急を告げる
ここは志賀城の広間。
陣触れを受けて集合した平手の一族と家臣が並ぶ。
上座から向かって右側に政秀の兄弟が並んでいる。
野口政利、李定だ。
長成という人もいたらしいが、美濃との戦で死んでしまったという。
左側には俺達だ。
上座に近い方から若旦那、俺、吉兵衛こと毛利実元。
野口政利が若旦那を見て笑う。
「若旦那どの、久しぶりじゃの。まだここには戻らんか」
「戻らぬと前から申しておろう、玄蕃叔父(げんばおじ)。誰に何と言われようと戻る気は無いわい」
野口政利が嘆息する。
「頑固よの。いい加減兄者を許してやってくれい。何度も言うがの、下女に手を付けたのはともかくとして、あれは兄者のせいでは無い。お主等を見とる我等の身にもなったらどうだ」
若旦那はそっぽを向いている。たまらず吉兵衛が口を挟む。
「玄蕃さま」
「何じゃ吉兵衛」
「若旦那様にはそれがしからよう言うときます故(ゆえ)、お納めくだされ」
吉兵衛が野口兄弟に向かって平伏する。
「ふん。そちが甘やかす故、若旦那どのがこうなったのよ。兄者より那古野の三郎様によう似とるわ。いや、三郎様が若旦那に似たのかも知れぬ」
平手家ってあまり仲良くないのか?
俺は口出し出来ないし、口を出せる内容の話でもない。
平手家の譜代でもないし、おまけに新参者だ。黙っているしかない。
「ところで、ヌシは誰だ」
ずっと黙っていた野口李定がやっと口を開いた。
「大和左兵衛尉(さひょうえのじょう)にござる。これよりお見知りおき願わしゅう。若旦那様に馬廻りとして仕えてござる」
深々と頭をさげた。
『よいか。叔父御に誰かと聞かれたら、大和左兵衛尉にござる。これよりお見知りおき願わしゅう。若旦那様に馬廻りとして仕えてござる、とだけ申すのだ』
『五郎どのさあ…名乗るのはわかるけど、左兵衛尉ってなんだ?』
『左兵衛尉は左兵衛尉よ。気にするな』
『まあ、いいけど…他に何か聞かれたら?』
『任せるわい。されどせきの事は言うなよ。ただの馬廻りが知っていてよい話ではないからな』
「馬廻りの左兵衛か。そちの主どのはの、自分の親父と十年も喧嘩しとるのだ。他の家の者が見たらどう思うかの」
野口利定はひとしきり笑って、大きくため息をついた。
……任されたぞ、五郎どの。後は知らんからな。
「見たままにござりまするなあ」
「…見たまま、とは」
「那古野やら志賀やら、尾張ではあちこちで兄弟喧嘩が起きておりまする。信秀様と三郎様も喧嘩の最中。そこにまた平手家の親子喧嘩が起きたとて今更誰も気にしますまい。故に見たままと申したのでござる。そのような事より、他に成すべき事がありましょう、武士は一所懸命が本分、お二人さまも、末森詣などなさっておる時ではありますまい」
…これくらいにしとくか。
「なっ…なんだとっ」
一瞬ぽかんとした李定がこれまた一瞬で顔をどす黒く変色させた。発火点低いなあ。
「控えよ左兵衛」
とは言うものの、若旦那は野口兄弟を見て静かに笑っている。
吉兵衛は…こちらの方は泣きそうな顔でおろおろしていた。
すまん、吉兵衛。俺も笑ってしまいそうだ。
李定の顔は土饅頭のようになってしまったが、政利はすましたままだ。
「ふふ、やはり主が主なだけに、その身内もよう主に似ておるようじゃ」
そっくりそのまま返してやろう。
「臣は主を映す鏡でござるゆえ」
「っお、おのれっ」
李定は今にも俺に斬りかからんばかりになって、ふるふる震えている。若旦那もふるふるしていたが、こっちは笑いを堪えるのに必死なふるふるだ。吉兵衛はといえば…。
すまん、吉兵衛。
「控えよと申したであろう、左兵衛。下がっておれ」
若旦那は吹き出す寸前、吉兵衛はすでに半泣きだ。
…はいはい、下がりますよ。母屋にでも行って、大笑いさせてもらおう。と、廊下で殿さまとすれ違う。
「おお一寿ではないか」
「ご機嫌うるわしゅう。いまは左兵衛尉一寿と名乗っておりまする」
「では左兵衛。これから評定じゃ。どこへ行く」
「いえ。若旦那様に下がれと云われましたので。それがしが居ると話が逸れて評定が成りませぬ。ご容赦を」
俺はそそくさと逃げ出した。
言えるようになったなあ、候(そうろう)言葉。
吉兵衛に鍛えて貰った結果だ。ありがと吉兵衛、泣かせてごめん。
評定が終わったらしく、俺が待機していた控えに若旦那がやって来た。
「とうとう鳴海の山口教継が今川に寝返りおった。鳴海に出陣よ。三郎様が自ら出られる。我等は明朝那古野に向かう。それより」
「何だい」
…お互い思わず吹き出した。俺と野口兄弟のやりとりの事だ。
兄弟喧嘩とはまず信長と信行のこと。
そして兄弟喧嘩はここ平手家でも起こっている。政秀は勿論信長押しだが、野口兄弟は信行押しなのである。
何度も大喧嘩しているらしい。それで、あちこち兄弟喧嘩、なのだ。末森詣とは、信行への機嫌伺いのこと。信行は末森城の主だ。
野口兄弟にはちょっと言い過ぎたかな。
…まあただの馬廻りではなく、若旦那が評定に連れてくるほど信頼している、と印象付けられればそれでいい。
何しろ臣は主の鏡、若旦那と瓜二つの頑固者なのだから、下手に手を出してこないだろ。
これで戦に出ても、野口兄弟から使い走りにされることはないな。
…まあ、すごい怒っていたけど、吉兵衛に平謝りしてもらおう。
それにしても俺も戦に出るのか。
那古野から鳴海まで半日もかからない。明日の午後には戦が始まるだろう。
まあ、戦の前に若旦那とおもいっきり笑えてよかった気がする。
…でも、やっぱり恐い。
各話全般ですが、ちょいちょいと加筆訂正があったりします。物語の本筋が変わるわけではありませんが、作者の力不足によるものです。申し訳なく思っています。なるべく投稿後の修正をしなくてもいいように頑張りますので、これからもよろしくお願いいたします。




