第1巻第7話『店ごと潰せばチャラだ』元エリート官僚、ヤクザと揉める
ヒロの魂のツッコミが響き渡った後、二人は居酒屋の会計のために伝票をレジへと持っていった。
数枚の焼き鳥と、数杯のジョッキ。普通の居酒屋なら、せいぜい数千円の会計のはずだった。
だが、レジの液晶画面に表示された金額を見て、ヒロの目玉が飛び出しかけた。
「はぁ!? 飲み代、60万……ですか!?」
レジの奥から出てきたのは、首元までタトゥーの入った、いかにもガラの悪い強面の店員だった。店員は鼻で笑いながら、太い腕を組んで凄んでみせる。
「はい。ウチはこれでやらしてもらってますが、なにか? 週末の席料に深夜の特別チャージ、色々込みで60万。払えない、なんて言わせねえぞ。あ?」
明らかにタチの悪い、裏社会が経営するぼったくり店だった。
ヒロは血の気が引き、隣に立つ正義の袖を必死に引っ張って小声で囁いた。
「ちょ、どうしますか? 荒川さん……! 俺、今そんな大金持ってないっすよ!?」
完全にパニックになるヒロ。しかし、隣の正義は驚くほど冷静だった。顎に手を当て、フムとレジの店員を観察している。
「なるほど。これが巷で噂の『ぼったくり』というやつか。実物を見るのは初めてだな」
「感心してる場合じゃないですって! バックにヤバい奴らがいますよこれ!」
冷や汗を流すヒロに対し、正義はポンと優しくその肩を叩いた。その顔には、30代の大人の余裕(狂気)に満ちた笑みが浮かんでいる。
「大丈夫だ。大人の男に任せておけ、ヒロ」
「お、大人の解決策……!?(警察呼ぶのかな?)」
「大体、こういう違法な営業をしている店には、裏に用心棒(暴力装置)がいるものだ。だったら話は早い。——店ごと潰せばチャラだ」
正義は至極当然のように、恐ろしい計算式を口にした。
「……うん、一つも理解出来ない。 チャラの使い方間違ってますよ!?」
「いいや、合っている。不良債権は一括で焼却処分するのが一番効率がいいんだ」
言い終わるや否や、正義はレジの横に置いてあった重厚な木製のメニュー立てをガシッと掴んだ。
そして、まだ状況が理解できていないタトゥー店員の顔面に向けて、ノーモーションで思いっきり投げつけた。
ガシャァァァン!!!
「ぶげっ!?」
鼻をへし折られた店員が、レジの機械ごと後ろの棚へ突っ込んで昏倒する。
その破壊音を聞きつけて、店の奥の個室から、ドスや鉄パイプを持った強面の用心棒たちがゾロゾロと5、6人飛び出してきた。
「てめえ! 何しやがる!!」
「ほう、やはり出てきたか」
正義は血走った目を爛々と輝かせ、スーツのジャケットのボタンをパチリと外した。朝のモーニングルーティンだけでは物足りなかったのだ。仕事のストレスをまとめてぶつける、極上のサンドバッグが向こうから歩いてきてくれた。
「よし、お前ら。今月の監査を始めるぞ」
正義は近くの丸椅子を片手で軽々と持ち上げると、叫びながら突撃してくる用心棒たちの真ん中へと、嬉々として殴り込んでいった。
オラァ! これが新規参入の壁ってやつだ!!」
正義は叫びながら、片手で振り回していた丸椅子を用心棒の脳天へ叩きつけた。
バキィィン! と派手な音を立てて椅子が粉砕する。正義はその椅子の鋭い破片を掴むと、向かってくる男の太ももへ容赦なく突き刺した。
「ぎゃああああああっ!?」
「さらに、これだ!」
正義はテーブルから箸の束を引っ掴むと、別の用心棒の足の甲へまとめて突き立てた。 格闘技の型ではない、躊躇が一切ないからこそ最も痛い場所を的確に破壊する「狂気の暴力」だ。さらに、怯んだ大男の胸ぐらを掴み、一本背負いのようにカウンターで床へ投げ飛ばす。
「な、なんなんだこのおっさん……っ!?」
あまりの惨状に、ヒロも(なんで俺まで……!?)と頭を抱えながら、落ちていた鉄パイプを渋々拾って参戦していた。正義の狂気に当てられて、ヒロの身体も勝手に動いてしまうのだ。
そうして正義が嬉々として雑魚を片付けていた、その時。
「——おい。店の中で何ガキみたいな真似さらしてくれとんじゃ、おのれら」
店の奥のVIPルームの扉が開き、仕立ての悪い高級スーツを着た、体格の良い、首元までびっしりと墨が入った男がゆっくりと現れた。
これまでの半グレや用心棒とは明らかに違う、本物の「極道」の威圧感。
「お?」
正義は血まみれの箸を持ったまま、男をジロリと眺めた。
「元締めか? それとも店の奴が裏で通報して呼んだのか? まぁいい、後でまとめて気絶させないとな」
正義にとっては、本物のヤクザもただの「追加のサンドバッグ」でしかなかった。
墨の入った男——田下組の幹部は、ピキピキと額に青筋を立ててドスの利いた声を放つ。
「おい、おっさん。これはただじゃ済まないぞ。ここがどこのシマか分かって言うとんのか? ここは『田下組』のケツ持ちの店じゃ。看板に泥塗った代償、命で払ってもらうぞ」
本物のヤクザからの恐ろしい脅迫。
普通の一般人なら、あるいはヒロなら、その場で腰を抜かして震え上がる名前だった。
だが、理性のネジを完全にドブに捨ててきた元エリート官僚は、その言葉を聞いて、この日一番の満面の笑みを浮かべた。
「ほう……。半グレじゃなくて、さらにその上のヤクザかよ」
正義はバキバキと自分の拳の骨を鳴らし、目を血走らせて狂喜乱舞する。
「予算が上振れしたみたいで最高だな! 余計にボコボコできるなァァァ!!!」
「ヒィィィ! ヤクザ相手に『余計にボコボコできる』って思考になるの、この世でアンタだけだよ!!」
ヒロの絶叫を置き去りにして、正義は血まみれの角材(あるいは割れた椅子の脚)を構え、本物の極道に向かって大爆笑しながら突撃していった。




