那古野にて
「お主を斬らねばならぬ、何故かは、云わぬでも判るであろう?」
「何故にござる。この山口左馬助、何が何やらとんと判りませぬ」
山口教継は平静を装ってはいるが、顔色はそれを裏切っていた。血の気がない。
「ならば云おう、返り忠を狙うているのであろうが」
返り忠とは、わざと敵対勢力に寝返る行為である。裏切り先な情報を元の勢力に送ったり、混乱させたりする、言わば二重スパイである。
「確かに誘うたのは我等じゃ。お主は我等につき、怒った那古野のうつけ殿は、赤塚まで攻めてきた」
山口教継は黙って聞いている。
「お主の伜は兵を引いた」
「囲みが閉じる前に兵を退くのは当たり前…それにあの戦は、始めから笠寺の後詰が出て居れば勝てた戦じゃ。我等のせいで敗けたのではない」
「確かにの…後詰めせなんだは失態じゃった。まあそれはよい…そして戦の後、大高、沓掛の城を調略した。見事な手際じゃが、何故調略した?」
「勝てなんだとは云え、このままでは駿河屋形の機嫌も損ねよう…と思うてやったまで」
「確かにお屋形様はお喜びじゃ。されど此度はうつけ殿は兵を出して来ぬ。鳴海は取り返そうとしたのに、じゃ。織田にすれば戦場では勝ったとは云え、都合三つも城を取られては負け戦と同じ…いくらうつけ殿に余力が無かろうと、城を取られっぱなしでは親族家臣が黙るまい。当主としては是が非でも兵を出さねばならぬところじゃ…が、出して来ぬ」
「そう申されても、それはうつけ殿の都合、それがしには判らぬ」
「駿府ではこういう噂が流れておる…赤塚の戦は、返り忠のためのまやかしの戦じゃ、大高、沓掛を取られても織田が騒がぬのはそのためよ…とな。左馬助どの、そなたはうつけ殿のまわし者と思われて居るぞ」
「何を云われる、それはうつけの流言にござる、騙されてはなりませぬ」
山口教継は必死にそう否定したが、それが無駄であろう事は明白であった。
「ふむ…確かに織田の放った流言であろう」
「では、何故」
「騙されたふり、をするためじゃ。いちいち合点がいきすぎる。流言なのは分かって居った…我等は三河を手に入れて間がない。その三河を固める為に、ちと時を稼がねばならぬ」
山口教継は震えていた。寝返りも城の乗っ取りも、自家の勢力を保つ為とは云え今川のために本心から行ったのだ。それが…。
「これはうつけ殿が身内を静める為に放った流言…騙されておれば、うつけ殿は攻めて来ぬであろう。うつけ殿としては裏切り者を討つことが出来、我等は騙されておれば時を稼げる。誰も損せぬであろうが」
山口教継は立ち上がった。太刀は従者に預けてきた。脇差を抜く。
「おお、手向かうか。返り忠の末路に相応しい…ご安堵なされよ、この庵はすでに取り囲んである…斬る訳はもう一つある。これから先、今川じゃ織田じゃとふらつかれては叶わんからの…御屋形様もそう申されて居ったわ」
今川義元の軍師…太原崇孚、雪斎禅師はそう言って、低く笑った。
「おお左兵衛か。久しいの」
俺は那古野に建てられた若旦那の拝領屋敷に来ている。久しいの♪じゃないだろ!
「知行地の方は何とか上手くいって居りまする」
「儂とヌシだけじゃ、楽にせい」
「わざと言ってるんだ」
「フン、分かっておるわい」
若旦那はカラカラと笑った。この笑い顔を見るのも久しぶりだ。
「このままじゃ俺が領主様って思われるぞ。たまには顔出せ」
「それでもよいわ。今は半分じゃが、そのうち二千石ともヌシにやる」
「…なんで?」
「ヌシがおるから、儂は奉公が出来る。しがらみばかり気にしての、思えば儂も小さい男であったわ」
若旦那は俺から視線を外すと、眩しそうに空を見た。充実してるんだろうな、顔がそう言ってる…。
「ヌシと会うまで、儂はずっと塞いでおった。せきを守って暮らして居ればそれでよい、と思って居った」
「……」
「正直、戦は好かん。儂が死んだらせきはどうなる?何れは平手の家も継がねばならぬ、世の中が嫌でたまらんじゃった」
「…引き篭もりだったんだねえ」
「引き篭もり?そうかも知れぬ…ヌシと初めて会うた時、ヌシはこう言うた…俺の生まれた未来の世の中では戦などない、と」
「…そんな事言ったっけ?」
「ああ。武士の子孫は沢山居っても武士は居らぬ、戦もない、ともな」
もう何話したか覚えてないな…斬られる寸前、テンパる寸前…だったからなあ。言ったかもしれん。
若旦那は縁側に腰を降ろすと、隣を指し示した…ちょっと待っとけ、麦湯を出すから…。
「美味い麦湯じゃ…その時、三郎様がまだ吉法師と呼ばれて居った頃の事を思い出したのよ」
「信…三郎様は何か言ったのか」
「人は皆死ねば仏…仏になったら喧嘩も戦もせんでよい所に行くと云う。では生きとる内は喧嘩も戦もせねばならぬのか。仏の様に笑うては暮らせんのか、と。儂は直ぐには答えられんかった」
…意外だ。信長がそんな事を言うなんて…。
「三郎様、いや、吉法師様はなんでそんな事を言ったんだ?」
「丁度戦の話をして居ったのよ…人が人より欲をかけば、それだけで戦になる、と儂は大殿に申した」
「そしたら?」
「日の本で一番強うなって、皆に戦をするなと言えば、戦は無くなるか、と」
成程なあ。ちょっと違う気もするけど、戦いを無くす手段には違いない。天下取りを目指したのも、そういう疑問があったからなんだろう…。
「その時三郎様の言葉を思い出したのも、ヌシに会うたからなのかも知れん。こ奴と仲良う出来るのならば…とな。武士が無うなるのはちと困るが、戦をせんでよいのなら、この世は極楽じゃ」
「そうだったのか」
「何でも話せる友が欲しかったのもまことよ。今まで言わなんだのは、この通りじゃ…ちと恥ずかしゅうてのう」
若旦那は頭を下げた。
「ハハ…気にするな。どこまで役に立てるかは分からんけどな」
「となると…孔明の一の家来じゃから、馬謖か」
「馬謖じゃ斬られちまうだろう…一回斬られかけてるんだから、やめてくれよ」
顔を見合わせて笑っていると、吉兵衛がおくから顔を出した。こいつと会うのも久しぶりだ。
「どうした、吉兵衛」
「大殿よりの使いがござりました。これより戦評定が始まりまする、と」
「どこと戦じゃ」
「そこまでは。ともかくお急ぎを」
「ヌシも来るか」
「俺も?」
「吉兵衛は福富に使いせよ。左兵衛の家の者共に戦支度をさせるのだ」
返事と同時に吉兵衛は走り去ってしまった。
「俺は別に行かなくてもいいんじゃ…」
「つべこべ言うな。来い」
那古野城では既に戦評定が始まっていた。俺はいつもの武者溜まりではなく、詰所に通された…ちょっと待遇が上がっているぞ…あれは誰だ、なんてキョロキョロしていると、派手な格好の奴が話かけてきた。
「お前が今馬謖か」
今馬謖…五郎め、皆に吹いているな…。
「何でござるか」
「何でござるか、だと?馬謖ってのはな、斬られちまうんだよ。めでてえ野郎だ」
やたら派手な格好、伸ばしっぱなしの髷。人を人と思わない態度…どなた?
「…どちら様で」
「前田又左衛門様だ」
…おお、こいつが前田利家か。若い時は歌舞伎者で通ってた筈…いかにも乱暴小僧、って感じだぞ…。
「おお、貴方様があの鑓の又左どのでござるか。成程成程…お噂はかねがね」
俺にそう言われて前田又左衛門はまんざらでもない顔をしている。こいつおだてに弱いのか?
「お、おう。分かってればいいんだ…今馬謖、ではない大和どの、以後お見知りおきを」
ペコリと頭を下げて、スキップしながらどこかへ行ってしまった…そうか、今馬謖の顔を見に来たんだな…大丈夫、ライバルにはなれませんから…。




