上だと思うけど、低姿勢な人だな。
「いえ、主命ゆえ致し方ありませぬ。ところで鳴海の今川勢はいかがでござるか」
「静かなもんじゃわい。まだ刈田ひとつして来ぬ」
刈田、というのは、前線で敵の田畑の農作物を荒らしたり略奪する挑発行為の事だ。作物の収穫時期、田植えが終わった時期にやられるので、かなりへこむし、かなり腹が立つ。この時代は機械などないから、田植え稲刈りは大変な重労働だ。腹が立つのも当然だ。
「左様でござるか。あ、これを」
俺は若旦那に貰った書状を岡田どのに渡した。岡田どのはサッと広げてそれを読む。
読んでいくうちに顔色が変わる。
「大和どの。ここへ着くまでに書状の中身をご覧なされたか」
「いや、何も」
「大殿の許しは得てあるゆえ、鳴海城を調略されたし、と書いてござる。力技もよし、搦手もよしと。仔細は大和左兵衛が知っておるゆえ、与力ではあるが、指図に従われたし、と」
……は??
「長柄の者共っ。掛かれ掛かれっ。敵は弱いぞっ、掛かれっ」
掛かれ柴田が怒声を張り上げる。掛かれ柴田に勇気づけられてか、それとも鬼柴田が怖いのか、長柄足軽が突撃していく。
「掛かれ柴田がでてきたわ。引くか」「そうよの」
清洲方は下がり始めた。が、まだ逃げるまでには至らない。
「引くな引くなっ。押し返せっ。人に知られた坂井甚介とは俺の事よ。我等を引かせたくば、俺の首を取ってからにせい。出来るかっ」
浅黄色に腹巻を威し、筋兜に一本独鈷の前立。得物は四尺三寸の大刀。清洲方の、剛の者と名高い坂井甚介だ。
「出来るわいっ。その首貰うたっ」
掛かれ柴田の柴田権六が、坂井甚介に向かって行った。大金棒が空を切り、もんどり打って倒れかかる。その一瞬、瞬前までの柴田権六の頭の位置を、坂井甚介の大刀が袈裟に薙いだ。
柴田はそのまま地面を一回転し、その勢いで立ち上がり坂井甚介に居直る。
お互い笑う。
「名乗りをしとらんかったのう。末森城の鬼柴田、権六郎勝家とは俺のことよ。坂井甚介、此処は引いたがお主の為ぞ」
「引かぬ。主家に弓引くうつけ相手に引く訳無かろう」
「言うたなっ」「言うたわっ」大刀が一閃、避け損ねた柴田権六の大袖をザクリと斬った。
「まだまだっ」
大金棒を振り下ろす。坂井甚介は落ちてきた大金棒をスルリと流し、そのまま柄頭で柴田権六の胸を突く。
坂井甚介は、強い。
見て来いとは言われたけども…調略とは。とほほ。
「大丈夫でござるか」
岡田どのが、俺の顔を覗き込む。
大丈夫じゃない、けどそうは言えんし。仔細は俺が、なんて書いてあるんじゃ、何も否定できない。
…考える時間が欲しいなこれは。
「驚いてはおりまするが、当てが無い訳ではござらぬ。書状には、これこれ何時までに調略せよ、と書いてござったか」
とりあえずこの場を凌がなきゃ。
「そうは書いてはござらぬのう。が、このままいけば、与力するのはワシの方でござるの。出来る限りの事は致すゆえ、何でも申してくだされ」
「小一郎、助太刀推参っ」
中条小一郎が柴田権六の助太刀を買って出た。坂井甚介は脇差を抜こうとしたが、小一郎に体当たりをかまされ、3人とも組んだまま倒れる。
「今じゃっ。首を」
中条小一郎は体重をかけた膝を、体ごと坂井甚介の右手首に乗せ、大刀をもぎ取ろうと必死になっている。柴田権六もすばやく馬乗りになり、「兜切り」と呼ばれる厚身の短刀を取り出した。
ずぶり、と坂井甚介の左脇に突き立てる。
「ぐ…うつけの…け、家来ずれに」
「あの世で会おう。先に待っとれ」
兜切りを突き立てられながらも、坂井甚介はもがいていたが、やがてピタリと動かなくなった。首に兜切りを押し当てる。
「坂井甚介、討ち取ったり。潮は今ぞ、掛かれ掛かれっ」
血まみれの柴田権六は、本物の鬼のようになっていた。
「権六のおっさんが坂井甚介を討ち取っただと。ぬかったわ」
柴田さまが坂井甚介討ち取ったり、と触れてまわる味方の使番に一人文句を言いながら、前田又左はさらに馬を乗り入れる。
坂井甚介を失った清洲勢は、見事なまでに崩れた。
暴れまわる前田又左を追いかけて、池田勝三郎がさらに暴れまわる。
信長は戦況をじっと見つめている。
「…仙千代、叔父御と兄者に使いを出せ。こっちはもうすぐ片付くゆえ、一休みしたらこのまま深田の城を攻める、そちらは叔父御と兄者、佐久間半介とで松葉の城を片付けて下され、とな」




